2009年 (2)
⇒ 活動状況           2012年(1)
2009年(4) 2009年(3) 2009年(2) 2009年(1)


■2009.8.12

 絵本の枠を広げる

イタリア・ボローニャ 国際絵本原画展(板橋区立美術館)の関連イベント「絵本の枠を広げる」
その中のプログラムで「のびる・ちぢむ・つながる」というレクチャ−&ワークショップを行った。

このイベントは、絵本研究家(ご本人は"きまぐれ絵本家"と称しておられる)の広松由希子さんがコーディネーターとなり、毎年行っている人気の講座だという。その通り多くの申込希望者から抽選で45名の方々が参加。さすがに女性が多かったが中には年配の男性も。動機は様々なようだ。
3日間のスケジュールの2日目のこの日は、広松さんの導入のお話の後、午前中に私、午後がしりあがり寿(漫画家)さんと堀内日出登巳(絵本編集者)さんの対談が行われた。

皆さん真剣なまなざし。事前に広松さんから、優しく「予定調和じゃなくてけっこうですよ、後で私がまとめますから」、担当学芸員の松岡希代子さんにも「いつもの調子でいいですよ〜」と言われ、気が楽に。そう、だってあらためて考えたら、絵本について語る体験・資格など私にはほとんどない。参加者の方々の期待に応えられるかちょっと案じていたのだ。まっ、パフォーマンスと同じでいいわけね。

自己紹介を含めた映像作品の紹介からスタートし、自分にとって「絵本」とはなんだろうと考えたこと、そして様々な小道具を用いてレクチャー。これは身の周りのものごとのスケールを縮めたり拡げたりして変換してみる想像力を刺激する話。
時々子ども向けにも行っているが、大人向けに先月の皆既日食、数日前の静岡の地震、若田さんの宇宙ステーション滞在、インフルエンザウィルスなど、タイムリーな話題を取りあげながら組み立ててみた。やっているうちに、しだいにノってきてしまい気がついたら60分経過。おっと、残りの時間が少なくなり、後半のワークショップの予定を縮めなきゃいけない羽目に。

左)レクチャー後の、体慣しのワークショップ。会場の様子

右)紙上に「ある方法」で線を引いてもらって、それを並べてみる。

残りの作業を30分ほどで敢行。ふーっ、もうちょっとゆっくりと出来れば良かった。別に用意していたプリントについての説明も中途半端だったしな。でも、終了後も多くの方が話しかけてこられ、質問や感想をいろいろ言って下さった。うん、こういう時間が取れたのが良かった。絵本に興味のある方々は、みなさん「子ども心」を保っている。眼がキラキラしていて好奇心も旺盛だった。

「絵本」についてあらためて考えると、けっして子どもと母親だけのものではないことに気づく。そして表現のメディアとして、とてもシンプルだが様々な要素を盛り込むこともできる可能性があることにも。終了後、広松さんや松岡さんにこう言われた。
「丸山さんだったら面白い絵本が作れますよ。」 ホント? その気になっちゃいますよ。

時々、私の経歴を知っている人から「もう絵は描かないのですか?」と聞かれることがある。私にとって「絵」はどうしても歴史的な「絵画」という形式と結びついているので、「油絵のタブローは、描きません。」と真面目に答えることが多い。しかし、実はあまり細かいこだわりがある訳ではない。ドローイングなどは気ままに手が動く。その延長にある「絵」というシンプルな言い方にこめられる原点と、「言葉」という要素を組み合わせられる「絵本」は、確かに古くて新しいメディアだ。
しかも、子どもも大人も少人数で、密接な触れ合いとともに(もちろん一人で布団の中でも)気ままに身体感覚(五感)を刺激しながら向きあえるから、デジタルコンテンツとも根本的に異なる領域で住み分けられる。
今、巷のギャラリーや美術館でもよく見られる「お気軽系ペインティング」などより、もっとしなやかでラディカルな可能性を秘めているかもしれない。

新しい絵本の可能性を想定して「絵」を描いてみる。これなら、今までのある種の「こだわり」や「しばり」から離れ、リラックスして筆や鉛筆に手が伸びるかもしれない。かつて絵を描きながら夢中になっていた頃のように。


■2009.8.2 - 3

 はじめる視点 (1)

秋の福島県立博物館での展覧会に向けて、2度目の下見に会津へ。4月の下見の際、直感的に場所の当たりはつけておいた。その後、構想の進展は滞っていたが、もう一度自分の展示場所を再確認する。
私が展示を希望した場所は、漁村で使用されていた伝馬船が設置されている「海のなりわい」というコーナー。この一角には海の民と山の民が、作ったり祀ったりした様々な物や道具も展示されている。

岡本太郎の博物館・はじめる視点 〜博物館から覚醒するアーティストたち〜
2009年10月10日(土)〜11月23日(月)

フランス留学中の若き日にはパリの博物館で人類学を学び、東京国立博物館で縄文の美を発見し、大阪万博の太陽の塔に集められた世界中のコレクションは後に国立民族学博物館に引き継がれます。現代日本を代表するアーティストは博物館と深い結びつきがあったのです。
本展では、岡本太郎の写真展示とともに常設展示室をアーティストに開放。展示資料と現代アートが同居します。博物館を創造の源泉とした岡本太郎に学び、福島県立博物館もアーティストの創造に協力し、歴史とアートの仲立ちができたらと思います。

