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2009年 (1) ⇒ 活動状況 2012年(1)
■2009.4.29
カーテンコール
銀座にあるフタバ画廊が6月に閉じ、41年の歴史に幕を下ろす。
今年に入り、カーテンコール(curtain call)展というシリーズが随時行われており、このシリーズの最終週(6月15日〜6月21日)に私の個展が行われることになっている。(画廊最後の展示は野見山暁治先生。「先生」とお呼びするのは大学時代にお世話になったので。ある人が、この意外な組み合わせの流れに不思議そうな顔をしていたのが可笑しかった。)
1998年に、七丁目にあった以前の場所から現在の一丁目に移転してからもすでに10年以上過ぎた。この時も「フタバ画廊移転準備室」として、"Removal Projects"という新スタート企画の、確かこれも二番目に個展をさせていただいたことがある。偶然だが、不思議なご縁だ。
あの時から村瀬翔子さんが代表として活躍なさり、質の高い現代美術専門の画廊として、また優秀な若手作家が輩出される画廊として評価が高かっただけに、ご本人の体調不良で代表から退任され、そして閉廊に至ったことは誠に残念なことである。しかし、何かの縁でこのような画廊の「初めと終わり」に関わらせていただくことになったのは、私にとっても光栄なこと。短い期間だが、力を尽くして展示をしたいと思っている。
今日、打ち合わせで村瀬和平会長とお会いし、昔のフタバ時代の話を含めいろいろお話をさせていただいた。一昨年の個展でも、ご夫婦でわざわざ遠い所を足をお運びいただき望外の幸いだった。90歳にならんとするとは思えない矍鑠(かくしゃく)とした物腰で歩き、会話をなさるご様子は、非常にお元気で、感服させられる。今の時代、銀座で画廊を継続することの難しさも語られておられた。人と人の間の信義・礼儀を重んじる方であり、また、時代の流れを読む勘の鋭い方だとあらためて思った。お若い頃はバリバリと仕事をなさっていたことも彷彿させられた。
さて、これから個展の準備・制作も佳境に入るが、これについては、あらためてご案内します。
■2009.4.26
相互監視社会
SMAPのメンバー・草○○氏が起こした事件の顛末(てんまつ)を考えるに、少々暗澹たる思いがわいてきた。本人のしたことは無論ほめられたことではないが、あれほどメディアがこぞって取りあげ大騒ぎする程のことだったのだろうか? 公然わいせつといっても深夜の誰も見ていない公園。甘いかもしれないが、駆けつけた警察官がその場で取りなし「まあまあ」と服を着せ、穏便に済ませるという普通の(と私は思うのだが…)対応になぜ至らなかったのだろう。いや、至れないのだろうか。
これは警察官個人の問題ではないだろう。明らかに今の社会のシステムの問題だ。警察官は通報を受けたら調書を取らなければならない。様々な犯罪を予防、阻止するのがシステムにおける彼らの役割だ。そして、メディアは鬼の首を取ったように過剰に報道し、ワイドショーのコメンテーターはしたり顔で正義感を振りかざす役割を果たす。
我々の社会(日本だけではない)は、「安全」とか「法令遵守」という名目の元に、それを問いかけるべき対象を峻別する能力を見失ってしまっているような気がする。そう言えば、いつの間にか街中に監視カメラが常在する事態にも慣れてしまった。システムの中で、ほとんどの市民はその相互監視社会における役割を忠実に遂行することに傾注させられてしまう。もちろん、私自身もそこからのがれることはできない。
誰からも後ろ指されることのないよう防御し行動することそのものが第一義となる。換言すれば、何か問題が生じた時、自分には問題がなかったと言い訳できるような事前の手続きに、過剰な時間とコストをかけなければならない。これは教育現場や企業社会をはじめとする様々な組織、私たちの日常生活にどっぷりと浸透してしまった。G・オーウェルの『1984』の社会を彷彿とさせられるが、今の現実の方は、小説のようにの縦(ピラミッド型)の権力構造からもたらされるのではなく、ネット社会と並走しながらグローバリゼーションやメディアという横(水平)の構造を備えている。そう、このシステムの底に誰かの悪意があるというわけではない。かえって質(たち)が悪い。
ああ、なんてつまらない社会、システムを許容してしまったのだろう。一方、自己を内省したり他者に対する想像力を広げたりする時間を失い、その能力がますます萎縮していく…。
4日のこの欄に書いた「安全・安心まちづくり条例」の件も連想しつつ、つらつらとそんな思いが頭を巡った一日。
■2009.4.22
直感的決断から
秋に行われる展覧会の下見で、会津の福島県立博物館へ行く。
トンネルを超えてこの地に入ると、まだ肌寒い。会津盆地には、たびたび参加したパフォーマンスフェスの関係で、今までいくつかの場所を訪問する機会があったが、この博物館に来るのは初めて。昭和61年開館というから20年以上になる。想像していたより大きく、立派な外観と展示に少々びっくり。
