2010年 (3)
⇒ 活動状況           2012年(1)
2010年(3) 2010年(2) 2010年(1)


■2010.12.31

大晦日に

忙しさにかまけて、またアップが滞ってしまった。前回(11.16)以降、メモ代わりに書いていたものを大晦日にかいつまんで記しておこう。今年のことは年内にアップしておきたいし。
(この間の並びは古い日付順)

11月19日
『Transformation』 東京都現代美術館。


身体の「変身ー変容」のテーマだが、直接的(タイトル通り説明的)なイメージの作品が多くて辟易した感あり。相変わらず映像作品は、忍耐とともに見ることを強いられるのが多かった。M・バーニーの「クレマスター3」を、遅まきながら見られたのは良かったが。
同時開催の「クロニクル1947−1963 アンデパンダンの時代」は、当時に光を当てた好企画だった。コンパクトな展示だったが、イデオロギー対立が鮮明に美術状況に影響を与えていた時代について、参考になる資料がいくつかあった。今後、もっと突っ込んだ研究が行われることを望む。
展示されていた私の大学時代の指導教官だった杉全直の「喰人花』(1947 '49読売アンデパンダン出品)は、喧噪の時代の中らしからぬ、氏の人柄を忍ばせる端正な技術で描かれた油彩だった。アンデパンダンに出品していたのを今まで知らなかった。ちょっと意外な組み合わせだった。


12月1日
『石上純也 ー建築の新しい大きさ』豊田市立美術館。
この2日後にワタリウム美術館で見た『藤本壮介 - 山のような建築 雲のような建築 森のような建築』とともに、今、旬の若手30代建築家(ほとんど同じタイプに感じた)二人の企画展。
建築家のこのようなインスタレーションを見ることが、私にとって同業の作家の作品より興味深く感じるのは少し皮肉なものだ。今の美術家の作品の多くが日常的な私的発想からスタートしているのに対し、特に、スケールの概念を変換しながら展開する石上の作品とその方法論からは、私の考えるアートの文脈に近しいものを感じた。

帰途、岡崎に立ち寄る。
岡崎城と大樹寺を結ぶビスタ(眺望)ラインを取り込んだ設計は、ヨーロッパ的な空間設計思想が日本にもあったことを教えてくれた。

大樹寺山門から正面に岡崎城が見える配置(右写真)


12月3日
一本の樹木から、ごく短時間の間に風もないのに示し合わせたかのように一斉に葉が落ちることがある。あたかも滝の落水のように。そんな時、偶然流れ星を目撃したようにハッとして見とれてしまうのだが、記録に採るタイミングを逃し口惜しい思いをする。先日、運転中に通りかかった街路樹の一本の大きなケヤキがそうだった。
季節外れの台風並みの強風の余韻が残る中、もしかしてうまい具合にそのような様子を記録できるかもしれないと思い立ち、近くの公園へ行ってみる。暗くなるまで3時間ほど粘ったが(ねらいを定めて写真撮影とビデオテープを3本回しっぱなし)、ハラハラと舞い散る普通の情景のみ。残念。それでも季節柄、かなりの量の枯れ葉が舞い散ったが。

「一斉落葉」のタイミングは、気温や風の有無などに関わらずもっと別の要因があるのかもしれない。樹木の種類によっても異なるだろうが、ひょっとして樹木自身が、その「意思」として一斉に自らの身を切っているのではないか、とすら感じる。桜が同地域で一斉に開花するのと同じ原理(開花と落葉という対極の現象だが)が働くと思えば納得できる。
開花の予想はできるが、「一斉落葉」のような光景に偶然出会うということは、想定外のタイミングだからこそ記憶に深く刻まれる。あのような体験や光景を作品化につなげるには、もっと地道な準備と、運というべきある種の恩寵が加わらなければならないのだろう。


