2011年 (1)
⇒ 活動状況           2012年(1)
2011年(3) 2011年(2) 2011年(1)


■2011.4.17

 打ち合わせ(3)

2月20日の欄に書いた「トロールの森2011」のミーティングがあった。

言うまでもなく、この間、東日本大震災をはさみ、公私ともに世の中の雰囲気は大きく変化した。予定されていた3月のミーティングは流れ、この日が2回目の打ち合わせだった。

展示場所が他の作家とバッティングした後に提示したセカンド・プランは、どうやら実現できそうな気配。初めのプランと構想の方向性は似ているが、内容はかなり変更した。と言っても、まだ固まった訳ではない。

この展覧会は「都市型の自然を舞台にした野外展示」であり、私としてはこの展示で、作品を見ていただく観客、関わる方々を明確に想定したいと考えている。
展示場所の特性や作品設置だけに作家の制作意識が集約されてしまいがちな従来型の野外展示は、この場所にはそぐわないと感じたのだ。それはこの場所に集う人々が、展覧会を見にために来る人々ではなく、日常的に散歩したり集ったりする人たちがほとんどだからだ。

今度の展示では、善福寺公演を散歩するのが日課の周辺住民の方々、近くの桃四(ももし)小学校の生徒さんたちに向けての作品を創るつもりだ。

今の時点で言える事は、私の近年の方法やコンセプトを元にしながら、善福寺公園の設置場所と桃四小学校を結ぶ軸線と想定し、その間の関係(人々の心理、思いも絡めた)を絡めた作品を構造化しようとしている、ということ。
多分、小学生のワークショップなども絡めながら、それの成果も含めながら制作していく事になるだろう。小学校の先生とも相談しながら、もう少し具体化するまで詰めていくことがまだある。

何より、震災の後では作品作りやアートに対する考え方など、否応なく心理的にも影響が及ぼさない訳がない。何ごともなかったかのように、以前の構想をそのまま無自覚に継承することは今の私には出来ない。

その点においても、プラン確定までもう少し時間がかかるだろう。



■2011.4.15

  設営スタート

ソライロ・プロジェクトの設営が、いよいよスタートした。










朝から天気は良いものの風が強かったこの日、「SHIRASE」は大きな船体を左右にゆったりと揺らしていた。地震の揺れとはもちろん違う心地よいリズムだが。

東日本大震災の余波で、船橋港にも液状化が起きたり、岸壁に生じたヒビを補修をしたりして、計画された時間が後ろにずれ込み、慌ただしいスケジュールになっていた。しかし、昨年の8月から始まったこのプロジェクトも、ようやく具体的に目に見える形になってきた。

施行業者から10名の作業員さんが来て、台座となる直径10メートルの湾曲面を、トラスの角柱、パイプ、グリーンの金網などで作りあげた。朝から夕方まででほぼ予定通りに作業は完了。

この湾曲面の台座に、日本全国の方々から送っていただいた空の写真を正六角形にトリミングしたピース(ソライロ・ピース)をこれから取付けていくことになる。数は13.000〜14.000枚程度。気の遠くなるような地道な作業がこの後続く。
もちろん、協力していただく方々の尽力なしにはできないし、この作品は参加型のプロジェクトなので当然の成り行きでもある。

完成予定は4月30日。果たしてどうなるか?
震災後の慌ただしさの中で、こうして制作に没頭、集中できる状況にいられる幸運をかみしめながら、いろいろ考え悩みつつ、作業は着実に進めていきたい。



■2011.4.6

  ゾーン

今日、あるメーリング・グループへ投稿した文です。以下にペーストします。(写真は非投稿)

避難指示 20キロ圏の検問

4月4日〜5日にかけ、個人的で非常にささやかな被災地支援に行ってきました。その間、福島・仙台を少し見て来たので、その報告を少しさせて下さい。

福島(県)は、トリプルの災害(地震・津波・原発)に風評被害も加わり、四重苦状態といわれています。特に、原発20〜30km圏(ゾーン)にある農耕地の様子にそれを感じました。

20km圏外スレスレの399号線を、いわきから車で北上したのですが、ふだんなら作付け作業等で多くの農家の方々が働いていらっしゃるはずの農耕地が全く無人なのです。もちろん、屋内退避・自主避難要請地域のせい。既にほとんどの人が退避しているようですが、残留していても県からの要請で畑を耕すこともできず、また当然のごとく野外に長時間出ていることも出来ない為です。一部の方々は家の中でじっとしているしかないのでしょう。

2時間近くの間、数台の車とすれ違っただけで、人の気配が全くありませんでした。動いている命は、野犬化したらしいペットだけでした。奇妙な静寂に支配された見かけだけは穏やかな農耕地が、延々と広がっていたのです。(20km圏内に入る先の道路には、警察等の検問が敷かれていました。-上写真