まだ、準備段階なので詳細は省くが、大体の内容としては、ここの収蔵品資料と空間を現代美術作家が利用し、新たなミュージアムのあり方を問い直していくというもの。まず、そのために収蔵品の様々な資料を拝見させてもらい、作品づくりの構想の第一歩を踏み出そうという目的。
展示されている資料を、自由に自分の作品に取り込めるのが作家としては魅力的。展示室や収蔵庫も見せていただいた。地域的にはこの周辺エリアに絞られるものの、時代的には原始時代から近代まで、研究対象も考古学・民族学的な文物から自然科学的な資料まで多岐にわたる。ほとんど予断を入れず白紙の状態で行ったのだが、思ったより"お腹いっぱい"の状態となってしまった。
初めは、見てから後でじっくり構想をスタートさせようと思っていた。で、どうしようか考えながら迷っていたのも束の間、学芸員の方々の熱意ある説明やプレゼンを聞いて、直感的に「よっしゃ、こんな感じでいこう」とにわかに瞬発力を発揮。まず、場所のあたりをつけてしまった。もちろん、ちょっとしたインスピレーションが湧いたせいもあるが。
乱暴かもしれないが、考える材料が多いと感じた時、一つ一つ潰していくと感覚が鈍麻したり惰性化した慣習的作法で対処してしまう危険性がある。全てにとらわれすぎない方が良いこともある。今回は、まずザクッと切り取ってみる。思考やイマジネーションを深めるのはその後でも大丈夫だ。
この構想にまつわることは、追々、記していくことになるだろう。
■2009.4.20
ポエトリーアクション・その後
昨日まで5日間程、セルジュ&キアラが我が家に滞在、そして日本の春を満喫し帰国していった。
彼らは10日の東京公演後、主催者が用意したホテルをチェックアウトし、プライベートでしばらく我が家に滞在する予定だった。ところが、急遽思い立って長野の霜田さんの所に行き(小布施で北斎も見て)、その後とんぼ返りで再び東京に戻り、霜田さんが断続的に行っている「ニパフの現在」というキッドアイラックホールでの公演に飛び入り参加。その後我が家へ、ということに。エネルギッシュで行動的なおっさんだ。その場の思いつきですぐ行動に移すところは、やはりパフォーマンスアーティスト。
気の置けない仲なのでこちらも家のスペアキーを預け、彼らの好きなようにしてもらう。
自力で鎌倉、上野の博物館や恵比寿の写真美術館、浅草などへ行ったようだ。私たち(妻と)も折りをみて、MOT(東京都現代美術館)とMOMAT(東京国立近代美術館)、皇居周辺、早朝の築地魚市場、東京湾岸、原宿、ホームセンターなど都内各所を案内。キアラ(彼女の専門は映像制作)は初めての日本だったせいもあり、興味津々で写真撮影をしていた。
まあ、こちらも海外では、精力的にいろいろ歩き回るから気持ちはよくわかる。「仕事(公演)」を終えた後のこういう時間はリラックスし、疲れていてもけっこう動けてしまうものだ。感受性が活性化し、インスピレーションもどんどん湧いてくるしね。
会話はスムーズには通じないが、時間をかければおおよそは理解できる。話題も断片的だが多岐にわたる。セルジュの、カストロやH・ミラーに会った話などにはびっくりした。
私が知らなかったこともいろいろ知ることができた。性格的に開放的で明るく、こちらに対する気遣いも忘れない。世代的に(彼は'50年生まれ)日本の伝統的な文化的特質もちゃんと理解していたりするので、こちらも楽しい気分になる。
とはいえ、お互いにもうちょっとコミュニケーションが深くできたら良かったのに、と口惜しい部分もあることはある。私はフランス語、彼らは英語をもっと覚えなきゃ、と慰め合ったが…。
そう言えば、セルジュからは「パフォーマンスにおける儀式的側面」ということについて宿題(何か寄稿くれという依頼)をもらった。うーん、ちょっと一筋縄ではいかない深い部分だな。ゆっくり、まとめていくか。
■2009.4.10
ポエトリーアクション
セルジュ・ペイ&キアラ・ムラス 日本ツアー「ポエトリーアクション」が、東京日仏学院で行われ、霜田誠二氏とともに再びゲスト出演した。
今回は前回とは逆順。夜7時過ぎ、庭のテラスで照明がしだれ桜の花を引立てる中、まずセルジュ&キアラからスタート。彼の十八番(おはこ)のトマトが登場するアクション。アーミー服を着たキアラの身体から取り出された金目鯛に、多数の注射針を活け花のように彼女自身が刺していく。その後、二人でテラスに並べられた紙片(詩編)やガラス片の上に置かれたトマトを握りつぶしたり、ガラスを割っていく。その間、彼のダイナミックなリーディングの野太い発声が響き渡る。
その後、そばの柳の木の根元のベンチの上で霜田氏が。最後に屋内のステージで私。
今回の私の作品は、使用アイテムとして椅子、メジャー、時計、地図、脳模型、ロープなど。こじんまりとしたステージでもあり準備時間の余裕もあったので、事前に上記の素材をインスタレーションしておいた。多様な象徴的なアイテムを用いたが、行為そのものは100mほどのロープを自らの頭部に巻きつけていくシンプルなもの。
S・ペイ&C・ムラス ⇒ 拡大 霜田誠二 丸山常生
