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■2008.6.10

先月末、横浜でアフリカ開発会議(TICAD)が開催され、アフリカ関連のニュースがメディアを賑わせた。食料危機・エネルギー問題・地球温暖化・貧困と紛争・エイズ…、多くの諸問題が互いにリンクし合いながら混在していることを改めて突きつけられた。私も、一ヶ月前、カメルーンで遅まきながらその実態のわずかな一端を実見した後なので、それなりのリアリティーを伴ってこれらの情報に接することになった。

ふと、かの有名な発言を思い出す。

「百万人の飢えた子どもにとって、いったい文学には何の意味があるのか?」

そう、サルトルの言葉だ。
ビアフラ紛争と関連した1970年前後だったろうか。定かではない。ともあれ、私はそのしばらく後の浪人時代、「文学」を「美術」に置き換え、真面目に考え込んだことがある。私だけではあるまい。多くの人が密かに辟易しながら、小骨がのどに刺さったような思いで、この問いを反すうしたことだろう。

今から振り返ると、これは近代芸術をめぐる典型的な議論だったと思う。それは、あの発言に対するもう一つの有名な(?)反論、「百万人の飢えた子どもは私の文学にとって何の意味があるのか?」を併置すると明らかになる。「芸術のための芸術か、人生のための芸術か(Art for Art's Sake or Art for Life)」 両者は、一見立場こそ違え、その背後に19世紀来の西欧における、「芸術」を自明の前提とし、それに対し素朴な信頼感を担保しているという点において、基本的に同じだったと気づく。

その後、いつの間にやらこの手の議論はあまり目立たなくなっていった(日本では特に)。私自身は、この強引な二項対立的な問いかけは既に無効化していると考えている。特に、90年代以降、近代的な芸術(モダニズム)のあり方に地殻変動が生じてからは、その議論の土俵自体が根本的に変質してしまったと感じる。では、もうサルトルのような問いかけは全く必要なくなったのか?

そんなことはあるまい。位相を変えた同様な問いかけは必要だし、可能だろう。少なくとも私にとって、「美術家として、その生の中で、どのように美術の現場と社会的現実に関わっていくのか?」を真摯に問い続けていく必要性は常に感じている。若さゆえの性急さ、老いゆえの物わかりの良さ、無関心さゆえの引きこもりからはできるだけ距離をとっていたい。まあ、当たり前といえば、当たり前の話になってしまったかもしれないが。

エコエゴ2006 の資料集の評論において、平井亮一氏には、「環境へのビジョン」「アクティビスト・アート」の事例をあげながら、「芸術としての存立の可能性」に言及、問題提起をしていただいた。また私自身、1月31日のこの欄で「社会性」について少し記した。その延長として今回書いたが、追々、続けていこうと思う。
 


■2008.6.5

ワークショップ「ヒモで発見」。
43名の小学4年生の児童たちと、板橋区立美術館で約3時間過ごす。

初めに3組に分かれ、学芸員の方々が作品鑑賞の導入。その後、広いロビーに集合し私が登場。いくつかの参考資料を利用しながら簡単な説明。この時点で既に子どもたちがけっこう乗ってきたので一安心。以下の3つのパートからなるワークショップが始まる。今回は、太さ約2-3mmの綿のヒモを使用した。

   
Part-1.「私のヒモ」づくり
身体のシルエットに沿わせたヒモをカット。自分の身体尺が一つの基準。

  Part-2.「ヒモから何かの形を発見」
偶然生じた形から輪郭を抽出し、鉛筆でフロッタージュ。


Part-2. 同 左
複雑な形から、意味ある輪郭を見出す。有機的なものを感じる。生命の形だ。

 
Part-3.「私の場所」づくり
各々の周囲を広げるようにヒモで囲って陣地をつくる。境界の形をみる。例えば、国境線や細胞を連想する。
パフォーマンス
Part-3. で出来た領域を使う。地球儀、脳模型、やじろべい等も登場。子どもたちも「声」で私の動きに加わる。
パフォーマンス
不安定な状態の私の体や、やじろべいのバランスを崩さないように、ヒモを私の周囲に取りつける。