福島県立博物館 (同館の企画展ブログ「ご案内」より)

けっこう面白い企画だと思う。展示資料の文物と自分の作品を、どう絡ませながらコンセプトや展示の構想を練るかが今後の楽しみ。通常展示ももちろんそのまま活かすので、担当の川延さん、小林さんと作品設置の条件をいろいろと相談させてもらった。

展示予定の伝馬船がある場所。 担当の川延さん(左)と小林さん(右)

前の晩、お二人と会津の郷土料理と酒をご一緒した。やはり同じ土地の料理と酒は相性が合う。いろいろと話もはずむ。博物館は保守的な部分もあるようで、今度の新しい試みはなかなか大変そう。翌日の休館日の下見も、長時間おつき合いいただいた。この後も、スムーズに事が運ぶように内部調整、よろしくお願いしますね。

東山温泉の竹久夢二や横光利一がかかわったという由緒ある旅館で温泉につかり、市内めぐりもして、会津独特の歴史的風土にも久しぶりに浸った二日間となった。


■2009.7.23

 発想トレーニング

美大受験生40人程を相手に、「発想トレーニング」と称したレクチャーとワークショップをする。
この手のレクチャー、何となくサラリーマン向け「自己啓発セミナー」のような、少々いかがわしい匂いがしないでもない。が、いたって実質的で、表現者を目指す若い人たちに向けてコンパクトにまとめられた内容。

実は、美術教育の中でほとんど真空地帯になっている領域でもある。児童教育はともかく、高校生以降は、「発想の大事さ」つまりオリジナリティーや視点のユニークさなどは取りあげられるものの、制作された作品の結果として語られることが多くなりがちだ。そう、ほとんど個人的体験の中で閉じたまま、曖昧な状態で手つかずの状況なのだ。そしてどうしても教育しやすい技術的修練(もちろんこれは大事だけれど)に収斂しがちになる。あるいは逆に、「もっと自由に」とか「ユニークでいいね」などとあまり根拠のない褒め言葉でまとめられてしまう。

それらをなんとか実際の制作に即して、「発想」が生じ具体化されるまでをプロセスの中できちんと概念的に位置づけること。そしてそれが結果的に方法論や様式といかに密着しているかを体で知る必要がある。特に、制作・表現する側を目指す学生にとっては。
各人独自の方法を見出すのはその後ではないか? 高等教育においては、ある種の規範を知った上で獲得される自由さやユニークさが尊重されるのが望ましい。ちょっと偉そうな物言いだが‥。

十数ページの冊子を準備し、自分の体験や各種の方法論をまとめ、彼ら彼女らが今までほとんど経験してこなかった「発想」の現場をわかりやすく説明、楽しみながらトレーニングしてもらった6時間。感想を聞くと、やはり今までほとんど聞いたりやったことのない内容・アプローチだったので、全般的に好評だった様子。

はい、私もおかげさまで時差ぼけの体調が回復しました。



■2009.7.12 - 21

 Rain Meets Sun

慌ただしい日程をぬって、リトアニアにおける "Rain Meets Sun"での発表を行ってきた。(会期は8月30日まで継続中。 M.Zilinskas Art Gallery, M.K.Ciurlionis National Museum of Art, Kaunas
この展覧会、一時どうなるやらと危ぶまれる気配もあったが、今年、首都のヴィリニュスが欧州文化首都に選定されていたこともあり、国際交流基金やEU-Japan Festの助成や、その他様々な方面の協力が得られ、実現化に弾みがつけられた。

現地入りが他の日本人作家達より遅れ、カウナスの会場に到着したのが会期が始まる2日前。
大量の傘を用いるプランを事前に伝え、他の素材も含めある程度準備されていたものの、不足分を市内に買い出しに出ることに。半日探すも、なかなか思った通りに手に入れられない。その後、試行錯誤しながら残り僅かな時間は制作とセッティングでずっと集中。結果的にプランを少々変更。

土壇場でプロジェクター機材の不備が生じ、その手配・交換・調整を済ませ、なんとか完成したのがオープニングセレモニーが開場する5分前という際どさ。なんとか間に合った。フーッ。献身的に素材の買い出しやセッティングの諸々を手伝ってくれたヨナス君、本当にどうも有り難う。君がいなければ、私の作品だけでなくこの展覧会も立ち行かなかったかもしれないな。

私が現地入りする前、当地の天候はけっこう肌寒く雨が多かったらしい。私がヘルシンキ経由でヴィリニュスの空港に降り立った時もやはり雨。でも、カウナスに車で向う途中から晴れていった。そしてバスでリトアニアを離れる直前に雨が降り出すまで、滞在中ずっと好天に恵まれた。
今回のタイトルではないが、文字通り私が「晴れ男」になったのかな? 珍しいことだね。