仙台で垣間見た津波による被害状況も凄まじいものでしたが、復興に向けての動きは感じられました。
しかし、こちらは、天災と人災の本質的違いというか、全く異質の底知れぬ怖さを感じさせる風景が現実と化していたのです。そして、今や農家(土地)の苦悩は、そのまま漁業関係者(海)の苦悩にもなりつつあります。
仮にこのまま原発事故が収束に向かったとしても、福島の復興は非常に複雑な形で進行していく事にならざるを得ないでしょう。

ふと、S・クレーマーの「渚にて」とか、タルコフスキーの「ストーカー」のいくつかのシーンが、オーバーラップしました。こういう時でも、人間の想像力が作り出したイメージによって、現実を二重三重に再確認する、という逆転現象につい苦笑いが出てしまいましたが。

さて、この円形ゾーンは、みなさんご承知のように、たまたま設定されたに過ぎません。
今後、「ゾーン」をどのように捉え、想定するのか? 
心理的には、すでに日本全体、あるいは世界そのものがゾーンと化しているかもしれないというシビアな現実を、あたふたしながら、滑稽に、かつ透徹した眼差しで見つめ続けなけれならないのだ、と私自身は感じた次第です。


また、後日、この欄で続きを書こうと思います。



■2011.4.1

  当事者意識

震災後の目まぐるしい状況が、これまでの私たちの生活観を根底から揺さぶり続けている。

これが、これまでの国のかたちを変える強烈なきっかけになることは間違いない。変えざるを得まい。こういう事態によってその契機があっけなく生じるとは、現実的には想像できなかった。文学的・映画的想像力の中では、既視感あふれるイメージだったが‥。
平穏な日常が続くだろうという安穏とした精神、無根拠な安心感に、どこかでどっぷり浸かってしまっていたかもしれない。アーティストの想像力などとほざいていた自分も誹られよう。

しかし、一方で実際に事が起こった後では、人類史的な流れの中の一コマとして、淡々と受け入れざるを得ないような感覚さえ生じてくるのが不思議だ。
歴史の必然といってしまうと、まだ収束しない進行中の事態の中、顰蹙(ひんしゅく)を買うかもしれないが、自分もやはり、無数の出来事が連なる歴史の当事者であり、その一ページの中にしっかりと組み込まれていた(しまった)ということをあらためて再認識させられる。
やはり、繰り返されたのだ。天災、人災を問わず、中世のペスト惨禍とか大飢饉、近いところでも関東大震災、東京大空襲、原爆の惨禍などが、歴史教科書の一ページから、自分の日常の生活感覚と同じ地平に浮上してくる。いや、遅まきながら自分がようやくその地平に足が着いたということか。


「アートに何ができるか?」ということも各方面で問われ、いろいろ出てきている。私の知る限りそのほとんどがチャリティーイベントに近いものだ。もちろんそれはそれでよい。そこにアーティストとして社会参加の意義を見出すこともできるだろう。
ただ、私自身は「ちょっと待てよ?」という状態だ。以前、こんな事(⇒2008.6.10)も書いたこともあったが、正直、今はあたふた逡巡している。どう逆立ちしても、アートに義援金やボランティアなどのような現実的即効性はない。音楽(シンディー・ローパーのような)とも性質が違う。
アートは、人の可能性に長期的に(長いスパンで)関わっていくものとして、今は逆にじっくり自らを振り返る時間をとりたい。

ところで、4日から被災地(妻の実家が福島)支援に行ってくる。支援などと言えない程度かもしれない。でも、自分にできる事はささやかでもしよう。即効性のアートは期待できなくても。ただ、一方であの現場の一端でも目に焼き付けなければならない、という思いが強い。これはアーティストとしての自分本位の使命感のようなものでもある。



■2011.3.18

  予定変更

未曾有の事態が進行する中、ささやかな私の活動に関わることにも予定変更が次々に生じている。
まずはお知らせから…。

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3月4日にお知らせした十和田市美術館での『誰か心に傷のなき』展における、19日のオープニングパフォーマンスは中止となりました。
展覧会は予定通り開催できるよう、この企画のフリーキュレーターの三浦さんは努力をされている様子。もし、展覧会開催が可能な運びになり、私もスケジュールがとれ青森まで行くことが可能なら、日時を変えて行うかもしれません。

⇒ その後、展覧会は4月1日〜4月10日の会期で開催されることになりました。


次に、この欄では紹介をする前でしたが、ここで初めてお知らせしておきます。

日仏共同プロジェクト
詩想レジスタンス "Les Souffleurs"
桜前線 ー2000キロの詩のささやきの旅

フランスの演劇集団 "Les Souffleurs commandos poetiques"と、日本の「東京演劇集団 風」が協力し日本各地を回るイベントに、私を含む日仏の詩人・作家の方々(20名以上)のオリジナルテキストの「詩」を提供し、それを日仏の役者さんたちが独特のスタイルと方法で伝えるというパフォーマンス公演。