Part-2では、ヒモを投げ、床に落ちた形を見る。二度と同じ形は現れない。ランダムに重なった線を様々な向きから観察し、何か意味ある輪郭を抽出する。見出された形には生命的なイメージが多くなる。例えば顔。人はどんなものにも自らの分身のようなものを見出してしまう本能をもっている。あるいはヘビ。これは神話的世界の中でも重要な役者の一つだ。その他、植物など様々なイメージが発見される。

「我々が場の中に事物を埋め込むか、それとも描き出すかはひとえに輪郭の検出の仕方にかかっている。」(P・クレー)

心の中の輪郭検出装置。その読み取りパターンの多様性を持ち続けることが大切だと思う。特に大人は。子ども時代はこういうことは得意だ。雲の形、木陰のシルエット‥、身の周りの世界のいたるところで検出装置が作動する。つまり、一見なんでもないものから複合的で多様な形象を見い出す眼。それは、あのレオナルド・ダ・ビンチが髪のウェーブや布のしわに、大自然の運動、例えば川の水の流れと同等なものを観想したようなことにも繋がるだろう。

もちろん、子どもたちにあまり大層なことは言わない。彼ら彼女らにとって、そんな説明をしなくても充分身近なことだ。3時間で、やや盛り沢山の中身だった。しかし、皆、集中していた。偉い。予想していたように素直だったし、やりやすかった。最後、パフォーマンスの時、「このおじさん何やってんだ??」 ちょっと顔つきがこわばっている子がいたようだが…。まあ、不思議だけど楽しかった記憶として心の片隅に残ってほしい。

ヒモ。
この素材は子どもから大人まで、いろいろな観点からアプローチできる可能性を持った面白いアイテムだと思う。まだ様々に展開できそうだ。そういえば、今回用いたヒモは、3重螺旋で撚られ、そのうちの1本はさらに細い20本の紡がれた糸で構成されていた。計60本の集合体。これ自体が生命の形象や運動と相似している。



■2008.5.30

今度行うワークショップ「ヒモで発見」の別バージョンを、高校生を対象に行う。
内容はだいぶ異なる。これは偶然行う時間が与えられ、即興であみ出した。というか、しばらく「ヒモ」を相手にいろいろ構想する機会があったので、丁度このタイミングでアイデアが湧いたというところか。

4人一組のチームが5つ。チーム内でアイデアを出し合い、共同作業をする対抗戦形式。条件や道具の詳細は省くが、主な内容は以下の2つ。
1. 太さ1cm程度の複雑な編み込みが施された綿ロープ5mを自由に分解し、テーブル上に、できるだけ面積が大きくなるように平らに広げること。(制限時間:15分)
 
2. 同様のロープ(1.と別のもの)に自由に手を加え、できるだけコンパクトになる(容積が少なくなる)ように紙コップに詰め込むこと。(制限時間:35分)
 

けっこう面白い。短時間なので集中力が必要になる。最初の作戦立案・チームワーク・作業の巧みさ・時間配分など、様々な要素が結果に影響する。
特に、2. のテーマは、各チームが様々なアイデアで競いあった。平均すると紙コップ2つ半に収まったが、勝利したチームは、なんと紙コップ2つ分にぴったりと収めてしまった。それも一番早く、25分くらいで! 私が事前に想定していなかった意外な方法が功を奏した。提案した私も感心しきり。

どのようにしたか想像できますか? 答えは、ここでは書きません。あしからず。



■2008.5.28-29
あふれかえった作品やその資材を、福島にある倉庫(3カ所あるうちの一つ)へ搬入。アトリエや生活環境が少しスッキリするが、基本的な手狭感は変わりようがない。また、すぐにいろいろ溜ってしまうのは明らか。ずっとこの繰り返しだ。