垂れ幕ポスターと、右奥の三角の屋根の建物が会場のジリンスカス・ギャラリー 映像作品2点と、傘や砂などを用いたインスタレーション。 オープニングセレモニーでのパフォーマンス。(中央に立っているのが私)

セレモニー終了後は、ディレクターのS・ヴァリウスのファームハウス(別荘)で現地作家たちと交流。その後、ヴィリニュス市内〜エストニア(タリン)〜フィンランド(ヘルシンキ)を巡り帰国。

短期間の少々慌ただしい日程だったが、充実した旅となった。(続きは以下をご覧下さい。)


■2009.7.5

 カーテンコール (5)

フタバ画廊での個展が終了し、はや2週間が経った。
会期中は、来ていただいた方々とできるだけお会いするよう心がけたが、お話しできなかったり、短い会期で足を運べなかった方も多いはず。ご覧になった方々からもいろいろ訊ねられたたこともあり、今回の作品(インスタラクション)を簡単に振り返っておきたい。画廊自体が失くなり、もう同じように再現されることがありえない作品。事後的に語るのもいかがなものかと思うが、意味ないことではあるまい。

  作品ページへ

〈マテリアル
□地球雲画像の映像 気象衛星による地球の雲画像の動き(約2年間)を加工・編集し、壁面へプロジェクターで投影。 (約20分)

□椅子 同形のもの大小2つ
2回のパフォーマンスと展示に使用

□黒ロープ(約2000m)  椅子が置かれた床から天井を通り、壁面に投影された映像に影を落とすように中央の天井から端が吊るされている。

□モビール型オブジェ メジャーで作られ、両端に振り子時計と小さな椅子が設置され釣り合うよう吊るされている。気流で回転し、移動する影が床上に落とされる。

□炭/灰  同画廊の空間の縦横比率と同じ縮尺の長方形、私の身体尺にピッタリ収まるサイズで、炭と灰が層を成して床に撒かれている。 最終日のパフォーマンスはこの上で行われた
□以前行ったパフォーマンスを編集した映像(3種)をモニターで上映
 『君は万有引力に服従するのか?』
  
椅子から転げ落ちるアクションをダイジェスト編集。(リンク先ファイル:mov 5.8Mb)

 『遠くて近い』 「こことあそこ」・「かつてといつか」を、「下降と上昇」の運動として結びつける断片的アクションとシーンをダイジェスト編集。

 『Transition - part. 2』 1998年に同画廊が移転・開廊した時に行った「眼差しの揺れと移動」がテーマのパフォーマンス。

これらの素材が画廊内に設置された。全体的な見た目の印象は薄暗く、けっこう素っ気ない空間。そして、初日と最終日に行われた2回のパフォーマンス、"α"と"ω"が、時間軸として交錯する。
以上が、今回のインスタラクション。

上記の様々な断片的要素が関連づけられるよう作品全体の中に仕組まれた。それと眼の病気で引退を余儀なくされた同画廊代表の翔子さんへのささやかなオマージュ。それが『眼差しは何処に着床するか』というテーマ(問いかけ)と絡み合いながら、私自身の制作上のささやかな動機づけに加味された。
もちろん鑑賞者がこれらを読み取らなければならないわけではない。それは作品体験とは位相が異なる。直感的にその場で体感する出会いの感触こそが現代アートの基本的なエッセンスであり、大事なことなのは言うまでもない。まあ、作品にアプローチする時のヒントの欠片
(かけら)として、解釈の多少の手助けになる程度のものと考えていただくのが妥当だ。

しかし、本音を言えばパフォーマンスを含め全てを総合的に見て、現場を体験し、解釈を試みていただきたいという作家としてのわがままさは根底にある。そう言う意味では、謎を含みながら様々な解釈の迷路が複雑に仕掛けられているレオナルドのような作品に少しでも近づきたいという願いを抱いている。「見る方が自由に感じ取って下さい」という、よくありがちな作家自身の物言いに私は与
(くみ)しない。作り手として、それは非常に無責任で投げやりな態度だと思うから。

そういえば、2回のパフォーマンス両方に足を運んでいただいた方も幾人かおられた。これは有り難いことだった。ついでに以下の画像、これもヒントの欠片の一つとしてご覧いただこう。

パフォーマンス "α”より レオナルド・ダ・ヴィンチ
ウィトルウィウス的身体より
パフォーマンス "ω”より

今回の発表では、結果的に次に向けて新たなイマジネーションも広げることが出来た。今は既に頭の中は、先のプランや作品のことで占められている。
前回の欄で書いたように、もうじきリトアニアに発つ。さあ、もう一踏ん張りして良い作品を作ってきたいものだ。


■2009.6.28

 お知らせ - 2題

リトアニアでの展覧会と、板橋区立美術館でのイベントの2つのお知らせです。

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"Rain Meets Sun"  雨と太陽の出会い‐虹の架け橋

