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「現在」という出来事 (1996)
この作品の映像の一部には、私がここ13年程の間に、埋立て地のフィールドワークをしながら撮りためた風景が用いられている。なぜその辺りに私はこだわるのだろうか。
もともと東京北部の住宅街に生まれ育った私は、都会のカッコイイ街並みや、自然の山河にドップリ浸ることもなく、スモッグを吸いながら、中途半端な空き地、田んぼ、原っぱ、砂利山、街工場、ドブ川、古びた木造家屋などを見て育った。それでも子供の頃は何となく、風景には「躍進」とか「発展」みたいなイメージを持っていた。なにしろ高度成長の波が高まり始めた昭和30年代だったから。それがいつの頃からか、風景に「消滅」とか「喪失」というイメージが付きまとうようになった。齢をそれなりに重ねたせいもあろうが、日々刻々全てが変わる東京の街並みは、今から思えば、私たち日本人全体の感受性に大きな影響を及ぼしていったのだ。
埋立て地が気になるようになったのは、昭和40年(1965)にハエ騒動で話題になった『夢の島』に野球場ができ、随分と内陸側になってしまっているのに気がついた大学時代、1977年頃だ。あそこは埋立て終了後、地盤沈下が収まるまで、しばらくほったらかしにしておかなければならない。行ってみるとほとんど何もない。だだっ広い草原と、道路と、風の音だけの荒涼とした風景だ。自己が何者であるかの表示が、埋立て地であるという以外には何もない差異表示のゼロ地点。それは高度成長のワンサイクルが経過した後の大量消費社会に生きる大衆が、他者との差異を表明することをスポイルされ、自己を中流としてしか位置表示できない、自身の内部に潜む自己同一性の解体状況の感性にぴったりくる風景だった。そして、時間が宙吊りにされたような、時の流れのゼロ地点。微妙なバランスを保ち静止した流れが再び胎動しようとする、その瞬間の現在だけがポッカリ浮いている。奇妙に気分が安らぐ風景だった。(もっともその後、臨海副都心計画が進行していく過程で、今も埋立て中の中央防波堤以外はすっかり変わってしまった。それは、たまたま「躍進」とか「喪失」のイメージとは無関係に、テンポラリーな場所だったのが、最近よくありがちな普通の街並みへと移行していったに過ぎないということだ。人々の気分も、先のような実体的な裏打ちのない解体状況はもはやない。いま再構築されるべきは自己同一性ではなく、むしろ他性への想像力だろう。)
もう一つ印象に残る風景がある。初めて海外に行った時に見たエジプトのカイロだ。あそこでは街そのものが生成し、かつ崩壊しつつもあるような、どちらともいえる渾然一体とした時間が、砂漠の空間とともに支配していた。時の流れがランダムに動いているのだ。後に、東京にも独特の時間が支配していることを改めて感じた。様々な都市を歩き、都市そのものがそれぞれの時間を独自に生きていることを知った。あのころの埋立て地が、あの時、あそこでしかない風景であるとともに、世界中のどこの都市にも通底する、近代以降の産業社会が作り出した風景の一つの象徴でもあることに気がついた。そして、そこへ自分が育った昭和30年代の風景がオーバーラップする…。
ところで、作品のタイトルにある『境界』には、場所としての埋立て地以外に、別のメタファーがある。例えば、都市化そのものがはらむ人間と環境の間の宿命的な関係。ものや風景を瞥見することと凝視することの関係。私自身の制作における造形活動とパフォーマンスの関係。そして、40年という時間を経た、自分の時の流れのベクトルが、未来にも過去にも均等に双方向へ示され始めた中間地点としての現在など。
「現在」。この、絶え間なく振動し明滅する瞬間の連なりこそが、個人の主体的時間を生み、社会の歴史的時間を作っていく。80年代後期以降、時代の風向きが少し変わり、人々の気分の中で歴史的な「記憶」のような時間に対する意識が再浮上してきた。そして、さらに今度は未来に向けて、電子情報ネットワークの新しい風景感覚が生成しつつある。それでもなお、「現在」という出来事こそが過去も未来も生成する最大の原動力であり、原点なのだという当たり前の事実を、いま、あらためて考える。現在と行為に焦点を当てること。日々刻々と生成・消滅する無数の出来事に遭遇しながら、たとえ自分のしていることが何だかわからなくなったとしても、絶えず交渉を繰り返し、行為をし続けること。それが重要なのだと思う。
「On the Boundaries」個展カタログ゙ より 1996.11月 発行
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