帰途、温泉(土湯温泉)につかる。寝不足がちで、これまただいぶ溜っていた疲労の解消を図る。うん、温泉につかっている間は気持ちいい。しばらく逗留すれば体の芯から疲労が抜けると思うが、東京に帰るまでのトラックの運転で元の木阿弥となる。これも荷物の蓄積と同じサイクルか。いつか、どこかでこれを転換したいものだ。

上は、ついでに立ち寄った雨中の「女沼」の写真。森に囲まれ、こじんまりとした沼。朝霧がかかり、全く誰もいない風景は思いがけず神秘的だった。雨に濡れた新緑が鮮やかで、涼やかな風が水面をゆっくりと撫でる。心に染み渡る情景。今回は、これと、旅館のうまい食事を味わえたのが、五感へのご褒美となる。


■2008.5.25
気の置けない外国の友人のウェディングパーティーでおこなったショート・パフォーマンスのワンシーン。

ふだん、あまりこういうことはしないのだが、出かける直前にフッとアイデアを思いついてしまった。居合わせた人たちに参加・協力してもらうパフォーマンス。出席者が思った以上に多かったので、ショートではなく、意外とロングになったが。15分くらいか。まあ、喜んでもらえて良かった。


■2008.5.23

「板橋美術百貨展」チラシ
来月5日に板橋区立美術館で行うワークショップの打ち合わせ。

翌24日から始まる企画展示「館蔵品による板橋美術百貨展」の鑑賞教室を兼ね、小学校4年生が美術館に来る。そこで行う3時間程のワークショップ。学芸員のHさんの話だと、4年生くらいの児童は素直で言葉の理解力もついてきているのでやりやすいらしい。

事前に、細めのヒモを用いるアイデアを暖めていたのだが、打ち合わせをしていく過程で当初の計画がどんどん変化していく。これが面白い。小柄なHさんを小学生に見立て、床に寝てもらったり(スミマセンでした)、素材や段取りを試行錯誤しているうちに4時間程経ってしまった。途中、わたしが「超ヒモ理論」など直接関係ない話題に振ってしまったしな。

その後、展示作品のM・エルンストの「博物誌」(1926年・34点の連作)から得たインスピレーションを応用することに。突破口がなかなかみつからなかった構想に再び動きが出る。さらに、学芸員のもうひと方、ベテランのMさんにもいろいろアドバイスをいただき、おおよその段取りが決る。

タイトルは「ヒモで発見」。
自分の身体尺を元にしたヒモを用い、そこから偶然生み出される形を発見したり、その形成プロセスを体験してもらう。ワークショップは、あまり型にはまりすぎても、いきいきした現場は生まれにくくなる。事前の構想はもちろん大切だが、児童たちによってその場で生み出される雰囲気に、私自身がうまく乗れるかどうかも大事。意味の強制や、こじつけはできるだけ避けたい。その辺り、パフォーマンスと似ているところがある。

小学4年生。私はその頃の学校生活の記憶があまりない。その前後はあるのだが。記憶が薄いということは、それだけ日常の時間のリズムにどっぷりと浸かり、摩擦の少ない幸せな時間を過ごしていたからなのだろうか。うーん、確かにこの頃は「素直」で、大人や社会に対し無垢な信頼感を抱いていたかも知れないな。当日出会う少年少女は、果たしてどうだろうか?

展示の方(7月6日まで)も、普段見られない作品がある。けっこう面白い。私のもあります。どうぞこちらも足をお運び下さい。


■2008.5.20

再び、私に何らかの影響を及ぼした故人について。

飯塚八朗氏。5月15日に逝去。享年80。昨日、川崎でお通夜に参列してきた。造形作家であり、よき教育者でもあった。氏とは1980年頃、SD会という斎藤義重氏を中心とした美術研究会で出会った。その後、様々な人々や仕事と巡り会う機会を与えていただいた。葬儀場で氏の年譜を拝見したら、ちょうどその頃、今の私と同じ歳だったことに気づく。へぇー、そうだったのか。つい、今の自分と比較してしまう。かなり貫禄があったな。