2009年7月14日(火)〜 8月30日(日)
M.K.チュルリョーニス国立美術館(リトアニア、カウナス市)
 ⇒ www.ciurlionis.lt

<概要>
リトアニアと日本両国のアーティスト達が、展覧会を通した交流をいたします。リトアニアの国名の由来は、リトアニア語で「雨」を表す言葉から発しているとされています。一方、日本は、「日出づる国、the land of the rising Sun」と呼ばれています。雨の多いリトアニアでは太陽を願い、そして日出づる国日本では、恵みの雨を願います。この夏、「雨の国」と「日出づる国」のアーティストが現代美術展につどい、交流の架け橋で結ばれます。

<経緯と趣旨>
リトアニアの首都・ヴィリニュスが、2009年 の欧州文化首都に選定されました。
これを機会に、フルクサス創始者ジョージ・マチューナスの生まれたリトアニアと関係が深く、フルクサスメンバーであり「虹の作家」と言われる靉嘔氏の作品を中心に据えた、リトアニアと 日本両国の現代美術展が計画されました。
この展覧会 “ Rain meets the Sun” は、リトアニアのアーティスト、サウリュス・ヴァリウスによって、数多くの日本との交流経験 をもとに着想され、靉嘔氏の世代と、中堅・若手の2つの世代、そして2つの文化の間で興味深い交流が図られようとしています。両国の中堅、若手作家による現代美術作品の展示と、パフォーマンス・アートやピアノ演奏、伝 統の和紙を使った「美濃和紙あかりアート展」の記録を紹介します。そのほか、双方の企画者たちによる講演や円卓会議も計画されており、以上のようなポリ・パラレル(複合的平行)な交流によって、現代美術と音楽と伝統文化との共演が演出されることになるでしょう。

<参加アーティスト>
・日本 11名 
岩熊力也 江上弘 門田光雅 小林テイ 小本章 杉本尚隆 彦坂敏昭 丸山常生 丸山芳子 森妙子 大川由美子(ピアノ演奏)
・リトアニア 8名
Vytenis Lingys, Kestutis Musteikis, Kestutis Grigaliunas, Laisvyde Salciute,
Aistaute Valiute, Daumantas Plechavicius, Diana Radaviciute, Saulius Valius

<特別出展作家>
靉嘔(M.K.チュルリョーニス国立美術館収蔵作品を展示)

<特別参加>
美濃和紙あかりアート展、美濃・紙の芸術村:大塚高明 大塚文子 高橋貴子
遊工房アートスペース:村田達彦 村田弘子

<企画>
サウリュス・バリウス(アーティスト・キュレーター)
エグレ・コムカイテ(M.K.チュルリョーニス国立美術館副館長)

(以上、広報資料より抜粋)

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2009 イタリア・ボローニャ国際絵本原画展

7月11日(火)〜 8月16日(日)
板橋区立美術館

関連イベント
第7回 夏の教室「絵本の枠を広げる」
8月11日(火)〜8月13日(木)の3日間

10:00〜15:30

絵本の魅力をより深く知り、多様な面から絵本と接してみたい、という方のための連続講座です。今年は、絵本を大きくとらえて発想を広げるrために、様々なアートのジャンルから講師をお招きしてお話を伺います。

講師
広松由希子(絵本コーディネーター)、岡崎乾二郎(造形作家)、ぱくきょんみ(詩人)、丸山常生(美術家)、しりあがり寿(漫画家)、堀内日出登巳(絵本編集者)、松岡希代子(板橋区立美術館学芸員)、荒井良二(絵本作家)

対象 全日参加できる18才以上の方
定員 45名(定員を超えた場合は抽選)
参加費 6000円

詳しい情報はこちら
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リトアニアでは、現地調達の素材でビデオを用いたインスタレーションを制作。オープニングでパフォーマンスも行う予定。1997年にも一度行ってパフォーマンス公演をしたことがある。いい国だ。帰国後、現地での様子をレポートします。

ボローニャ国際絵本原画展でのイベントは、広松由希子さんのコーディネートによる「絵本の枠を広げる」というイベントの講師。私は8月12日午前中に『のびる・ちぢむ・つながる』というテーマで、レクチャーとワークショップを予定しています。
興味のある方は、上記サイトよりお申し込み下さい。


■2009.6.25

 イランの友へ

「ふーっ、暑苦しい!」
彼女は家に戻るなり、私の目の前で頭からチャドル
(スカーフ)を取り去りソファーに投げつけた。

印象的な光景だった。少なくとも、テヘランに住む都市住民の少なからぬ人々はイスラム法の過剰な抑圧に辟易しているように見えた。5年前、私がテヘランで出会った美術関係者は、特に仕事柄のせいもあろうが、現状認識も思想も近代化された民主的な知識人といえる人たちだった。アーティストとして優れた人たちもいた。ペルシャ文化の深みと西欧近代文明に対するシニカルな視点を両方備えながら、尊敬すべき仕事を為している人たちが確かにそこにいた。
彼ら彼女らは、今どうしているだろう? 抗議デモに参加しているのだろうか?