前回もそうだったが、ゲストの霜田氏と私は言葉の発声はなく、アクションのみ。セルジュ&キアラは「ポエトリーアクション」としての言葉が「真っ当」に登場する。多分、観客にとってはその無音と発音の対比が面白く感じられたのではあるまいか。
真っ当といっても、彼の詩(言葉)はフランス語を解する人でもわかりづらいようだ。言葉はかなり解体されている。つまり、詩としてのメッセージ伝達のみが重要ないわゆるポエトリーリーディング(詩の朗読)ではない。そう、これは1960年代のビート詩(ビートニク)、A・ギンズバーグなどに端を発するポエトリーアクションの水脈につながる。いや、もっと古くダダやロシア・アヴァンギャルドのマヤコフスキーあたりまで遡るのだろう。そういう意味で20世紀前衛精神の系譜を「真っ当」に引き継いでいる。
詩的言語にオブジェが加わり、あたかも歌を唄い踊るようにアクションする。さらにヨーロッパ古層文化の香り(セルジュはトゥールーズ出身、バスク地方の伝統などにもつながっているらしいし、キアラもイタリア・サルディニア島の独自文化が出自だ)や、フランスのパタフィジック哲学が加味される。それが彼ら固有の「ポエトリーアクション」なのだと思った。
たとえフランス語がわからなくても、そのエッセンスは感じることができる。
そして、アクションとともに詩的想像力を喚起するという点では、表現母体の出自(霜田氏は詩と舞踏的身体、私は現代美術)は異なっても同じフィールドを互いに共有し、また、観客も「ポエトリーアクション」としての連係を共感できたのではないだろうか。
主催者をはじめ、今回お世話になった方々に感謝申し上げます。
■2009.4.7-8
桜満開の時節にて
今年の桜の開花期間は長い。
東京では先月23日ごろ開花。途中、寒の戻りがあり、その後の天候に恵まれた。雨に遭うことも強風で散ることもなくまだ咲いている。かれこれ2週間を超えている。
7日は、愛知芸術文化センターで「ポエトリーアクション」の公演。名古屋市内の桜は折しも満開の盛りだった。
前日に名古屋に入り、セルジュ・ペイ、霜田さんと久しぶりの再会ということで一杯飲む。キアラ・ムラスは、セルジュの現在のパートナーで、会うのは今回初めて。サルディニア出身の大きな瞳が印象的な小柄な女性。主催者を交え、翌日の公演ことなども打ち合わせするが、セッティングの条件が何かと不確定で、結局、翌日の仕込みの時間(開演のわずか90分前!)になってみないとわからない、ということに。
私は、4mほどの棒と椅子、のこぎりとハンマーなどを用いた20分ほどの『均衡(equilibrium)』というアクション。桜の満開を味わったせいもあり、花弁のついた桜の小枝を即興でアクションの中につけ加えた。この日は私がトップで次が霜田氏、そして最後に彼らという順。
霜田氏は、大きな動きを抑制し、指先の動きをメインに一カ所に立ったまま行うアクション。
セルジュ&キアラは、もともと予定していた演(だ)し物が結果的にできなかったようだが、さすがにベテラン。動じることなく、会場の椅子をバリケード状に積み上げ、その周囲に自身の詩が記述された紙片を張りつけ、キアラの音と映像の中で行う音響詩のアクション。
丸山常生 霜田誠二 S・ペイ&C・ムラス
それぞれの味が出ていて、結果として全体的には良い組み合わせだったように思う。まあ、こういうこと(予定調和的でない、「事」の成り行き)は、この世界(パフォーマンスアート公演の現場)ではよくあること。けっしていい加減なのではなく、どんな状況の中でも自分のやりたいことを瞬発力で出し切ることが試される。
セルジュ&キアラは、この後京都で公演。10日に再び同じ3組が、多分桜吹雪が舞い散っている東京(東京日仏学院)で行われる。(会場の情報は3月16日の欄を参照。)さあ、今度はどういうことになるか?
桜は長過ぎても興ざめしてしまうことがある。短いからこそ印象的なものがパフォーマンスの現場でもしばしばあるものだ。
■2009.4.4
表現の自由のゆくえ
東京都安全・安心まちづくり条例が「改正」され、今月の1日から施行された。
これは2月18日に提出され、3月17日に都議会の総務委員会で審議、翌18日に可決。そして27日に都議会で採決・成立と、かなり早い経過を辿った。
俗に「街頭パフォーマンス規制条例」とも言われている。
もともと2003年に制定されたこの条例に加えられた改正(?)は、巷では様々な論点から問題があげられているが、なぜこのように言われるかというと、「繁華街(街頭や歩行者天国など)の来訪者などに、大衆に多大な迷惑となるパフォーマンス等、街の秩序を乱す行為を慎む」という内容が折り込まれているからだ。「秋葉原のメイド撮影会での下着露出や、大音量のライブ、落書き」などが、建前として想定されたらしい。まあ「義務を負わせたり、規制を課すものではない」と付け加えられたのは救いだが。