このプロジェクトも昨日17日からスタートする予定でしたが、変更を余儀なくされているようです。これについての状況は、上記の関連サイトをご参照ください。

⇒ その後、在日フランス大使館からの退避勧告などもあり、企画は中止となりました。


なお、
ソライロ・プロジェクトは、5月2日の「SHIRASE」での発表に向けて進行中です。
サポーターの皆様への経過報告ページをご覧下さい。

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2月10日に少し紹介した「奥会津アート・ガーデン」構想も、担当者のK氏から今の状況では無理になるだろうとの連絡をいただいた。福島県の文化事業関連の新年度企画だったが、災害復興を優先しなければならないこの状況ではやむを得ない。

私個人の予定よりも、日本全体が泥沼に落ち込むような深刻な事態の連鎖を振り返ると、多分、これから予期せぬボディーブローのようなダメージが、様々な局面で出てくるだろう。
しかし、今この瞬間は、震災現場や発電所の現場で体を張って奮闘している人たちに対し敬意を払いエールを送りつつ、冷静に推移を見守りたい。
特に、原発の処理については、専門家集団の人たちに判断を委託し、その決定や行動に任せるほかはないのだから。こういう時に、ネガティブな思考一辺倒で、他人を事挙げしたり、なじったりすることを私自身はしたくない。(もちろんそのような人がいても良いが。)

政府の対応のまずさや、偏向報道や現場感覚への想像力の欠如したマスコミに対し、あきれたり怒ることも多々あるが、今は自分が関わる「現場」、ささやかでもその中で各々のなし得る最大限のことを考え、発言し、行動することに専念したい。
とはいえ、具体的にこの事態に役立つことでは、震災基金に義援金寄付をしたこと、車に乗らないこと、節電に務めることくらいしかまだできていない。

海外の友人から「自分の所に来ていいよ」という連絡がいくつも来た。海外の報道は日本にいる我々よりもはるかに危機的で切迫した様子を伝えている。外国人は国外へ、日本人でも西日本に避難する人も既にいる。しかし、私は身近に小さな子どもがいたりするわけでもないし、今は目前のささやかな「現場」を離れようとは思わない。

それにしても、いろいろな意味で「覚悟しなければならない」とことは確かなようだ。今後の長い期間を含め…。3.11」は「9.11」と並び、21世紀の社会を大きく変え、人々の意識も変える出来事になるのだろう。少なくとも日本人にとっては。



■2011.3.13

このたびの大震災と津波により犠牲になられた方々、被災された方々に、謹んで哀悼とお見舞いを申し上げます


私は11日の午後、横浜にいた。
17時過ぎに歩いて帰ることを決断し、8時間強をかけて国道1号線と環状7号線を北上し、板橋の自宅に着いた。歩きながらいろいろ考えた。

しかし、あれから次々に明らかになる被害実態と進行しつつある破局的な状況は、あの時考え、想像していたことをはるかに超えてしまった。

今後、自分に何ができるか、さらに頭と身体をフル回転させなければならない。



■2011.3.4

  恐れと勇気

今月の19日から始まる十和田現代美術館での展覧会のお知らせです。

誰か心に傷のなき

2011年3月19日〜4月10日
(休館日 3/22.28. 4/4)

十和田市現代美術館 Towada Art Center
企画展示室2及び市民活動スペース

入場料:無料

⇒ Web Site

ケベック人のアーティストと子供たちが「いじめ」をテーマに取り組んだ現代アートの企画展示です。私は初日19日の14:00からパフォーマンスで参加させていただく予定です。
以下に、キュレーターの三浦和子さんの趣旨文を掲載させていただきます。


「誰か心に傷のなき」 展覧会に寄せて

 「いじめ」をテーマに展覧会を企画することは無謀な試みに思われるかもしれません。というのも、いじめ問題は人類誕生以来、常に存在するものであり、その原因は社会ないし国家レヴェルまで考えていくことになるからです。また、複雑なテーマを簡略化するために、すでに皆さんがご存知の「いじめの構図」を再現し、書籍あるいはインターネットで繰り返される解決策を紹介するにとどまる危険性があるからです。今回の企画展の趣旨は、上記に掲げた学術的な大人の視点から、日常「いじめ」の現実を生きている子供の視点に移し、「絵の言葉」を媒介として展覧会場を子供達の声を聞く出会いの場とすることです。

企画にあたって、私達は長く学校で苛め問題にかかわった児童カウンセラーの著作をテキストに選び、何度か「いじめ」について語りあいました。私達の問題提起は次のようなものでした。「様々なイジメ撲滅キャンペーンにもかかわらず、何故「いじめ」がなくならないのか、むしろ、ますます陰湿で残虐になってきているのは何故なのか」。