12月8日
テレビメディアなどを私が見た限りでは、この日がJ・レノンの命日であることは報道しても、太平洋戦争開戦についての報道は、今年はいよいよ消えてしまったようだ。
北東アジアの緊迫した情勢の中、「Imagine」の調べとともに語られるアナウンサーの情緒一辺倒な物言いには、戦後生まれの自分ですらちょっと違和感がある。もうちょっと、歴史と現在を冷静に結びつける視点が報道には必要ではないの?
テレビから流れる毒気を抜かれたピース・メッセージは、ジョン&ヨーコの体を張った切実な異議申し立てを知っている身としては、何かうさんくさい匂いを帯びさせられているように感じてしまった。(当時の大人から見れば、彼らのアピールはやはり現実離れしたうさんくささを感じたのだろう。しかし、それはそれで歴史と現実を相対化してとらえようとする上では必要な「ズレ」の実感だ。)


12月9日
OECD(経済協力開発機構)の国際学力調査"PISA"の結果が7日発表された。
IEA(国際教育到達度評価学会)による"TIMSS"と並んで、教育関係者の間でよく使われる指標だ。特に、PISA型学力は思考力や論理力(日常生活での知識の活用力)が計れるといわれる点で、注目度が高い。
今回は、前回2006年より少し順位がアップしているという。日本をはじめアジア各国がこの順位をめぐって、一喜一憂しているらしい。やれやれ、と思う。このテストのたびに、結果の順位だけが様々な口実の材料として使われる。ゆとり教育への批判、国際競争力の確保等々‥。このテスト自体の結果をどう読み取るかの想像力が、どうもあらぬ方向に向かっているようにしか思えない。ナショナリスティックな閉じた世界の方に。
私としては、もっと子どもたちの「創造性」がいかに触発され、進展させることができるかの論議をした方が良いのではないかと思う。それはテストのスコアで計れはしない。ましてやナショナリスティックなバイアスとは別の文脈から派生する。これはノーベル賞の数やオリンピックのメダル数を競うメンタリティーにも言えるかもしれない。それは最近の中国の行動を鏡とした時に、どれだけ歪んだメンタリティーなのかを感じることができるだろう。まあ、その事自体の是非をことさら問う気はないけれど。
「美術教育」のもつ意味とか「文化的創造力」を語る機会や機運が、経済的な沈滞と平行して衰退してきていることの方に焦燥感を感じることが多いこの頃である。


12月12日
NHKの「世界ゲーム革命」という番組で、今のゲーム業界の実態を垣間みた。
アメリカでは、すでに映画のセールスを上回る最大の娯楽産業に成長しているらしい。うかつにも知らなかった。日本はもっと甚だしい差がついているかもしれない。(調べていないけれど。
)興奮と快楽を追求する人間の本能を刺激するゲームの潜在力は、今やどのエンタテインメントジャンルよりも強大になった訳だ。
アートの成り立ちそのものが、錯覚とか幻影の世界と密接なつながりがあることを思えば(「向こう側」の世界(本物らしい心の中のもの・幻影)との一体化を欲望した洞窟絵画を想起してみよう)、現在のゲームというメディアがアートと大いに関わってくることは言うまでもない。なにしろ、脳をはじめ身体感覚の基底から操作しうるテクノロジーによって、「向こう側の世界」にいとも簡単に連れ出されてしまうのだ。これをかつてアートが担ってきた役割と言わずしてなんと言おう。
今後、ゲームとアートの世界の境界など考えず、いとも簡単に融合させていく若いアーティストたちが続々出現してくるだろう。単にエンタテインメントとの違いを際立たせたり、ヴァーチャルとリアルの敷居を設けることで、肩身の狭くなったアートの領域を確保(保全)しようとする旧来のアーティスト(無論私もこの中に入る)の態度・方法がいつまで通用するのだろう?
今、漠然と思うことは、己の「身体感覚」についてどのようにとらえるかによって、どのようなメディア、形式、ジャンルを選択していくかがアーティストのタイプの分岐点になっていくはずだ。私は私なりの身体感覚と忠実に対話していくほかないことは言うまでもない。


12月16日
「SHIRASE」にて、ソライロ・プロジェクトのプレゼンをする。今回はどのような作品を構想しているかを具体的に提示した。⇒「ソライロ・プロジェクトとは?」 2010.12.16
この日は、私のソライロ・プロジェクトのために船室一室を提供してもらい、プレゼンテーション用の空間に使える手はず整えてもらうとともに、船内各所も探検(?)する。船首の下部にある倉庫のような空間は、広く不思議な空間だった。いずれこの空間を使った展示をしてみたいと思った。

ソライロ・プロジェクトのプレゼン用マケット 船首下部の倉庫空間(雪上車などがあったところ?)