「"With"の人」。あえて一言で表現することを許してもらえれば、こう言えようか。周囲を巻き込み、自らも巻き込まれることを厭わず、それを楽しんだ。老若男女関係なく、多くの人たちのコミュニケーションのメディウム(媒介)のようなスタンディングポジションを望んでいたようだ。「遊び」というキーワードを自在に展開し、美術教育や自らの作品制作に敷衍していくことにも力を注ぐ一方、尊敬する巨匠・斎藤義重の晩年の補佐役にも徹していた。

私の亡父の一世代(10 年)下にあたる。特攻隊最後の世代を自認していた。以前、3週間程旅を共にした時、外国人を交え日本や戦争について話題が及び、私が外国人に日本の現状の否定的な側面を少し話すと、そんなこと言うもんじゃないと、不意に日本語で叱責されたことがあった。遊びや自由を尊重する柔軟性を持ちながら、時々、何かカツンと「芯」を感じさせられた。生まれる前の大正の自由主義的な空気の名残りを吸いつつ、愛国少年だった記憶も抱えながら、戦後、新たにアートの世界に携わってきたのだろうと推測する。

「丸山君、また何か面白いこといっしょにしたいな。」「はい、そうですね。」

氏も、いろいろな局面で私の歩みの幅を広げていただいたキーパーソンのお一人だったことに改めて気づく。 合掌。


■2008.5.18

高校時代の恩師、故・小野政吉先生の回顧展を、さくら市ミュージアムへ見に行く。先生は2004年に享年94歳で他界なさるまで、教員生活を続けながら、フォーヴィズムの流れをくんだエネルギッシュな絵を長く描き続けておられた。

ふと思う。先生との出会いがなかったら、私は美術の分野に足を踏み入れていなかったかもしれない。この歳(52)になれば、自分が歩んだ道は自らの意思と行動だけで決めてきた、などと不遜なことは言えなくなる。様々な偶然や人々との出会いの連なりの過程で、自分がささやかな決断を繰り返しながら今に至る、という当たり前の事実をありのままに受け入れることになる。その中でも先生の存在は、美術方面に進むかどうか深刻に悩んでいた高校2年の私に、さりげなく勇気を与えてくれたのだ。そう、けっしてドラマチックで強烈な影響ではなかったが。

美術部でもなかった私には、特に身近ではなかったし、何かを相談していただいた訳でもない。高1の美術の授業では、一学期間で石膏デッサンを1枚描くだけ。進学校だったので美術の授業はほとんど気晴らしに近かった。生徒がさぼっても、先生は特に小言も言わずご自分の絵を描いておられたことが多かった。今では信じられないような、ゆっくりとした時間が流れた当時の授業。その後、高2の半ばになり真剣に進路に悩むようになって、絵を描いている先生の物腰や醸し出す雰囲気に何となく気になるものを感じ始めた。しかし、なぜだろう。あのような牧歌的な雰囲気の何がそうさせたのか? なぜ他の多くの生徒(といっても学年で5名前後)も美術方面を志していったのだろう?

今日、改めて作品を拝見しあることに気づいた。独特の筆触(タッチ)そのもののリズム感だ。単なるフォーヴ風の荒々しさではなく、熟慮と逡巡が交錯しながら最後に「えいやっ」と決断されたタッチ。あれが不安と希望、夢と現実がない交ぜになった高校生特有の精神に、何らかの共振現象を生じさせたらしい。「お前は悩みながらも思うようにやって良い。」という勇気を呼び覚まし、増幅させるようなような作用とでもいえようか。先生の人間として、絵描きとして、教師としての魅力はもちろんあったに違いない。しかし、それらと別に、ご本人の絵画そのものに
根源的な力が秘められていたことに今更ながら気がついた。ずいぶん時間がかかったものだ。