討論をかさねるにつれて、私達が同意した共通の認識は、「いじめ」をコントロールする真の主役は「恐れ」であるということです。この「恐れ」は、「苛められっ子」「沈黙している子」たちを深く支配するのみならず、恐怖を振りまく「いじめっ子」をも巧妙に操っています。この「いじめ」の支配者である「恐れ」を克服するに、「恐れ」の正体を見つめ向き合わなければなりません。

どんな人にも、人生で一度は自分のなかにある「恐れ」と全身で闘わなければならない時があるのではないのでしょうか。それには「勇気」がいります。いじめ問題とは、恐怖と勇気に深く結びついています。今回、企画展開催にあたって、私達がこの展覧会で願うのは、アート作品が語る様々な声に耳を傾け、苛めに立ち向かう「勇気」を少しでも訪問者の方々に伝えられたらということです。

最後に、数ヶ月前、ケベックのミュゼオロジーに改革をもたらしたケベック文明博物館創立者であるローラン アルパン氏(Roland Arpin)の訃報を知らされました。氏は、文化とは、開かれた精神を育て、他者への寛大さを学ぶことであると、繰り返し説いた、ケベックが誇る偉大なヒューマニストです。このささやかな企画展を、故ローラン アルパン氏へ感謝の言葉に代えて捧げます。と同時に、氏の精神を日本で体現しておられるかのように、この企画展を受け入れ展示会場を提供してくださった十和田現代美術館の皆さまに心から御礼申し上げます。

キュレーター 三浦和子

注:企画展タイトル「誰か心に傷のなき」は、フランスの詩人アルチュール ランボーの詩「地獄の季節」から引用してあり、defautsの解釈において様々の訳があります。本来の意味は欠点(完全に比較して)ですが、日本語で、疵、きず、傷等と訳されています。「完全な人間などいない、誰もがどこか傷をおっている」という意味を込めて傷の訳を選びました。


三浦和子さんとは、昨秋滞在したケベックでの展示とパフォーマンスの折にお会いし、そこでこの企画の打診を受けた。

なかなか難しいテーマ。
趣旨文にも書いてあるように、これは人間が生来持ち合わせている性質、つまり互いの違いから起因する、他(他者、他社会、異文化も含めて)を階層化したり差別化してしまう本能のようなものに接触する部分がある。
一方、近代社会以降の「互いの違いを認め合う」という成熟した大人や社会における一般理念は、各々がアイデンティティーの確立(をしなければならない)という一種の強迫観念に近いものに苛まれる子どもたちや若者が必ず通過しなければならない通過儀礼のようになっている気もする。
また、21世紀のネット型のコミュニケーション社会でも、コミュニケーションの手段や量が飛躍的に増えれば増えるほどディスコミュニケーションも比例して増えていくという現実を我々は目の当たりしている。
どのようなパフォーマンスにする(なる)か、まだ予想がつかない。趣旨文にある「恐れ」を見つめ向き合うには勇気が必要、という一人の人間の存在基盤を素のままに見つめるシンプルな態度をアートとして体現できればよいが…。

皆様、どうぞ会場までお越し下さい。



■2011.2.20

  打ち合わせ(2)

前回少し書いた野外展示構想について。

今秋行われる予定の「トロールの森2011」の、キックオフミーティングと銘打たれた第一回目のミーティングが遊工房アートスペースにて行われた。
東京・杉並の善福寺公園
(背景画像の地図)で行われるこの展覧会は今年で10周年。妻の芳子が過去2回参加しており、私も手伝いで関わったり、主宰の村田ご夫妻ともいろいろ懇意にさせていただいてきたが、今回は私も参加する。

この日は、参加作家や様々な関係各位が集まり、今年の計画の展望が話し合われた。

「難解と言われる現代美術を身近に」という試みで始められた同展は、都会の中の自然を舞台にした野外展示をメインに展開されてきた。一方、過去9年間の継続の中で「まちと森をつなぐかたち」「人々と公園をつなぐかたち」(2010年カタログにおける村田弘子さんのコメントより)といった要素も取り込まれてきている。単に自然の中に作家が作品を展示するアートイベントという性格を、この地の特色に根ざしたよりアクチュアルな展開につなげられるところまで内容が広がりつつある。

この日も、持ち寄られた参加作家のプラン提示だけでなく、近くの小学校との連携の新たな提案も出され、今後の展開がかなり流動的な感じになりそうな予感。村田さんとしては、当然、作品の質を落としたくない希望をもっているようだし、そこにどの程度、街の中のイベント的要素を加味するかのさじ加減が難しい所だろう。(と、かつて街中のアートイベントのディレクションを経験した身としては勝手に想像してしまった。)

まあ、今回は作家として参加のスタンスを全うできそうなので、まずは自分なりの作品構想をしっかりと立てたい。

この日の作品プランのプレゼンでは、なんと私の希望設置場所が他の2人の作家とバッティング。今まであまり起こらなかったらしいが。結果的に、私としてはこの日のミーティングの流れを受け、今回出したプランとまた一つ違う展開も可能かもしれないと感じ、別プランを新たに構想することにした。