12月17日
P・フィッシュリ&D・ヴァイス 金沢21世紀美術館。
彼らの有名なビデオ作品「事の次第」を、東京の国立近代美術館で見たのはいつのことだったか? だいぶ前(20年以上前?)だったが、そのアイデアの秀逸さと用意周到な段取りが印象深かった。その後、現代アートの面白さを学生などに紹介する時、しばしばこの作品を良く使わせてもらった。
この作品以外にも彼らの全般的な活動が見られたのは良かった。見ることと出会うことの関係を真摯に追求し、多様な解釈を誘発しつつ、諧謔精神に富んだある種の「浮遊感覚」のようなものが通底しているのに共感した。



■2010.11.16

千葉港に接岸されている「SHRASE(しらせ)」にて、ソライロ・プロジェクトのパブリシティーとして、インタビューとショート・パフォーマンスをする。

ウェザー・ニュースのネット配信の番組の中でのインタビューなので、簡単な打ち合わせのみで、すぐにぶっつけ本番のアクションからスタート。すぐ目の前にあるカメラの前で、ふだんとちょっと勝手が違う進行だったが、10分余りの時間を無事に終了。(内容については、別ページを参照。)

艦上でのショート・パフォーマンス
ソライロ・プロジェクトの進捗状況を説明する

「SHIRASE」は、南極観測船として引退後、環境保護活動のシンボルとも言える役割を与えられている。プロジェクトでの作品は、多分、ここ「SHIRASE」の場をメインに展開していくことになるだろう。


■2010.10.13-25

昨日(24日)、福島の展示の撤去作業が終了。

慌ただしく時間が過ぎた10日余だった。カナダから帰国後、ほとんど息つく暇なく、展示準備・搬入・パフォーマンス・撤去と、東京ー福島間を三往復。(途中、高速道で交通事故に遭う!)

その間、先般カナダで世話になった、Jocelyn Fiset (アーティストおよびGraveのディレクター)が来日。彼の、交流プロジェクトのリサーチ活動のフォローで、宮田徹也氏にセッティングしてもらった東京〜横浜のアートスポット各所の案内にお付き合いした。

以下、この間をざっと経過報告。

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 2010.10.20

 アート・スポット巡り

事故の余韻もさめやらぬまま、18日夕方、新橋の「閑々居」にてJocelyn(以下ジョス)のささやかな歓迎会。この日は、宮田氏が一日中東京各所のギャラリーを案内したとのこと。オーナーの北条さんの心づくしの新米ご飯、刺身、みそ汁などの伝統的な和食と酒を味わい、同席した内倉ひとみさんの「光パフォーマンス」を楽しむ。

19日は、宮田氏がジョスを再び都内各所に案内し、20日は、横浜界隈に私も途中から同行。修理に出す前のポンコツ車で、美術館〜BankArt黄金町などを巡る。
印象的だったのが、山野真悟さんに説明してもらいながら巡った黄金町界隈。最近の、ここの話題については知ってはいたが、距離的になかなか縁遠く、訪れたのはこの日が初めて。アートと地域再生の関係についていろいろ考えさせられた。

最後は再び東京に戻り、「遊工房アートスペース」へ。オーナーの村田ご夫妻には、モントリオールで行われた"res artis"(アーティスト・レジデンシーの国際会議)の出席がてら、私のヴィクトリアビルでの展示をわざわざ見に来ていただいた。その折、ジョスにも世話になったというご縁。
「遊工房」に滞在中のレジデンスアーティスト達も交え、食事がてら歓談し、この日は終了。