■2008.5.2

予定より遅れてカメルーンより帰国。現地(ヤウンデ)で帰国便の搭乗に間に合わなかったのが原因。かなり焦った。日を変え200キロ以上移動し、海岸部のドゥアラから別便に搭乗しなんとか戻れた。何はともあれ、作品発表(インスタレーションとパフォーマンスそれぞれ2作品)はしっかりと行ってきた。そして、初のブラックアフリカ体験にもどっぷりと浸かれた。今は疲労困憊の状態。
前回記したが、やはり現地に到着してから新たに出くわしたことが多々あり、「えーっ!! そうなの?」ということが日常生活でも作品制作でもしばしば…。今までの海外経験の中でも、かなりハードなコンディションでの制作と発表だった。

 Espace Oyengaにおける展示

作品ページ

この国は19世紀末以降、ドイツ、イギリス、フランスなどによる統治後、1960年にカメルーン共和国として独立。現在はフランス文化圏の影響の元にある。首都・ヤウンデは7つの丘に囲まれた国内第2の内陸都市。けっこう広い。しかし市街を出れば小さなビレッジが点在するだけで何もないジャングル地帯が広がる。中心市街のごく一部は近代的体裁は一見整えられているものの、少し離れれば街灯も信号もほとんどなく交通状況は過酷。4〜5世代前の(つまり15年以上前の)トヨタ・カローラがボロボロな状態で走っている。市民の生活レベルでもスラム化した家屋が多数あるなど、土着的前近代性を彷彿とさせる雰囲気が渾然一体となっている。去る2月には物価高騰・食料不足に対する暴動が起こり、多数の死者が出たばかり。一見平穏に見えるこの国でも、グローバル化した世界状況とむろん無縁ではなく、またアフリカ特有の諸問題も構造的に潜在している。現大統領は25年間在職が続き、政治・社会・経済問題などへの庶民の不満は根強くあるようだ。

ヤウンデ市内の喧噪
空き地で遊ぶ子供たち
廃車の上に干された洗濯物


そのような中、現代アートの国際フェスティバルが個人の民間レベルで初めて開催されたことは、とても大変なことであったことは確か。

まずこの欄ではここまで。後は以下のページをアップ後ご覧下さい。



■2008.4.15

明日16日、パリ経由でカメルーンへ旅立つ。2週間ほどの滞在。インスタレーションの設置とパフォーマンスを数回行う予定。インスタレーションの素材は、現地での調達を事前に依頼しているが、きちんと揃うとは限らない。というより、今までの経験からいっても思った通りに行くことはほとんどない。まあ、行ってみなければわからないということ。パフォーマンスは何とかなるが、インスタレーションは3〜4日間で設置しなければならないので、様々なケースを想定しておくことが大事だ。現地入りしてからフィールドワークをして、新たなアイデアや素材を仕込むこともあり得る。大幅に予定変更し、集中して一気呵成に作業することもあるかもしれない。以前、テヘランでの展覧会では1週間前に現地入りして設置作業する予定が、依頼していた素材が開催直前までなかなか届かず、毎日じらされながら待ちぼうけを食らったこともあった。さて、今回はどうなるか?

現地の気象情報をネットで調べると、ほとんど毎日雨。雨期の真っただ中ではないようだが。熱帯の高温多湿の中での体調管理にも、今までの海外経験よりきめ細かな注意が必要だろう。マラリアに気をつけるために長袖も着ていないと…。ともあれ、新たにどんな出会いがあるか想像することが楽しみ。また、自分の表現が相手の表情や様子が分かる距離感で行えることも、このような展覧会の独特な面白さでもある。