第一プランは、ボツにするのは無論惜しいものなのだが、今までもこういう形で発展的にプランを修正していくことはよくあったこと。初めの提示プランにここだわって良い場合もあるが、そうでない場合もある。今回はちょっとリスキーだが、これから新構想を立てることに賭けよう。

さて、次のプラン提示まで残り少ない時間、忙しさでまた自ら首を絞めてしまった。(苦笑)



■2011.2.10

  打ち合わせ

今後予定される活動の打ち合わせが連続した。

一つは6日。奥会津アート・ガーデン構想(仮称)というプロジェクト型の事業。奥会津や南会津地方の様々な文化資源を活用した滞在型のアートイベント。打診された参加要請にとりあえず「OK」で応えた。
まだ詳しいことは書けないが、これからいろいろリサーチしてどんな提案(展示、パフォーマンス、ワークショップなどいろいろできる可能性がある)ができるか構想に取りかかることになる。今年の夏の予定なので、あまり安閑としてはいられない。現地でフィールドワークしたくても有数の豪雪地域。雪解けを待って春の兆しが訪れたら、早々に現地入りしなければならない。
(関係ないが、待ち合わせをした丸の内・OAZOに初めて入った。この地帯、駅舎も含め再開発中だが、1年くらい前に散歩して以来。あっという間に様変わりしていたのにびっくり。)

次が7日。夜、渋谷でソライロ・プロジェクトの緊急打ち合わせ。
実現に向けより具体的に詰めなければならないことが、随時出てきている。構想を立てる私自身から次第に手が離れつつある状況だが、ここからは基本コンセプトに沿いつつ、考え方の優先順位を間違わないようにしないといけない。私一人で制作・設置まで行うのではないから、コミュニケーションの緻密さと明快さが大切だ。もちろん息を合わせる心意気も。

もう一つは今日。トキ・アートスペース(東京・外苑前)で毎年テーマを変えながら続いている企画シリーズのミーティング。今年は"Various Skills"と銘打って既に第一回目の喜納洋平展(2/13まで)が始まっている。
計6人の参加作家(他に本多真理子、平田星司、仁木智之、土屋穣、そして私)が集まり、トキさんを交え食事がてらコミュニケーションを兼ねてのミーティング。土屋君や真理ちゃん以外は初顔合わせ。いろいろお互いの作品や活動を紹介し合いながらいろいろ語らう。
30ー40代の作家たちと気ままに話しをするのは久しぶり。さすがトキさんがチョイスした作家。皆イキがいいというか、芯のある一家言を持っている。終わり頃、喜納君が「このメンバーはみな狭間で活動してきているんですね。」と感想を言うと、なるほどそうかも知れないと納得。今後のシリーズでも、メジャーで露出度の大きい所とは違う領域で生きてきている作家たちの"Various Skills"が見られることになるだろう。
私の会期は年末の最後。トキさんのスペースでの発表は久しぶり。というかギャラリーでの発表の機会は近頃なかなか訪れない。忘れずに声をかけていただくのは有り難いこと。がんばらなくちゃね。

さらに、これからもう一つプランを立てなければならない野外展示構想と、来月に十和田現代美術館でのパフォーマンスもある。これらについては追ってお知らせします。

忙しければ忙しいほど、頭の切り替えをしながら想像力が飛躍するチャンスも広がるという側面がある。私は昔からそんな感じで、ある意味楽観的に動いてきたように思う。この歳になっても、待ちの姿勢のまま淡々と引きこもることなくいられるのは、作家として幸せなことではある。



■2011.2.2

  出港

ソライロ・プロジェクトが実現に向け具体的に動き始めた。

先月27日、私とこのプロジェクトのプロデューサーでありウェザーニューズ社とのつなぎ役であるH氏と二人で、スペースデザインを企画する「F社」にプロジェクトをプレゼン。丁寧に聞いていただいたが、通常の企業相手の商談ではなく、「アート」を前提にした言わば利益無視の持ち込み話。先方にとってみれば、「まず話だけ聞いてみる」という状況だったろう。
概略を把握した代表のY氏は、普通の仕事契約ならこのプランは優に千万単位の予算立てになると言う。それをなんとか「協力してくれ」と頼み込まれるのだから困ったことだろう。でも、ある偶然が突破口を開いてくれた。ちょっとした四方山話から、彼の奥様が私の高校時代のクラスメイトの妹さんと判明。「しまった。これは無下に断れないな」と思ったらしい。ともあれ、Y氏のつてで現場の制作業者さんを紹介してもらうことになり、今日、その「S美術」さんに相談するため浦安まで行ってきた。