個人的に気になるのは、警察や自警団(あるいはガードマン個人など)にこの条例が拡大解釈され、暴力的な規制、排除、取り締まりが横行することになりはしないかということだ。(他にもいろいろ細かい点はあるが…。)私自身は、ゲリラ的なパフォーマンスをする志向性はさほど強くない。しかし、表現の自由や、表現への可能性が萎縮させられる危険性がこの条例改正の行く先には感じられる。
そもそも都市とは「アジール(自由な場所)」があってこそ魅力的なのだ。街の安全を維持するためという名目で、相互監視社会がますます強化されていく呼び水になるかもしれないこの条例の運用を、注視していく必要がある。
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ところで、前回お知らせしたパフォーマンス公演についての補足。
来日するセルジュ・ペイは友人である。以前、彼とヨーロッパのフェスティバルで会い、いくつかの都市を一緒にまわり公演した。彼は英語が私以上に得意ではないが、私のいくつかのパフォーマンスを見てずいぶんと気に入ってくれた。「アナーキスト!」と私のことを呼んで、ちょっとこそばゆい思いをした記憶がある。彼のパフォーマンスは、トマトなどを用いる儀式的なアクションとともに、野太い声で自らの詩を音響詩として語る(唄う)魅力的なものだ。
今回は彼のリクエストで、私と霜田誠二氏がゲストとして呼ばれた。私は2カ所(名古屋と東京)とも20分ほどの短めのパフォーマンス(2回とも異なるもの)を行う予定。
どうぞ、お楽しみに。
パフォーマンス公演のお知らせです。
下記の、愛知と東京の公演にスペシャルゲストとして出演します。どうぞお越し下さい。
詳しいことは、後日あらためてご案内いたします。
ポエトリーアクション
セルジュ・ペイ&キアラ・ムラス 日本ツアー
名古屋ー京都ー東京
入場無料
主催 東京日仏学院 アリアンス・フランセーズ愛知フランス協会 関西日仏学院
○ 愛知芸術文化センター
2009年4月7日(火) 19:00〜
⇒ Web site
セルジュ・ペイ&キアラ・ムラス:赤い線
丸山常生:均衡
霜田誠二:アクション・ポエトリー
○ ヴィラ九条山
2009年4月9日(水) 19:00〜
セルジュ・ペイ ソロ朗読
詩人であるな、鳥であれ、我々はー握りの地上の鳥なのだ
○ 東京日仏学院
2009年4月10日(金) 19:00〜
⇒ Web site
セルジュ・ペイ&キアラ・ムラス:黒い線
丸山常生:転移
霜田誠二:アクション・ポエトリー
セルジュ・ペイ Serge Pey
セルジュ・ペイは音楽や造形芸術的側面を合わせ持った独自の作品をフランス現代詩界に長年提示し続けている。視覚詩人として、自身のテクストを木の枝に書き込み韻律分析を具現化し、パフォーマーとして音響詩作品の発表をしている。彼の作品にはある種のハプニング、ポエトリー・アクション、儀式的側面が混在している。音響詩について博士論文を発表し、トゥルーズ・ル・ミライユ大学で教鞭をとる評論家でもある。
キアラ・ムラス Chiara Mulas
1972年、イタリア、サルデーニヤ生まれ。儀式と民族詩をテーマに創作を続けている。死に関する伝統儀式を研究し、それらを現代的な方法論により再現する。ヴィデオアーティスト、パフォーマー、造形作家であり「コンテンポラリーアート」と「侵犯」に対する新しい関係を生み出している。セルジュ・ペイと数年にわたり共同でデュオパフォーマンスを行っている。セルジュ・ペイとキアラ・ムラスは彼ら自身を「芸術の境界線を断ち切る詩人」と定義し、その朗読に、パフォーマンス、ポエトリーアクション、視覚詩、哲学を混在させている。
(チラシより抜粋)
■2009.3.10
折り込まれる時間
先週、水戸芸術館でツェ・スーメイ展 (TSE SU-MEI ルクセンブルク出身) を見た折、『名人 - 川端康成に捧ぐ』という写真作品があった。前回のこの欄で書いた浦上玉堂の作品が、川端康成の愛蔵だったということもあり、そのタイトルを見た時、不思議な縁とタイミングを感じた。ふだん川端康成のことなど、全く気にしていなかったのだが…。
ツェ・スーメイの作品がとても魅力的で、彼女がインスピレーションを受けたという川端の『名人』を読んでみた。
囲碁の第21世本因坊秀哉名人の、昭和13年に行われた引退碁の実録小説。不敗の名人と呼ばれた秀哉が、死を賭して一手一手を打ち続ける。終局に向っていくにつれて織り成される心理的な文(あや)の描写が秀逸。囲碁に馴染みのない人にとっては、手順の説明などの表現が退屈かもしれないが、私には面白かった。
私は10代の時、肺結核で長期入院し、周りの大人たちから囲碁の手ほどきを受け、いろいろな関係書籍にもあたったことがある。40年近く過ぎた今はもうすっかりご無沙汰だが、ルールくらいは今でも覚えている。
そのシンプルな原理の中に潜む千変万化の世界は、素人目で見ても魅力的だ。純粋数学や抽象絵画の世界とも相通じる。
「三百六十有一路の中に、天地自然や人生の理法をふくむ」(同書より)とも言われる。
主に二つのことを感じた。
一つは、日本の近代以前の「芸道」としての伝統を引き継ぐ感性のあり方。