"Grave"があるケベック州では、同様のアーティスト・ラン・センターが州内の各所(90カ所以上)で運営されている。独立意識が強い地域ゆえの、手厚い文化政策が以前から続けられている。企画はアーティストなどがディレクターを兼任しながら、任されているところが多い。日本の事情とはだいぶ違う。今回、カナダ側からの視点で交流事業ができる場所があるかどうかリサーチした訳だが、なかなか身の丈にあった所を見つけるのは難しい。
レジデンス施設(展示ギャラリー、制作スタジオ、宿泊施設など)がバランス良く付帯され、アーティスト・イニシアチブとして成立する場所は日本では少ない。民間のギャラリーによるホームステイ型の展示は可能でも、長期間滞在し制作できるかとなると難しい。宿泊施設はあっても、作品のレベルや展示スペースや人の流れが今ひとつ、というところもある。無論、資金援助のバックボーンも弱いところが多い。BankArtなどは規模が大きいが、半ばプロの企画による運営であり、アーティスト・イニシアチブがどこまで成立するのかは、今回交渉した限りではよくわからなかった。

日本でも、地域発信型のアート・プロジェクトが多くなっている中で、少しずつ国内作家のレジデンシーは増えてきている。各地の野外美術展や、あるいは大学などの教育機関が関わるものもないわけではない。しかし、アーティスト・イニシアチブが成立している、欧米型のアーティスト・ラン・センターが一般化するのは、今の文化予算のお粗末さではまだまだ先のことになるだろう。
20年以上前、そのような可能性についてアーティスト同士で良く話し合っていたことを思い出す。「オルタナティヴ」などという言葉が流行った頃だ。しかし、あの頃からどのくらい変わったのかと問われると、自らの非力さも含めて首を傾げざるを得ないのが正直なところ。今や、韓国などは日本より遥か先を歩み始めているのに…。

ジョスが、今後どのように交流事業を展開していく構想を練るか? なかなか難しい点もあるだろうが、期待しつつゆっくりと報告を待つことにしよう。

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 2010.10.17

 不幸中の幸い?

パフォーマンス公演の帰途、なんと東北自動車道の上り線で、後ろから追突される事故に遭う。

そこそこのスピードで流れているさなか、自然渋滞が発生。前方でブレーキランプが点灯した。比較的急なブレーキを踏まなければならない状況で車をストップさせた。間髪いれず、後部で「クシャッ」という乾いた音とともに「ドンッ!」という衝撃が‥。
老夫婦が運転していた車に追突されてしまった。原因は、先方の前方不注意とブレーキの踏み遅れ。幸い、私と同乗していた妻の体は何ともなかったが、車体後部がかなり損傷を受けた。(100 - 0で先方の過失責任。)

後から思えば、かなり危険なシチュエーションだった。

追い越し車線で一度ストップした二台の車は、その後再び車が流れ始めたため、右の中央分離帯寄りに退避せざるを得なくなった。老ドラーバーは、自分の車のハザードランプの操作方法もわからず、オロオロしている。私が自分の車の三角表示板を取り出し、後方の路上に設置。二次追突が危険なため、老夫婦を車から退避させ、私たち夫婦も少しでも安全な前方の中央分離帯のガードレール付近に四人でへばりつくように立ち尽くすはめに。すでに、左側の路側帯には移動できない。我々をかすめるようにビュンビュン後続車が走り抜けていく。警察が来るまでの20分間がすごく長く感じた。

その後、事故処理を終え、幸い車も自走できたので、東京までの200キロ以上の道のりを、妻と二人で命がつながった幸運を噛み締めながら、ゆっくりと走行して帰宅。

「もしも」の仮定だが、事故現場が右カーブで見通しが利かなかったり、中央分離帯付近がもっと幅狭で車線上に車が大きくはみ出た状況だったりしたら、かなりの確率で二重、三重事故になっていただろう。ましてや追突したのが大型トラックだったら‥。そう。この日のパフォーマンスで使った花びらのように、我々の命だって儚く散ってしまっていたかもしれない。

ああ、パフォーマンスについて報告しようと考えていたが、以下の写真だけでご勘弁を。

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 2010.10.13-14

 展示作業での葛藤

今回の設置作業では、会場全体のレイアウトの関係で、展示プランを大きく変更せざるを得なくなってしまった。

良いインスタレーションとは、単なるディスプレイ空間とは性質が異なる。作品の構造や周囲の間との関係が密接に絡むし、物理的なスペースがあって、そこにただはめ込めば済むというものでない。