ここからはプランの構想だけでなく、具体的にどのよう方法で設置するかの現場の話が中心。この辺りのことは、その道のプロの知識と経験に頼らなければならない。特に、安全性と作業の効率性は重要。そして会社にとっての採算性をどこまで妥協していただけるかが乗り越えなければならない大きな山だ。
プレゼンとともに様々なことを検討しながら、現場を見なければ話は進まないということになり、S美術のK社長以下3者と、H氏、Y氏、その他オブザーバーで加わった展示会関係の方々と船橋港に接岸されている「SHIRASE」まで出向く。

着いて見たら、皆さんその大きさにびっくりした様子。ここにアート作品が設置されるのが楽しみという思いを、もしかして共有していただけたのかもしれない。設置予定場所のオーロラホールの状況を調べながら、設置方法はより具体化されていった。

いよいよ「出港」する気分で、打ち合わせ後夕日を眺める。

ここに至るまでの相談で、初期プランのように上から吊るすのではなく、トラスの支柱を立て、そのフレームに取り付けなければならなくなりそうだったのだが、結果的に当初の予定通り天井部から吊るすことが可能なようだ。支柱はないほうがはるかにいい。良かった。


作品の構想自体も大きな修正を余儀なくされることはなく、ある程度の変更をすればなんとかなりそう。そのための協力体制は、おかげさまでどうにかメドが立てられた。(と思って良いかな?)
そして作品のお披露目は5月2日と設定された。この日は昨年「SHIRASE」のオープニングセレモニーが行われた日という。一周年記念だ。あとは制作の方で乗り越えなければならない山がまだある。あと3ヶ月。時間はさほどない。これからやるべきことは多い。

一通り話を終え、「SHIRASE」の前方デッキから夕日を臨む。(上の写真)
後でY氏から聞いたのだが、社長のK氏は「SHIRASE」に向かう途中の車中で、「もう出港だな」と暗にゴーサインを部下に出していただいていたらしい。Yさん、K社長、本当にありがとうございます。これからさらにお世話になります。



■2011.1.24

  イタリアの香り

池田うえもん展「イアソンと美貌のメディア」(東京/トキ・アートスペース/1月30日まで)で、20年ぶりに池田氏と再会。1991年、ローマ市立美術館(パラッツオ・ブラスキ)の展覧会でご一緒し、何かとお世話になって以来。

お互いに顔を見て「あまり変わっていないようですね…。」そうかも。彼の方は既にローマ在住が人生の半分以上にわたり、「骨と肉はイタリア人、血は日本人」になっているらしいけれど。

作品は、水彩によるドローイングと、張り渡された赤い糸+毛皮のコート(フリース)を用いたインスタレーション。EU統合時にイタリアで移民法が改正された時の体験を元に、ギリシャ神話(アルゴー号とイアソンの物語)を絡ませて発想したという。
この日は朗読(一人の女性が、作品のフリースを羽織って英語で語る)と、本人によるトークがあった。さりげない素材の扱いなのだが、展示の方法や醸し出される空気感が確かに南欧的。


彼の話では、改正によりEU地域外の外国人の在住資格の敷居がだいぶ高くなり、国内でキチンと職を得て生活している証明をしないと更新が難しいらしい。彼はデザインのアートディレクターをしながら生計も立て、アーティストとしても認知され在住を続けているが、文化と芸術の国イタリアでも外国人芸術家は住みづらくなっているという訳だ。どこの国でもグローバリズムの広がりとともに、一方でナショナリスティックな保護主義が頭をもたげるのは歴史の宿命か。
カソリックの国では『芸術家は神のかわりに素晴らしいものを目に見せてくれる役割。大変に尊敬される』と、20年前同じ彼から聞かされ「さすがイタリア」と感心したものだが。

今月、NHKのBSチャンネルで特集されているイタリア関連番組を時折見ながら、彼の国の文化の知られざる深い部分や魅力を再認識。「北の方もいいな」とも思っていた矢先だが、長期滞在は無理だな。



■2011.1.23

  TAM

TOKYO ART MUSEUM(TAM)とプラザギャラリーに顔を出した。
ミュージアムで開催されている"Passion-情熱"で展示中の、知人のKlaus Pfeifferの水彩画を見るのと、オーナーの伊藤容子さんにお会いするため。そして、いろいろ耳に届いていた安藤忠雄による仙川地区(調布市)の再開発の状況も見に。

ミュージアムの建物は、細長い土地の形状をうまく使ったユニークなもの。安藤の複合的なプロジェクトを見られるということで、海外からの問い合わせや見学も多くなっていると言う。こちらはと言えば、東京にいながらなかなか来られず、入ったのは今日が初めて。

Klausは、ギリシャに長く居を構えて制作しているドイツ人アーティスト。伊藤さんとも古い友人である彼は、今回コレクションの作品展示だけで来日しておらず、「誰か見に行って様子を知らせてくれ。」といったニュアンスのccメールを送ってきた。返事をしてあげなきゃね。