秀哉には勝負に徹しつつも、芸術作品として盤面を作っているという美意識が強烈にある。そこには特権とか狡猾さなど封建時代の遺物も半ば含まれている。西洋型の、公平を原則とし合理的な考え方で競うゲームやスポーツでは、いつの間にか置き去られた諸々のことがかろうじて遺されていた時代…。彼はその最後の時代に生きた。(現在のグローバリゼーションの奔流の中、文化的多様性と固有性ををいかに保持していくかの問題に関わるこのことについては書き出すときりがない。別の機会に譲る。)
もう一つは、時間に対する感覚。これが思いがけず刺激的だった。
この引退碁の対局者の持ち時間は、各40時間という今では考えられない長さだった。そしてこの一局の対局そのものが、名人の体調の不良もあり14回も打ち継がれ、打ち初めから終局までほぼ七ヶ月にもわたったという。
先の合理的な考え方からいえば、いかにも間延びした時間のようにしか思われない。が、そうではない別種の時間がこの間支配していたことを川端の小説は教えてくれる。細部の局面局面に様々な次元の異なる時間が折り込まれており、それを伸長するとこの時間になるのだった。
この感覚、実は作品を制作する者にとっては馴染みのあるものだ。
何もしていない時でも、作品の実現・完成につながる何かが孕まれている。あるいは、どんなに短いアクション、どんなに簡単に引かれた一本の線でも、そこに折り込まれた濃密な時間がある。
良い作品が生まれる条件の一つには、こんなことがある。
■2009.2.26-27
脳内イメージ
ある一枚の絵画を思い起こさせた風景との邂逅。
この二日間、甲州の山中にいた。
自然の地形を利用しながら築庭された栖雲寺(せいうんじ)庭園は、急斜面に巨大な岩塊が積み重なり、庭園と呼ぶには作為がほとんど感じられない禅修行の場だった。そこの高い場所から南東側に開けた谷の向こうに臨む山々の山稜や木立群を眺めていた。(1)
ある既視感が心をよぎった。
その後、山を下りる途中、幹や枝先までびっしりとゼニゴケのようなガサガサした苔で覆われ、枝ぶりが奇妙に交錯した古木(枯梅?)の佇(たたず)まいに出くわした。(2)
はぁー、少し腑に落ちた。
翌日、雪雲が駆け足で東日本を通り過ぎ、山々が一時的に冠雪をした。常緑樹の葉の上に積もった雪の白さと影のコントラスト、小雪と遠くにかすむ雲のグレートーンが眼に沁み入る。(3)
脳裏のイメージがクリアに。
(1) (2) (3)
この三つは、場所も時間も異なるのだが、それぞれが複合して一つの絵画的風景を連想させた。
一幅の文人画(南画)が私の脳裏に映し出される…。
■2009.2.23
人の記憶
アカデミー賞のニュースが流れたこの日、外国語映画賞を獲得した『おくりびと』をちょうど見たところだった。 全体的に巧くまとめられた作品だと思う。ユーモアあり涙あり。脚本も練られ、映像も音楽もオーソドックスで素直に見られる。
しかし、受賞までするとは意外で、ちょっとびっくりした。芸術性よりもTVドラマのような親しみやすさ、癒し系の内容が、世界や日本の人々の心の隙間を埋めるようにしみ込んだタイミングだったのだろうか。まあ、作品論はここでは述べまい。
見ながら、自分の両親の葬儀の折りの納棺や出棺の思い出が少しよぎった。そして、私自身が「おくられびと」になる場合はどうなることやらと…。
10年程前、父親の介護であくせくしていた頃、自分の生い立ちや、亡き母に対する記憶、自身の記憶が薄れ行く父に対する思いなどを素材にしたパフォーマンスを幾度か行った。私には珍しい「語り」を入れた、少し情緒的で物語的なパフォーマンス。
途中、観客にこう問いかける。
"Where do you want to die?”「あなたはどこで死にたいですか?」
彼ら彼女らは少し戸惑いながら答える。「砂漠」「生まれた街」…等々。
そして、いくつかの行為をはさんだ後、取り囲んだ観客に向かって、モニターにそれぞれの眼が大写しになるようにTVカメラと虫眼鏡を向け、次々に語りかける。
"Keep this Memory, please..." 「どうかこれを記憶して下さい…」
つい先日、自分の作品のDVD編集作業をしていて、このシリーズのパフォーマンスを久しぶりに振り返って見たばかりだった。
この日は、映画を見たその足で、ニパフ(NIPAF'09)東京公演の初日も見に行った。
その折、代表の霜田さんからベラルーシのアーティスト、ビクトール・ペトロフをたまたま紹介された。そしたらなんと11年前、ポーランドのフェスティバルでお互いに会っていて、私の先のパフォーマンスを見ていたと彼が即座に言うではないか。そして他の土地でも、私の資料(ビデオ?)を見たことをあるとも。こちらは彼の顔も名前もすっかり失念していた。
いやー、申し訳ない…。"Keep this Memory, please." などと言っておきながら、当人が忘れているとは。あっ、でも私のささやかなパフォーマンスが、そのねらい通り、遠い異国の一人のアーティストにメモライズされていたわけだ。
記憶の移ろいやすさ、はかなさ、そしてかけがえなさとどう付き合っていくか?