欧米人、特にフランス人はイランに対する敵対心を意外なほどむき出しにする人がいる。丁度、日本人の多くが北朝鮮を批判するのと対照的に彼らはイランを批判する。(逆に日本人はイランを、彼らは北朝鮮をそれほど忌み嫌っていないのではないか? まあ、それぞれ情報の量や濃度が違うし、イラン人は日本人に美しき誤解に基づいた友好の念を抱いていることもあるしね。)どちらにせよ、石油利権や核問題、その他様々な歴史的パワーポリティクスの狭間で、イランという国家は国際的に際どいポジョションをとっていることは確かだ。

欧米各国のメディアがこぞって報道するほど、現在の改革派勢力が本当に多数を占めているかどうかはわからない。でも、都市住民の多くが心の中でアメリカの外圧を密かに望んでいたことは私にも感じられた。そう言えば、禁止されているビールもアンダーグラウンドで手に入ったな。(ロシア経由の密輸らしい)巷間、イメージされるほど日常生活が弾圧されている感じはしなかった。少なくとも今の北朝鮮より人々の言論は風通しが悪くないのではないか。今だって、これだけ情報が漏れ出てきているし。

今後どうなるだろうか?
私としてはイデオロギーや宗教観、政治理念などとは異なった次元の、もっと素朴な所で一人の人間として知人の様子と動向を心配しつつ、当面見守っていくほかないだろうと感じている。アートに関わる表現者同士の精神的な連帯感を礎として。(これだって冷徹な現実の前で、美しき誤解と言う人もいるだろうが。)
メールでも送ろうかと思ったが、当時、日本大使館の関係者の家族が、私に耳打ちしたことが脳裏をよぎる。「ここでは、全てのやりとりが盗聴されていますよ。」

うーん、下手にメールを送って、万一迷惑をかけたらまずいしな。



■2009.6.15 - 21

 カーテンコール (4)

一週間の会期があっという間に終了。銀座での個展は本当に久しぶりだった。

作品の出来は、なかなか良かったと自分では思っている。
セッティングに初日当日の朝(開場直前)までかかったものの、腰の具合もなんとか小康を保った。何度も言うように、さほど広くない画廊空間の個展とはいえ、予定調和的に計画通り設置が完了するということは、私の場合ほとんどない。今回はオープニングとエンディングでの2回のパフォーマンスを含め、私の身体尺を前提とした各部・各所の微妙なレイアウトをしなければならなかったし、ライティングの位置や強弱、空調の風の強さや流れまで考慮する必要もあった。

いつも事前に会場空間の縮尺模型を作りプランを練るものの、実際の現場で関わった感覚を通過させないと、ろくなものにはならない。だから今回のように短時間の条件(基本的に前の展示の搬出後の夕方〜夜のみ)でセッティングするのは、素早い直感的な決断もしなければならないし、本当に大変なことなのだ。体調がすぐれないとダメな所以
(ゆえん)だ。パフォーマンスと同じ。
セッティングを手伝ってくれた妻と、山本浩生さん、星野歩君、どうも有り難う。そして、会期中ご来場下さった方々、どうも有り難うございました。まずは御礼まで。

作品についてはまた後日…。



■2009.6.12

 カーテンコール (3)

今度の個展、5月31日に書いたように、閉廊するフタバ画廊へのオマージュが込められている。オマージュといっても「敬意を込めて」という程の意味であり、何かを転用したりする創作上の特別な意図があるわけではない。
2回のパフォーマンスと映像を含んだインスタレーションによる展示になる予定。それと、かつてのパフォーマンスの編集ビデオ(映像作品として完結した短編)も資料的に展示するつもり。細かいことを言えば、初日と最終日のパフォーマンスをはさんだ展示をトータルで見ていただきたいところだが、なかなかそうもいかないだろうな。
1週間という短い期間ですが、どうぞ都合の良い時間帯においで下さりご高覧いただければ幸いです。

ところで、無人探査線「かぐや」が、昨11日午前3時25分に月面に落下し役割を終えた、というニュースがあった。右は「かぐや」が初めて撮影した「満地球の出」の映像(2008年4月6日)。アポロ8号が撮影し、人類が初めて目にした漆黒の宇宙空間に浮かぶ地球の姿のインパクトには及ばないが、これもなかなかのものだ。

なぜ急にこの話題になったかって? それは今度の個展に来ていただければわかるでしょう。ちょっと関連する映像なんだな、これが。


■2009.6.3

 ピンチを乗り切る力

7月にリトアニア・カウナス市で行われる美術展、"Rain meets the Sun"の打ち合わせのため、元麻布のリトアニア大使館へ。参加日本人作家が顔を合わせ、事前に詰めておなければならない懸案事項を相談する。(この展覧会にについては。今度の個展終了後ご案内する予定。)
文化担当のガビアさん、会場準備どうもありがとうございました。

一方、個展開催までもう直
(じき)
実は2週間程前、持病の腰の具合がちょっとまずくなり、体を無理して動かせない状態になっている。まだしなければならない準備作業はいろいろ残っているが、進捗状況はかんばしくない。私の場合、セッティングの時に充実した気力、体力がないと出来不出来に影響を及ぼす。ましてやオープニングにパフォーマンスもするからなおさら。本当は少しでも体を休めておかないといけない状態なのだが、そうも言ってられない。上記のような大事な打ち合わせにはきちんと出なければならない。(当たり前だが。)
さらに、他にもここ数日中にプランを煮詰めたり、対応しなければならない懸案が4つほど重なってしまった。若い頃は歯切れ良く切り替えながらてきぱき乗り切れたことが、今は体調と相談しながら思うように捗
(はかど)らないことを前提にせざるを得ない。その感覚のズレにも、既にだいぶ慣れはしたものの、精神的にはプレッシャーがかかる。
まあ、けっこう図太くなっているから、心の片隅に「なんとかなるだろう」と楽しんでいる自分もいるけれど…。