久しぶりにお会いする伊藤さんとは、相続に端を発したこの地区の再開発でご苦労なさったことなどほとんどゼロから説明していただき、さらに、クラウスのことからお互いの今後の活動や協力のことまで、2時間くらいお話しさせていただいた。
エネルギッシュに語る彼女の生き生きした表情の裏には、執念とも言える自分の思いを貫いた強い意志を感じた。どうもありがとうございました。こちらも元気をいただきました。


■2011.1.20

  職業選択

「職業別進路ガイダンス」という、高校生に向けての企画が某高校で行われた。

ある教育研究所を通じて、高校1年生を対象に「画家・彫刻家の仕事」についてのガイダンスを依頼され、50分間を2回話した。他に「理容・美容」「栄養」「ペット」「看護・医療技術」「旅行・観光」等、二十以上の職業分野を各専門分野に詳しい関係者がガイダンスする趣向。職業選択に迷いがちな高校生に対し、早めに情報提供し自分の将来を考えてもらう目的で、興味ある分野の第二希望まで募り、各校で行われているらしい。
2回延べ約270名中、「画家・彫刻家」のセクションの参加希望者は、3名+5名の計8名。35人に一人の割合。まあ、こんなものだろう。いや、結構いるか。ただ、話を聞きたい希望者だけで実際志望するかどうかは別だけど。

他に「デザイン」「マンガ関連」「ファッション」のセクションもある。それらと別に「画家・彫刻家」を特化し、「わかりやすく、あくまでも一般論を中心に語る」(高校側の希望として)となると、この私がそのようなことを紹介する資格があるかはともかく、なかなか難しい。美大生レベルに自分の個人的体験を主観的に語るのならまだしも、まだ興味の浅い高校1年生に語りかける内容と言葉を見つけるのに苦労した。

いろいろ考えた結果、初めに生徒諸君には、こう断らざるを得なかった。「この話は、多分100人が話したら、100通りの話になります」と。また、「画家・彫刻家」というシンボリックな呼称以外に、芸術家、美術家、造形作家、アーティスト‥等にも広げないと、逆にイメージが限定されすぎ、誤解が広がりかねないことにも注意を促す。
それでもなんとか、仕事の魅力、発表する場や機会のこと、関連する人々(業界)との関係など、できるだけ敷衍して平易に説明することを心がけ、肝心の「生計を立てる」ことについてまで触れた。その厳しさも含めながら、ネガティブ情報が強調されすぎないように。興味があって本気で目指す生徒には役立ったと思いたい。

結果的に生計を立てられれば成功なのか、どれだけ自分で満足する作品を作り続けられるかが大事なのかの違いなど、若干難しい抽象的な話にも広がったが、少なくとも、一般的な就職の対象としての職業ではないことは感じてもらえただろう(当たり前か)。まあ、村上隆あたりが話せば、全く違う観点からパワフルに説明できるはずだが。

そういえば、もう一人の村上(村上龍)の「13歳のハローワーク」が出版され話題になったことがあった。これからを担う若い世代が、両村上のようなスタンスで「画家・彫刻家の仕事」をことさら特別視し過ぎることなく一つの選択肢として考慮し、かつ強いモチベーションで関わっていけるようになるとすれば、日本の文化力を下支えする美術の発信力は、もっとしぶとく強くなるだろうに。



■2011.1.17

  スタジオ放送

ソライロ・プロジェクトの説明をしてほしいということで、幕張テクノガーデンのウェザーニューズ社・グローバルセンターにある"SOLiVE24"(インターネット配信、BSデジタル配信など)のスタジオで生出演。なんと夜中の12:00からのゲスト出演。同社取締役の石橋知博氏(通称バシさん)がキャスターを務めている時間帯という。

石橋さんはウェザーニューズ社の若き牽引者として、ふだんから非常に忙しいらしいが、月曜から金曜まで深夜の時間帯を楽しいトークで仕切っている。内容はもちろん気象関連の様々な話題が中心だが、話題は多岐にわたる。
自ら体を張って自社のプロモーションに関わる姿勢はたいしたものだ。周囲のスタッフの人たちも、楽しみながらキビキビ仕事をしている。みんな仕事に使命感をもっているのもいいね。活力あふれる会社の雰囲気の一端が良くわかる。

バシさんは小気味良いトークで、人を乗せるのがすごくうまい。現代アートの話やパフォーマンスのことなど、私のプロフィールを紹介がてら、休憩をはさみ30分間ほどプロジェクトのプランのことを聞き出してくれた。 ⇒詳細はこちら

私もできるだけ硬い専門用語を避けながら、平易な語り口を心がけたつもりだが、さて、どうだったろうか? 
なにしろこれは協力してくださる方々の理解と協力がないと進まないプロジェクト。今後の展開の広がりを期待し、ついつい熱がこもってしまった。