客観的事実としての記憶(これは歴史学や生理学などの領域だ)の確認が、価値観の最上位に置かれることは社会的には大事だろう。しかし、個人的には、主観的確信や感情の中の記憶の揺らぎと、もっと上手に関わる術(すべ)を身につけていく必要性がますます増してきた。それは自分のアートの深い所でつながってくる問題でもある。
『おくりびと』では、石文(いしぶみ)という美しいエピソードで、その一つのあり方を示していた。
■2009.2.18
スピーチ
村上春樹が周囲の様々な反対の声がある中、エルサレムでの授賞式に出席した。
自らの一挙手一投足が、善かれ悪しかれ政治的意味合いを帯びてしまう可能性がある立場、しかも、その妥当性を喧(かまびす)しく騒がれてしまう立場の者にとっては、悩ましい判断を迫られたことだろう。結果として、一人の表現者としての立場を全うしつつ、誠実で賢明な態度を貫いたと私には感じられた。
その時のスピーチ(英文)が公開されている。 ⇒ エルサレム賞受賞スピーチ "Always on the side of the egg"
この内容だったら行ったこと自体の是非は、是として受け止めて良いのではないだろうか。
壁と卵のメタファーが印象的だ。
バランスと抑制の利いた自己分析と状況把握を表明しつつ、卵をパレスティナの非武装市民になぞらえ、"I will always stand on the side of the egg." (自分はいつも卵の側にいる)。さらに続けてもう一度、"I will stand with the egg"と率直に明言した。そして、単純な二項対立(イスラエル対パレスティナ)から離れ、"Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell." (私たちひとり一人が多かれ少なかれ卵であり、唯一かけがえのない魂を抱えた壊れやすい殻に包まれた卵である)と、個人としての人間の尊厳性に向かう。
壁については、爆撃機、戦車などイスラエルの攻撃のメタファーであることを明確にしつつ、システムという、人類全体の組織が抱えるもっと大きな問題点へと敷衍していく。このシステムについては、抽象的で曖昧な言い方に留まっているが、文学者のメッセージとしてこれで充分だろう。政治的妥当性(PC=ポリティカル・コレクトネス)を厳格に主張するアクティビストには、中途半端で軟弱に感じられるかもしれないが。
彼の態度とそのメッセージ内容は、伝統的な文学者(芸術家)のスタンスを踏襲しており、決して目新しいものではない。以前、この欄でサルトルの問いかけについて書いたが、今回の村上のスピーチはそれに対する彼流の返答とも言えるだろう。
彼は現実社会と無関係に芸術至上主義を標榜している訳でもない。それなりに政治や思想の季節を密かに内面的に消化(つまり現実に対する無関心さや、PCに凝り固まった立場を止揚しつつ)した上で、今の時代にあるべきしなやかなポジションを獲得しているように思える。
そういえば、オバマ大統領の就任演説のスピーチも、政治家のものとしては決して悪くなかった。明快で、ある理想主義に裏打ちされていた。が、超大国の政治家としてのメッセージの限界も一方で感じた。(例えば、イスラムなど他宗教に対する配慮はあっても、ネイティブアメリカンの歴史にまで言及する視野はさすがに取れなかったようだ。自国の成り立ちの正当性を否定することになりかねないし。)当然のことながら、一国の指導者としての責任と義務の枠を逸脱するわけにはいかないのだろう。
村上春樹自身は、自分の態度が政治的色合いを帯びてしまうことは百も覚悟の上で、個人的メッセージと断りながら、「立ちすくむよりここに来ること、目をそらすより見つめること、沈黙することより語ること」を選び、世界に向けて発信した。そこで発せられた言説は現役政治家にはできない、一人の表現者として取りうる一つのスタンスだろう。
私はけっして彼の良い読者でもファンでもないが、今回、チャプリンの「独裁者」のシーンや、ジョン・レノンのメッセージなども、つい連想してしまった。そのような既視的なある種の懐かしさを覚えさせつつ、今の時代性を感じさせるのは、彼の文体のなせる技(マジック?)かもしれない。ひょっとしてノーベル賞でもとったら、先人たちのように世界中の人々にいずれこのメッセージが広く受け入れられ、伝説化していくことになるのだろうか。
(追記)
今回のメッセージが、イスラエル(ユダヤ)の人々にどのように受け取られたのかにも興味がわく。一神教的な、ものごとのエッジを極端に際立たせる気質の人々にとってどう感じられたのだろうか。メッセージ中の、村上の父親の仏教的な祈りのエピソードは日本人には馴染み深いものだったが、多分、この曖昧さを批判的に捉える人もかなり多いだろうと想像する。
このあたりの感受性や思考性の根源的な違いは、私自身の制作観の中でも大いに気になっている点だ。いずれ、私の個人的なイスラエル体験(1995年に一度訪問した)のことも含め、何かの折りに追跡して記してみたい。
■2009.2.1
想像力の芽生え
最新の考古学、言語学、脳科学などの研究成果で、「言語の発生」はかなり古い時代らしいということが推測できるようになった。それによると、ホモ・サピエンスが出現した約12〜15万年前という従来の説よりさらに数十万年も遡るという。少なくともネアンデルタールは言葉を使っていたことは確実らしい。アウストラロピテクスの時代(約400万年前)まで遡る説もでているくらいだ。
言葉を使えるようになったのが、身振りから単語へ移行していったのか、唄のような音楽的な発声が言語化していった結果なのか、その推移を想像することはスリリングで刺激的だ。パフォーマンス(アートとしての)について考えるときにも、避けては通れない基礎演習のようなものだ。答えが出ない深遠な問いかけとして。
府中に友人の個展を見に行くついでに、ふと思い立ち、多摩動物公園へ足を伸ばした。お目当ては霊長類。サル、オランウータン、チンパンジーを久しぶりにじっくりと観察してみた。