■2009.5.31

 カーテンコール (2)

4月29日のこの欄でお知らせした個展の再紹介です。

curtain call 展 vol.7
丸山 常生 展 MARUYAMA Tokio Exhibition
"Simultaneous Positioning"
2009.6.15(月)ー 6.21(日)
 
11:00-19:00 (最終日16:00)


作家によるパフォーマンス
"α" 6/15(月)18:00-
"ω" 6/21(日)14:30-

フタバ画廊 中央区銀座1-5-6 福神ビルB1
TEL:03-3561-2205 http://www.futabagallery.com

以下は、DMに記載されたフタバ画廊の村瀬和平会長の挨拶文と、リーフレットに記載された私のコメントからの抜粋です。

今回のリーフレットより


創業以来42年優秀な作家の方々に展示して頂いたお陰で少しは名の知れる存在になったことは誠に画廊冥利に尽きるものがあります。予ねてお知らせしておりましたように私も高齢になり適当な後継者もいないため残念ながら今月を以て廃業することに致しました。

画廊の幕を閉じるにあたり連想したのは良い演劇やミュージカルを見終えた時幕の上下に合わせて会場から湧き起る拍手と歓声のカーテンコールでした。
私も画廊の幕を降ろすにあたり今までフタバの舞台で素晴らしい演技を見せて下さった名優にもう一度最後の舞台を見せて頂きカーテンコールの感激を味わいたく思いました。昨年12月以来この催しを数回続けてきましたがこのシリーズの最後を飾る立役者として丸山常生さんに登場をお願いしました。

丸山さんは東京芸大の油絵科を卒業されましたが最近はインスタレーションやパフオーマンスにも力を注がれ国内はもとより先進国、途上国を問わず幅広く実に20カ国近い世界各地で発表されるなど大活躍で今や国の内外で注目を浴びている俊英の作家です。皆様もご一緒にカーテンコールをお願い出来れば嬉しい限りです。どうかおいで下さい。お待ちしています。

フタバ画廊 村瀬 和平

銀座一丁目の現在地に、『フタバ画廊移転準備室』を村瀬翔子さんが代表として開廊された時、“Removal Project”というオープニング企画にお誘いいただいた。あれから10年余。由緒あるギャラリーの「始めと終わり」に再び関わらせていただくことになったのも何かのご縁だろうか。
思えば、ものごとの「発端と末端」あるいは「過去と未来」における循環性は、私の作品の中でも主要なコンセプトの一つだ。このたびの作品は、フタバ画廊と翔子さんに対するオマージュを含め、当時ここで発表した『時間の補修 #8』という作品と照応して構想される。ここしばらく続けている"Simultaneous Positioning"
(同時的に存在する、複数の場所にいる・ある)シリーズと、二回のパフォーマンスで新たな展開を試みる。そう、テーマは…、
「眼差しは何処
(いずこ)に着床するか?」

丸山 常生

銀座での個展は久しぶり。初日と最終日にパフォーマンスも予定しています。多分15分ほどのショートパフォーマンスになるでしょう。パフォーマンスのタイトルはギリシャ文字のα(アルファ)とω(オメガ)。初めと終わりを象徴している文字です。

もう一度この欄で展示についての紹介も含め、続きを書くつもりです。


■2009.5.21

 ウィルスの旅



[こんな姿?]
新型インフルエンザがいよいよ国内発生し、報道も何かと喧(かまびす)しくなっている。これまでの機内検疫などの水際対策に、半ばあきれ半ば容認しつつ、興味を持ってその推移を見てきた。現代の日本ではほとんど初めての事態だし。
「バタフライ効果」。わずかな初期条件の変化が時間とともに拡大し、結果が大きく変わるというカオス理論で一時期はやった喩え。予測不可能な事態の推移を表現するのに相応しいこの言葉を久しぶりに思い出している。水際対策もそう言う意味では効果が全くなかったと判断するのは早計だろう。

ところで、こんな想像上の計算をしてみた。

仮に、今回のように、ヒトとトリの間で広まっていたインフルエンザウィルスが、メキシコのとある一匹の豚の体内で新型ウィルス A(H1N1)として変異を起こした瞬間があったとする。インフルエンザウィルスの大きさは、0.1マイクロメートル(1万分の1mm)程度らしい。その、遺伝子を変異させたウィルスが、ヒトへの感染を通じどのように世界中に広がっていったのか、その行程(不謹慎な言い方で言えば旅路というところか)について思いを巡らせてみる。
身長1.7mの人間は、ウィルスにとって1700万倍のサイズになる。これはヒトにとっての地球サイズよりも比率的に小さい。つまりウィルスにとってのヒトは、ヒトにとっての地球のサイズよりもはるかに大きな存在なのだ。そんな小さき存在だから、我々の必死の検疫や防疫対策などせせら笑うように世界中を巡る。マスクのフィルターなど、彼らが通り抜けるのには無いに等しい。
そして、この旅のスケールをヒトに例えると、ヒトが太陽系を一巡りするのと同じ距離感(海王星の軌道よりも7倍くらい先)となる。こんなにも軽々と移動する潜在力(旅する力?)、宿主を借りているとはいえ凄いではないか! 人類にこんな移動体(ロケット等)を作ったり利用したりする能力は勿論ない。