カナダのレジデンスで、じっくり時間をかけ、自分の身体・精神が、空間を始め様々な条件と葛藤を繰り返しながら、なんとか折り合いがつくギリギリまで格闘した経験の直後なだけに、この福島文化センターの会場での設置条件の、ある種の「生ぬるさ」と「曖昧さ」に、なおさら強い違和感を感じた。

残念ながら、事前に意図した空間に近づくことは叶わなかったが、なんとか作品として最低限成立するところまでは漕ぎつけられたかと思う。

一人のアーティストとしての責任とプライドにかけてもそこまではなんとかしなければならないから。

作品タイトル:Simultaneous Positioning
素材:机、ロープ、ステンレス容器、メジャー、写真、花びら、反射鏡など。
(この写真は、17日のパフォーマンス前の状況。パフォーマンス後は変化した。)



■2010.10.10

  福島現代美術ビエンナーレのお知らせ

この展覧会に出品。また、パフォーマンスを下記の期日にします。だいたい20分程度の公演になるでしょう。入場無料です。お時間がありましたらぜひお越し下さい。

福島現代美術ビエンナーレ

HANA 〜花、華、蘂〜

2010年10月16日 (土)〜24日(日)
福島県文化センター 10:00〜18:00(最終日16:00まで)
福島県春日町5-54 Tel:024-534-9191

⇒  公式サイトへ

丸山常生 パフォーマンス
10月17日(日)13:00〜(同所にて)



■2010.9.16-10.5

  ケベック(カナダ)での作品

おおよそ20日間の滞在制作を済ませ帰国。
全般的な報告は、いずれ別ページでするとして、とりあえず制作した作品について簡単に記しておく。

様々な条件的制約(時間・素材・テーマ・その他…)の中で、自分なりに120%のエネルギーを出せた制作ができたと思う。今後の自分の活動の一つの指針になるような方向性を確認することができたかもしれない。今はまだうまく整理して説明できないが。

今回の特徴として、"Work in process"(ワークインプロセス)という、個展会期前の準備期間(4日間)と、オープニング後の滞在期間(6日間)に、単なる一つの作品の経過的な公開制作ではなく、日々作品を別のものに更新し、変化させていくチャレンジングな手法を採ったこと。
かなりリスキーな決断だったし、うまくいくかどうかの確信も持てないまま、毎日朝早くから夜遅くまで、作品について考え、プランし、試行錯誤しながら制作に没頭した。


作品 "phase-3.2"の状態 (9/30)



"phase-0"から"phase-4" *まで、おおよそ5種類の様態の作品を、同じギャラリー内に次々に作った。その間に行ったいくつかのアクションとパフォーマンスとも絡ませ、かなり複雑な作品(インスタラクション)になった。視覚的に見るだけでは、えらくシンプルに見えるかもしれないが、実際はそうではない。 *phase (フェーズ:段階、位相、月の満ち欠けなどの意味)


作品 "phase-1.3"の状態 (9/24)

ワークインプロセスの間、写真(作品としての写真でもあり記録としての写真の両方の性格を持つ)を繰り返し撮影し、プリントし掲示する。
それらの写真(最終的に計20枚掲示)や、1枚の紙と椅子が各フェーズ間の媒介となりながら、前の作品の構造(物体、空間、時間を含めた)や行為が次の作品に影響を及ぼし、後の作品の構造が前の作品に呼応させるというかなりアクロバティックなことを構想している。

まさしく自分流のインスタラクションを目指して、なんとか実現化できたのではないかと思う。そう言う意味では、アーティストとして新しい挑戦ができ、非常に有意義な時間を過ごせたと感じる。(展示は10月22日まで開催中)

作品についての詳しいことは、いずれ同行取材してくれた評論家の宮田徹也氏が、何らかの形で書き記してくれるだろう。

作品タイトル:Simultaneous Positioning
素材:椅子各種、土、灰、紙、ロープ、地球儀、ステンレス容器、写真など。他に、ヴェルニサージュにてアクション1回、パフォーマンス1回、ワークインプロセスの間も断続的にアクションを繰り返す。