3歳の子どものチンパンジーが、自動販売機にコインを入れ野菜ジュースの缶を取り出す。(他の大人のチンパンジーはこれを覚えないらしい。『100匹目のサル』現象とは違う状況だ。)まあ、これだけなら不思議ではない。凄いのは、その自分の行為が、周囲の仲間たちにどのように影響を及ぼすかを想像しながら、取り出すタイミングを選択しているらしいことだ。自分だけがゆっくり飲めるように周囲に誰もいない時を見計らって取り出すのだ。つまり未来を予想し、現在の行動に結びつけているということ。
もう一つ、これもやはり若いオランウータンが、日向ボッコをしながら、段ボール箱、コップ、チリ取りなどで延々と戯れている。特に、段ボール箱を広げたり閉じたりしながら、自分が籠る空間を様々な形で囲おうとしているの様子に眼を見張った。周囲からは「ホームレスみたい」などど声が上がっていたが、明らかにあれは人の「遊び」の感覚、あるいは造形(破壊)感覚につながっているように感じられた。あれがオランウータンでなくヒトだったら、ほとんどパフォーマンスの表現だ。
仮に、「言語の発生」と結びつけて、想像力の働きについて思いを巡らせてみる。
京都大霊長類研究所の有名な「アイ」と「アユム」の親子チンパンジーの例もあるが、私が思うのは、個々の断片的な能力の高さが重要ではないだろうということ。つまり、意味のある一つの単語として言葉が口に出せたかどうか、単語の意味が理解できたかどうかよりも、それらを意味ある文脈として組み合わせ、かつ、意味のリプレイス(意味を置き換え、類推する)ができたことが、想像力の働きを伸ばしたのではないか。
例えば、「白い雲」は「白い」と「雲」がふつうに自然な意味としてつながる。しかし、これが「白い気持ち」とか「悲しい雲」などといったようにリプレイスされるようになった時に、ヒトの言語的想像力がジャンプしたらしい。身の周りの時空の中の、一見、無関係なものごとを斜めに交差するように結びつけてしまうこと。それが想像力(言語に限らないが)の顕われの特質と言えるだろうか。
最近、ヒトの社会では、このような想像力が衰退してきているのではないかと思える現象が増えているように感じる。ヒトは言語を使うことによって、飛躍的に知性を中心とする能力を伸張させたが、一方で、こころと考えの乖離という避けられない深い溝、矛盾を抱え込んでしまったのも宿命として受け入れなければならない。
■2009.1.29
不自由さが生む想像力 (1)
人間ドックに行った。
何かと身体のガタを感じるようになって久しい。一応、行政が行う無料検診は毎年受けているし、自発的にこのようなドックにも行く。過剰な検診に対して意味を認めない学者の意見や、レントゲン照射の過多でかえって病気になっているという説もあることは知っているが、私はすでに他界した両親の様子を間近に見てきた経験から、検診自体の意義を否定はしない。
まあ、それはそれとして、最近非常に眼が疲れやすくなった。
老眼がだいぶ進行してきたせいもあるが、仕事柄、他の部位よりも、これは私にとって大きな影響が生じることになる。今も、いくつかの発表(展覧会など)の構想を練りながら、断続的に企画書(らしきもの)をつくったりし、必然的にパソコンの前に座ることが多くなるのだが、眼のピント調節機能が衰えてきているのをつくづく実感する。
若い頃のようにピントが対象にすぐに合わない。コンマ何秒かの時間のズレなのだが、ピントが合うまでのタイムラグが生じる。疲れると眼鏡をどう代えても最後までピンぼけ状態のこともある。これが自分の脳の思考力や発想力に影響を及ぼす。そして、頭がキビキビと回転しなくなる。集中力が減退する。認識・認知する→意志・意識する→行動する→再び認識・認知する、というリフレインする関係の背離(はいり)が生じる。
でも、一方でこれを肯定的に捉えることもできるのではないかと思い始めてもいる。身体運動性だけについてならタイムラグはない方が良い。しかし、創作活動においては、この「微妙な間」が自分の想像力、思い入れなどに、新たな刺激を与えることも出てくるのではないかと想像する。
有名な例をあげればモネ。彼は歳をとり白内障になってから、あの睡蓮の名作の良質な作品を生み出した。いや、そうなったからこそかもしれない。マティスもしかり。車いすやベッドの上で、切り絵の素晴らしい手法を新たに展開していった。巨匠と比較するのはおこがましいが、それらは私をわずかに勇気づけてくれる。
生理的な身体性の変化と、それに伴う芸術家たちの創造性との関連性は面白いテーマだ。画家に限らず多くの事例は枚挙にいとまはあるまい。それらは、様々な作品を今までとは違った観点から捉えられるような眼差しを付与してくれることにもなるだろう。
多くの先人たちが経験してきたことを、ようやく私も同じようにわかるようになり、辿ることになったということか。
■2009.1.8-11
展覧会・周遊
この4日間、時間の合間をぬって、主に終了間際の展覧会を駆け足で見てまわる。
以下、日誌風に記載。
8日。4月に行われる予定のパフォーマンス・イベントの会場下見で、まず日仏学院へ。
担当のJ氏は、以前ヨハネスブルクに勤務していたとのこと。アフリカの四方山話などをしながら簡単な打ち合わせ。
丁度、屋外で椅子が浮いた作品を設置中だった来日中のフィリップ・ラメット氏を紹介される。私の椅子のインスタレーションのカードを渡しながら、お互いの作品の共通点が "against gravity"(重力への抵抗)だね、と立ち話。彼の作品は意外性とウィットが効いている。(屋外展示は1/30まで)
その後、丸木美術館までドライブ。
『原爆の図』の連作は、絵画的に非常に力があり、傑出していることをあらためて実感。ただ、その後の水俣・南京大虐殺・アウシュビッツの各図は、丸木夫妻が抱え込んだテーマの重みは理解できるものの、絵画的強度は前者に及ばない。大仰で、やや説明的なイラストレーション的な要素が強いように感じた(もちろんそれはそれとして否定されるものではないが)。テーマ性の追求と絵画的実践の結合、そしてそれを支えた時代性という軸が、見事に交錯して実現したのが『原爆の図』のリアリティーなのだろう。