自分のワークショップで、時折このようなスケールの基準を変換した話題を取りあげる。
日常の生活感覚と異なる視点を獲得できることと、どれだけ日常にマーヴェラスな事柄が潜んでいるかが垣間みられるからだ。

「バタフライ効果」は、あくまでもほんの僅かな要素の組み合わせが将来において大きな影響を与えるという「(偶発的な)自然の変数」が対象にされている(のだと思う)。そこに「ヒトの意思」という変数(例えば感染したくないがための防護措置をとること)が導入される時、どのようにその後に波及されていくのかが興味深い。それは「ヒトの意思」も基本的に自然の変数の一要素に過ぎないものなのか、あるいは別のものとして設定するのか、その世界観によっても異なってくるだろう。無論、純粋に科学的な研究対象にはなりえない哲学的な興味に拠る。
そして、これはアート固有の問題にも関わってくる。そう言う意味で、この先の「ウィルスの旅」、感染の推移を私なりに追跡していきたい。(そう言えば、ウィルスとは生物の進化を誘発させてきたフィクサーであるという説もある。これも実に興味深い。なぜなら我々はウィルスの変異のおかげで存在していることになるから!)

私がもしハリウッドの映画監督かプロデューサーだったら、ウィルスを主人公にした「スタートレック」のような物語を構想するのだが。あるいは「ミクロの決死圏」のようなもの。(面白いアイデアがあるので誰か買いませんか? 売れる訳ないか。) 
まあ、次のワークショップのアイデアの一つとして暖めておくのが賢明だな。


■2009.5.14

 複合体講義

会期終了間際になってしまったが、ご紹介しておきたい地味だが重要な展覧会。

『斎藤義重 '09 複合体講義』 創造と教育の交錯点
  - 中延学園・TSA・朋優学院 -
 2009年4月8日〜5月16日
 朋優学院 T&Sギャラリー
 企画・運営 斎藤義重'09複合体講義実行委員会






斎藤義重は、2001年享年97歳で亡くなるまで衰えを見せることなく制作し続けた。これは晩年の20年間の活動拠点となった教育現場における講義記録(映像や作品マケットを交えた)と所蔵作品の展示。『複合体』とは、最後に到達したシリーズの名称である。

私は大学時代、『反対称』シリーズの作品を東京画廊で見て大きな刺激を受けた。(その不思議なタイトルをきっかけにR・カイヨワの著作もずいぶん読んだな。)具体的な関係は、氏が主宰するSD会という月に一度の研究会に、岩崎鐸氏の紹介で参加させていただいたことに始まる。その後、今回紹介されている「ing交錯点」という'80年代に行われた企画展に参加したり、私の個展に何度か足を運んでいただいたりしたこともある。
研究会では、毎回異なったテーマで話が進められた。氏は参加者の話や報告をしばらく聞いているのだが、終盤になって自身の考えを含めた包括的な話をされる。それが異論を差し挟むようなことが全くできないほど聞き入ってしまうのだ。特に、老荘思想などについてはずいぶん勉強させていただいたことを思い出す。
前回書いた「兄貴たちの世代」という言い回しに倣えば、私にとって氏はいわば「大叔父の世代」。反発とか挑戦という対象にはなり得ない遠い地点にいる巨匠。最近ある人に「斎藤さんのDNAは、丸山さんの作品にこそ色濃くあるのでは。」と言われ、意外でちょっとびっくりした。しかし、言われてみれば、色濃くかどうかは別として、そういう要素は否定できないかもしれない。ある意味、隔世遺伝のような形で影響が及ぼされていたということだろうか。

日本の現代美術、特に、その歴史的継承性を検証する上で、氏をどのように捉えるかの重要性は論を俟
(ま)たない。(私は研究者ではないし、ことさらこれを強調する気はないが。)略歴を見れば、今の私の歳の頃に新人賞を受賞し(1957年)、ようやく世間的な注目を浴びたという遅咲き。その後のレリーフや立体作品、多摩美の教授時代のことはかなり衆知されているところだ。生前の展覧会や、亡くなった後も各地の美術館で企画展が行われ、その評価はある程度定まってはいるようにみえる。が、まだ現在から見た作品の再評価や、ご本人の戦前〜戦後の活動や生活については不確かなことも多い。漏れ聞くところ、ほとんど日本近代美術史のグレーゾーン(例えば池袋モンパルナスとの関連など)の中にいたようだ。あの明晰で構成的な作品の背後には、現時点での表層的な理解が及ばない何かが潜んでいるということか。