⇒  滞在日誌ページへ(工事中)


作品 "phase-4.1"の状態 (10/2)


■2010.9.11

  AIRでの滞在制作

9月16日からカナダのビクトリアビル(Victoriaville - フランス語圏のケベック州に位置する)という街の、"GRAVE"というレジデンスで滞在制作をしてきます。

AIR(アーティスト・イン・レジデンス)は、少なくとも一ヶ月以上は滞在するのが普通だが、今回、個人的にそれは難しかったので、おおよそ20日弱の滞在とさせてもらった。タイトなスケジュールの中、Japan-Canadaファウンデーションからの助成で、制作・展示・パフォーマンス公演など一連の活動が予定されている。


評論家の宮田徹也氏(日本近代美術思想史研究)を先方にご紹介。氏も一緒に滞在し、現地で論文を書き発表する。
以下は、簡単なオフィシャルなスケジュール。

  9月22-26日 丸山のワークインプロセス(見学可能)
  9月24日 17:00 オープニング +丸山・宮田のショートプレゼンテーション
  20:00 パフォーマンス (丸山、他5名の現地アーティスト)
  10月22日 この日まで展示

GRAVE  
Website_1 ⇒ Website_2
17, rue des Forges, Victoriaville(Quebec) G6P 1N5
Tel : 819 758 9510

参考)モントリオール日本領事館「広報文化」サイトより

現代美術作家・パフォーマンスアーティストの丸山常生氏と美術史評論家の宮田徹也氏がアーティスト・イン・レジデンスの枠組みで,展示等のために9月19日(日)〜10月3日(日)までVictoriavilleに滞在します。以下の展示等の催しが開催されます。
1. 'Art Actuel': International Residency of creation for the artist Mr. Tokio Maruyama
2. International Residency of writing for art historian and art critic Mr. Tetsuya Miyata
・ 展示オープニング: 9月24日(金) 17時
・ 展示期間:10月22日まで(一般公開は水曜日〜金曜日のみ)
・ 場所:GRAVE de Victoriaville


もし、この期間にお立ち寄りになる機会がある方は、足を延ばしていただければ幸いです。私は10月3日まで現地にいる予定です。帰国後には、また、この欄で報告することもあるかと思います。


■2010.8.31

  我を忘れるために

今年の猛暑は、観測始まって以来の記録になりそうだ。

頭をひねって考えなければならない懸案が七つほど重なってしまった。優先順位の違いはあれど、なかなか進展しない。若い頃はもう少しテキパキと対応できたものだが、と焦ると、余計頭の中がオーバーヒート気味に。思わず、少しでもスッキリさせねばと、炎天下にも拘らず散歩に出てしまった。

散歩コースはいくつかあるが、今は頭を一度空っぽにしたい。家から北の方の街をしばらく放浪することにした。この辺りは、古い家屋あり、小さな街工場あり、商店あり、林ありのゴチャゴチャした地域。土地の起伏も激しく、自然の地形にそって細い道が曲がりくねっている。何の変哲もない所なのだが、何故か鋭いはずの私の方向感覚がここでは麻痺しやすい。土地勘を狂わせる磁場があるのだ。こういう時(つまり我を忘れたい)には、うってつけのコースだ。

さすがに人はほとんど歩いていない。暑さでただでさえ頭がボーッとしていることも手伝い、気ままに路地を曲がったり、坂を登ったり降りたり…。そうしているうちに、案の定、頭の中のGPS(客観的位置感覚)が狂い始めた。太陽の方向がすぐわからない空の狭さも都合がいい。次々と現れる思いがけない風景で前頭葉がリセットされ、身体の他の部位から不思議な感覚が次々に立ち上がってきた…。

はるか昔読んだ、つげ義春の漫画がふいに思い浮かぶ。ゴミゴミした古い木造住宅が続いたせい? 水木しげるの漫画の一シーンも出てきた。

…と、サルディニア島でやはり炎天下の中、誰も人がいない街路をのんびり一人で歩いた記憶が突然よみがえる。キリコの絵画のようだった。あの時は雲一つない真っ青な空でくっきりと影が伸びていた。