スタジオの調整室
マケット(模型)でプランを説明

そう言えばスタジオ生出演はよく考えたら初めて。話しながらカメラの脇にあるモニターをチラッと見たら、バシさんのスマートな顔立ちに比べて、私の顔がかなり赤くふっくら映っていたのには苦笑い。スタジオはやっぱり暑かったしな。


■2011.1.10

 (へり)と縁(えん)

前回、埋め立て地のことを少し書いたが、この日たまたま所用のついでに足を延ばしてみた。祭日のこの日はゴミ収集車や工事車両もさほど走っていない。臨海大橋の建設現場の近くまで行くと、静かでのどかな空間が広がっていた。
臨海大橋はトラス構造。航空管制のため背の高い主塔を用いず、桁下もかなりの高さがかせげ、大型船も通行可能になるという。枯れ草の向こうにそびえ立つ巨大な橋脚の工事現場は、かつての埋め立て地の面影を彷彿とさせた。
しかし、対岸の先にそびえ立つ建設中の東京スカイツリーの姿もそうだが、ダイナミックで肯定的な未来がさほど感じられないのは、工事関係者が少なかっただけの理由ではあるまい。何かが違う。

工事中の臨海大橋 もうじき両端が接合完了 東京港の向こう側に見える工事中の東京スカイツリー

現在、埋め立て地らしい光景が見られるのはこの辺りと、あと僅かな場所(中央防波堤外側の新海面処分場など)を残すのみ。かつてゴミ、草原、工事現場が広がっていた地帯(13号埋め立て地などと呼ばれていた)は、アスファルトに覆われファッショナブルな街となり、イベント会場、各種の倉庫スペースが立ち並ぶようになった。今の、テレコムセンターや東京ビッグサイト等の辺りがそうだ。
 

例えば、写真のような風景が大きく変貌した。
1986年10月 現在の青海・テレコムセンター辺り
延々と広がる草原の向こうは海
1986年12月 現在の中央防波堤の北端辺り 
北西の向こうは都心の東京タワー
1989年1月 現在の若洲海浜公園辺りの造成現場  1994年11月 処分場だった中央防波堤
向こうは工事中の
フジTV社屋

変わったのは視界に入る光景だけでなく、目に見えない何かなのだろう。

しかし、今でもついつい、縁(へり)の方に足を延ばしたくなるのはなぜか? それはこの向こう側がどうなっているのか、という小さな冒険の成り行きかもしれない。空間的な縁だけではない。時間的にも「この先どう変わっていくのだろう」という好奇心の発露もある。半分、恐いもの見たさなのだ。フロンティア精神と言うと少々御大層だが、私のこの性向は昔から変わらないままのようだ。
そう言えば、今日の埋め立て地では、久しぶりに心がザワついた。それは巨大な風力発電用風車がブンブンと回転する影を落としている下を通った時…。
(下の写真)

自分の姿が明と暗によって目まぐるしく交互に出入りされ、身体が消えては生じ、生じては消える奇妙な感覚が浮上した。
この季節のこの時間帯の太陽と風がもたらした遭遇。これも一つの縁(えん)。久しぶりにここ埋め立て地の縁(へり)に来てよかったと思った。

何が変わったのか探りに、また、時々訪れよう。


■2011.1.4

  年頭にて

三が日の間は、ほとんど人通りのない都心を気ままに歩くのが面白い。

20〜25年くらい前はよく湾岸の埋め立て地に行き、進入禁止の場所などに入り込んでいたものだが、最近は正月の間の侵入はご無沙汰。当時、開発中とそれ以前の風景のコントラストや、変化する時間のスピード感が面白かったが、現在はそれほどでもない。
開発され尽くした後に一息ついて、真空地帯のように取り残された昭和の風景が残っているような場所の方が、今の時代の気分に合う。新旧や大小のコントラストというよりも、脆さとともにあるささやかな存在そのもののに眼差しがつい向かう。時の流れもゆっくり沈殿するような溜り具合がいい。
日本も、私の身の周りのいろいろな環境も、身の丈のダウンサイジングに汲々しているしな。

今年(2日)は、品川から高輪、三田、麻布方面へ3時間ほどブラついた。思いつくまま、直感的に方向を定めながら狭い路地に分け入る。いくつか興味深い場所に出くわした。
そして今日4日は、善福寺公園周辺。ここはあるプランを考えるために行ったのだが、なかなかアイデアの突破口が見つからなかった。ちょっと歩く時間が短かったかな。

予定調和的ではない何かの出来事に出くわした方が、人の想像力は動き出す。奇妙な知覚の歪みの中の方が、整合的で合理的な世の中の動きよりも面白いこともある。
今年は、身の周りではちょっと波乱含みな変化の予兆があるが、逡巡して立ち止まったままにならないようにしたいものだ。

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

三田界隈で見つけた枝に残った柿の大集団を見上げる。奇妙な遠近感が生じる光景。


地下鉄駅構内の楕円形の凸面ミラーに映った歪んだ風景の中の私。




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