さて、氏の語録を抜粋した展示から、2つほど気に入ったものを紹介させていただく。

(略)… 野生の動物は自分でえさを取る。取らなきゃ生きてゆけないからね。今の美術教育はえさを与えるようにできている。だから飼いならされてしまう。

永遠なるもの。瞬間的なものにしか宿らない。生命感という(抽象的な見えざる)ものは、具体的なものにしか宿らない。

今回の展示は、教育者としての斎藤義重と晩年の「複合体」シリーズの再検証として重要な材料を提供するものだ。この展覧会の準備、私も陰ながらお手伝いをしなければならない立場だったが、忙しく叶わなかった。実行委員会を中心とする関係者の方々の地道な努力に敬意を表したい。



■2009.5.8 - 9

 久しぶりの‥

8日、BankART Studio NYKで原口典之展「社会と物質」のオープニングパーティー。
9日、「山岸信郎さんをしのぶ会
(→2008.1105)」に出席。両日とも、ふだんほとんどお会いできない懐かしい顔ぶれの方々と久々に顔を合せた。

原口さんは、広い会場に彼特有の物質的重厚感あふれる作品を大規模に展開している。彼は私より10歳上。彼の作品から漂う重工業的で、何か騒然とした時代の社会が生み出したようなザラザラした感触は、私の世代でも身体的記憶の底に引っかかてくるものがある。
リメイク作品がある。私は基本的に「再制作」という態度には懐疑的なのだが、彼がその都度、空間の中で新たに格闘しながら、リメイクしていることは充分に感じられる。その現場の空間の中でしかできない感触とともに行われるリメイク。だから"A-4E Skyhawk"や今回制作の"Phantom"など、その衝撃性は色あせない。
"Oil Pool"は、もはや伝説化している作品。私がテヘラン現代美術館で展示した時、現地で恒久設置されている作品を見た。ホコリが少し浮いていたりして、現場で出会った衝撃性は実は希薄だったのだが、今回の作品で気づいたのは、反射された重油の吸い込まれるような漆黒の世界の奥深さと強烈な臭気。「これか」。この会場で、ようやくその強度に納得した。彼の作品の魅力が、ある種の不穏な粗暴さと静謐さが共存している点にあることを再認識した。

「しのぶ会」の方は、初めだけでもざっと見渡して150人以上はいたろう。途中の出入りを含めればもっと増えたはず。平均年齢は60歳以上だろうか。ここに集った方々の多くは、「神田界隈」という美術の現場の傍流で関わり、育ち、影響を受け、与えてきた人たち。あらためて山岸さんの「引力圏」の広さが感じられた。実際は傍流などではなく、例え目立たなくても日本現代美術の底流を形成していたといってもいいかもしれない。
献杯の後、様々な方々が山岸さんを巡ってのコメントを順繰りのご指名で語った。ありゃ、自分も北澤一伯さんと目が合ってご指名が回って来ちゃった。皆、個々の輪で話をしているので大半の人が聞いていない。でもこれで良い。勝手に言いたいことを言っている。やりたいことをやっている。あの頃の田村、真木画廊の雰囲気そのものではないか。いいおじさん、おばさんたちが生き生きしている。一抹の寂寥感とともに。善かれ悪しかれ、皆、あんな場や時代はもう来ないことに気づいている。
以前にも書いたが、やはり70年代から80年代の「神田界隈」は様々な角度から再検証される必要があることは間違いない。山岸さんが遺された資料は、いずれ公に利用されるようになるはず。

個人的には、「兄貴」と呼べる世代(原口さんのような5〜15年くらい年長)の作家たちに対し、自分はこの人たちの作ってきた世界と戦っている、という20代の頃の感覚を思い出した。そう、自分がチャレンジ精神旺盛な頃の感覚。彼らの仕事のいくつかは眼の上のたんこぶだったし、なんとか乗り越えなければならない壁だった。私は同世代と徒党を組んだという感覚はほとんどないが、1950年代生まれで現在50歳代の、俗にいう「80年代作家」(いつの間にか「スルー」されてしまっている世代?)と呼ばれる者の多くは、多かれ少なかれそんなことを感じていたはずだ。

折しも忌野清志郎(58)の葬儀が行われたこの日。53歳の自分にとっての「兄貴たちの世代」からの影響、そしてそれに対する憧れや眩しさ、反発や挑戦など複雑な感覚や感情が、久しぶりに記憶の底から蘇ってきた2日間だった。



■2009.5.1

 記録写真展

昨年秋に行った「つながるみどりプロジェクト」の記録展示が行われています。

・服部ギャラリー 板橋区常盤台1-3(東武東上線ときわ台駅北口下車1分)
※日本書道美術館のお隣。
・5月1日(金)〜5月5日(火) 10:00〜17:00  最終日は16:00まで 入場無料

この地で活動している、しゃれ街協議会の活動報告と「みどりのガイドブック 保存版」、イラストを担当した柄澤容輔氏の原画展、昔の常盤台の写真展などとともに、私の行ったワークショップやパフォーマンスの記録写真が展示されています。

お近くの方で、連休中の散歩がてらお立ち寄りいただければ幸いです。




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