しばらくすると、なぜかピラネージの牢獄の絵を連想。これは意外。古びた外階段が多い工場のせい? あるいは坂道で顔を上げたり、隙間なく並んだ家屋を見下ろしたりしたから? 奇妙な圧迫感があるが、気持ち悪くはない。

‥‥さらにさまよっているうちに、ふいに、かつて一時的に借家住まいをしたことがある跡地に出た。ああ、ここか。ようやく我に返る。


気づけば、大して広くない範囲を1時間半近く彷徨していた。公園のベンチでお茶を飲みながらしばらく佇む。怪しげにボーッと歩いているおじさんを自ら想像したら、ほとんど徘徊老人と変わらないじゃないか。つい、苦笑いが出た。
でも、いつの間にか頭の中はスッキリしていた。とりあえずは…。また、この後ひと踏ん張りするか。

それにしてもなぜピラネージの風景だったのだろう?



■2010.8.25

  人はいつ死ぬのか?

今月初めに発覚した消えた老人問題がさらに広がりそうだ。戸籍上生存している超高齢者が各地の役所から発表されている。まだこれからも出てくるだろう。

日本もなかなかやるじゃないか。
いや、皮肉ではない。
日本独特の戸籍制度がけっこう杜撰(ずさん)だったことに一種の安堵感を覚えた。そう、1億数千万人の人間を、国家(役所)が家族単位ですべて捕捉していると想像するだけで気が重くなる。そんなことは無理だ。あるいはそんな完璧さを求める必要があるのだろうか?(理論的には住基ネットなどを発展させれば表面的な捕捉は困難ではないだろうが、死亡届が出されなければ同様の事態は避けられない。) 

かつて父親が他界した後、あちこちの役所や金融機関などからいろいろな書類を取り寄せ、七面倒くさい内容を調べ、記入・捺印し、それを提出するのに忙殺されたことがあった。時をおいてしばらくすると、また、この書類を提出せよという請求がくる。縦割り行政の弊害だ。結果的にこれらの手続きを終えるのに1年近く費やされた。葬儀を済ませ、はい終わりという訳にはいかない。

管理社会の元での人間は、単なる一個の肉体ではなく、過剰ともいえる社会的契約にがんじがらめに拘束された存在なのだ。それを一つ一つ解きほぐしていく手続きで、あらためて強く実感した。(そういえば、30年近く前に他界した母親宛にも、しばらく前まで某デパートからお知らせが良くきていた。こちらから連絡をするのが面倒くさかったから。これはご愛嬌だが。)
人は肉体的に死んでも社会的にはそうならない。哲学的・宗教的・心理的には無論そうだし、もっと世俗的・事務的にもそうなのだ。そう簡単には死ねない(消え去れない)のだ。

今回の問題は、各方面から様々に言われるだろう。
確かに年金などの不正受給を意図的にしていたら非難
されても致し方あるまい。が、あえて乱暴に言わせてもらえば、高齢の息子・娘(この人たちも老人)が、例えば親の死を届けなかった(られなかった)こととか、白骨化した遺体とともに暮らしていたこと、いつの間にか生き別れになっていて消息不明ということなど、僅かな例とは言え、こんなこともありうるよな、なんて素朴な気持ちを抱いてもいいのではないか。

自分の死後、己の社会的関係をゼロまで解きほぐすのに親族の手を過剰に煩わせたくないと願う。とすれば、人知れずどこかで朽ち果て、戸籍上はずっと生存しているなんてこともあり得るだろう。そのくらいのことを最期にする自由(選択)が人には残されてもいいと思う。
老人になるということは、それまで組み込まれていた社会という網の目から、次第に無頓着になり否応無しに逸脱していくということだ。介護を長い間経験した身から、本当にそう思う。それを押しつけがましい正論や正義感でしっかり管理せよという声が大きくならないことを願いたい。

大袈裟かもしれないが、人間が野生の中の生き物の一つだった感覚は捨て去られるべきではない。(アートだってそうだ。)そんなある種のおおらかさ・曖昧さを許容する寛容さが日本にまだ残っていてほしい。




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