余談だが、同時に開催されていたもう一つの企画展。(名前は伏せるが)なぜタイトルにわざわざ出身大学の名前を冠におくのか、その奇妙さが先立つ。この美術館にそぐわない権威主義的な匂いやご都合主義を、個々の出品作品の意図とは別に感じてしまう。当該研究室の成果報告や大学評価などの裏事情があるのだろうか。
9日。東京都現代美術館の『ネオ・トロピカリア(ブラジルの創造力)』展、『森山大道+ミゲル・リオ=ブランコ』写真展へ。
日本ブラジル交流年事業の一貫。昨年の豊田市美術館の『Blooming』展と共に、彼の国のアートの魅力を伝えてくれる企画。混交された文化の中から生み出される一部の作品からは、何か大きな可能性があるような気もするが、それが何かは私にはまだ明瞭につかめない。企画意図から離れて、日本にないアートの気軽さや楽しさといった単純なレベルで喧伝される風潮が、一般的に感じられることがあるが、それには要注意。今の日本のアートの潮流の中、そのような「お気楽路線」に乗せられたら、大切なものが見えなくなってしまうだろう。しばらくは鑑賞者の立場としてウォッチングしていこう。音楽、文学、映画など他ジャンルの豊穣な世界とともに。
帰途、銀座の某ギャラリーに立ち寄り、展覧会の相談。
10日。板橋区立美術館の『新人画会』展へ。
地味だけれども好企画。若い世代の研究者によるこの時期の美術動向の再検証を歓迎したい。ご苦労様。
松本竣介30歳の『立てる像』。久しぶりに見た。日本の近代洋画の悩める青春時代の記念碑、その象徴のよう。彼がある覚悟をもって投稿した文『生きてゐる画家』。これにも身が引き締められる思いがした。今では当たり前ことが、当たり前にできなかったこの時代に、ふつうに表現活動をしようと結集した彼らの仕事は尊い。
11日。国立新美術館『DOMANI・明日展2008』へ。ヒグマ春夫氏のパフォーマンス公演を見る。会場で何人かの方々と久しぶりに挨拶を交わす。帰途、トキ・アートスペースに立ち寄り、ここでも静岡・三島のギャラリー・アートワークスの加藤さんと久しぶりに合う。10年ぶりくらいか。
今の日本の社会の中でどのようにアートが生き生きと根づいていくのか、そこの所でアーティストの立場でも、プロデュースの立場でも、地道に苦労しながら続けていることがお互いによく理解できる。
以上、駆け足の感想。
さて、これからしばらくは、自分の制作にむけて集中する時間を確保しよう。
■2009.1.5
運がつく?
おとなしく上方の木の枝にとまっていた二匹のカラスは、私が立ち止まりカメラを向けると、その気配を感じとったようだ。
パッと1匹が飛び立った。
薄暮の時間帯で周囲は薄暗い。上空から目を移した私が、隣の妻に冗談半分に「こういう時は気をつけないと」と言い終わるやいなや、ポシャッと何かが当たり、ヌメッとしたものを感じた。
お見事。
奴の糞はしっかりと手に持った私のカメラの上部を直撃し、跳ね返りが上着やズボンに飛び散った。
狙ったに違いないと思える程のタイミングと正確さだった。爆撃機のベテランパイロットでもこうはいくまい。
この正月はほとんど家に閉じこもり気味だったので、久しぶりの外出だった。
三鷹市美術ギャラリーで靉嘔さんの喜寿を祝う展覧会があり、内覧会に顔を出したのだが、その前に時間があるので、井の頭公園を妻と散歩した折りのこと。
靉嘔さんのおめでたいレインボーカラーの作品とともに、年の初めに良い運がついたと思いたい。
■2009.1.1 </tr>年頭にて
明けましておめでとうございます。
このサイトも、2003年3月にアップしてから6年近く経った。当初から自分流にコツコツ作ってきたので、昨今の新しい技術・方法を取り入れ、再構築することもままならない。しばらくこの状態が続くだろう。
この活動状況 (Information) 欄は、当初は自分の展覧会報告など簡単なものにとどめていたが、昨年から更新頻度を少し増した。気になった展覧会について、あるいは、直接アートには関係ないけれど自らの制作観に関わるようなことなどについても、折々に書き加えてきた。
とはいえ、ブログではないし、気ままになんでも書くつもりはない。アート関連について書くときも評論家的傍観者にならないよう、できるだけ自分の活動や思考の実感に即して言葉を紡ぎ出していきたい。たとえ下手くそな文章でも。
不特定な第三者の方々に向けて何か書くというのは、思考の整理が必要になる。文章力も鍛えられるし、結果的にそれが自分にとっての備忘録のような役割を果たすことにも気がついた。作品制作の現場や感覚とは異なるフィールドだが、コインの表と裏の関係でもある。
多分、昨年は21世紀の歴史の中でも重要な転換点の年としてあげられることになるだろう。何か、次のステップに向かって想像力を広げなければならない時代に入ったことがひしひしと感じられる。でも、全く新しいイメージを作り出すのではない。いつの間にか忘れ去られた知恵や身体感覚のようなものを一つ一つ見つけ出し、拾い上げていく。それをどのように今の時代の器の中に投げ込むか。そんな地道な作業を通して見えてくる再編成されたイメージ…。
それは、ここ10年来メインストリームとなってきた、デジタルな技術やバーチャルな世界観の延長線上にはないはずだ。そこからはもう今の時代を超えていく想像力(文化的な)は出ないと思う。
このサイトのリニューアル(再構築)はしばらく無理だが、時代の急変化の流れに神経を研ぎすませること。そして、自分のエネルギーを出し惜しみせず、制作・思考・行動を循環させながら歩んでいく。そんな当たり前のことを続けていきたい。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
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