それでは、来月帰国後、報告します。


■2008.4.5



大使館にあった唯一の案内チラシと、取得したVisa、イエローカード。
今月21日から、アフリカ・カメルーンの首都ヤウンデでRAVY2008(Rencontres d'Arts Visuels de Yaounde)というヴィジュアルアートミーティング(アートフェスティバル)が行われる。昨年の5月頃から、先方とコンタクトを続けていたが、途中、「?」という気配もあったもののどうやら開催実現化へ。というのも、先方ではこのようなプロジェクトは初のこと。かなりすったもんだしているらしい。初め少し参加を迷ったが、日本人は私一人。何もないところから、何かを立ち上げることの大変さは自分の経験からもよくわかる。それはそのことだけで貴いと感じる。著名な大規模国際展の情報は日本ではよく知られていても、このような無名で地味な交流活動はほとんど興味を持たれることはない。アーティスト同士の個人ベースのコミュニケーションの中から、少しずつ何かが立ちあがっていく予測不可能なプロセスの醍醐味。けっこうリスクも高いが参加することに。そう、ほとんど冒険だ。
ブラックアフリカ(サハラ砂漠以南の地域)を訪れるのは初めて。昨日、東京のカメルーン大使館でビザを受け取る。このビザの取得にもけっこう時間がかかった。招聘状やイエローカードの提示はもちろんだが、先方の受け入れ態勢などの情報も双方からこと細かに提出しなければならない。ギャランティーレター(保証人証書)の記入・提出も、団体でない個人にとってはけっこう荷が重い。カメルーンと言えば一般的にはサッカーくらいしかイメージがわかない。大使館でも現地の情報はほとんど取得できないし、外務省の海外安全ホームページが頼り。そこでいったいどんなアートが展開されるのだろうか? 楽しみと一抹の不安が半々というところ。冷静さを失わずに臨みたい。そして相手に対するリスペクトも。

折しもアートフェア東京2008が開催中。昨年は売り上げが10億とか。今年はもっと上を行くだろう。このような市場経済のグローバリズムと連動した形とは別のアートの世界も確実にある。



■2008.3.31

板橋区立美術館での展示が30日で終了。椅子の部材による構造体の左右に、それぞれ空間と時間を象徴するモビール状のオブジェが均衡を保ちながら吊るされた作品。万一の事故にならないか少しヒヤヒヤしていたが、問題なかったので一安心。
翌日、解体・撤去作業。セッティング時もそうだったが、撤去も順番を間違えると一挙にものが落下したり、バランスを崩してしまう危険性があるので慎重に作業を進める。
遠いところまで、見に来ていただいた方々にこの場を借りて御礼申し上げます。




■2008.3.15

2006年10月22日〜11月3日まで開催された国際アートプロジェクト"Between ECO & EGO 2006"(エコとエゴのはざまで)の記録集を発行。2.21の欄にも記したように、これは会期終了後、翻訳作業に手間どり、その他様々な要因から1年以上かかってようやく発行にこぎつけたもの。2004年のカタログの表紙は、グレーで煙突から出る噴煙が雲のように見えるものだったが、今回2006のものは、ロゴやレイアウトは全く同じだが、ブルーの青空にそのまま雲が写っている表紙となる。両方セットで見えるようにデザインされた。内容は参加作家の作品紹介、平井亮一氏の評論、その他の関連プロジェクトの紹介などが載せられている。
興味のある方、購入ご希望の方は、下記の要領でご連絡下さい。(2004年度版の在庫もあります。)

なお、発行記念パーティーを以下の日時・場所にて行います。当日は販売(1冊/1000円)もいたします。興味がありましたら足をお運びください。関係者以外の方ももちろん歓迎です!

3月20日(木) 16:00〜19:00 (どの時間帯でもかまいません。会費無料)
 masuii R.D.R 埼玉県川口市幸町3-8-25-109 tel:048-252-1735

  
A4版フルカラー・64ページ 
価格1.200円(書籍1000円+送料200円)


《申し込み方法》
郵便局備え付けの、赤い振り込み用紙にて
口座番号:00100−5−759365
加入者名:Between ECO & EGO 実行委員会
通信欄:「2006記録集 * 冊 希望」と冊数を明記。
または、以下からメールにて直接お申し込みください。
《内 容》
・プロジェクトの趣旨
・日程と開催地マップ
・評論「秋日・2006年」 平井亮一(美術評論家)
・参加作家紹介(国内からの参加作家8名、海外からの参加作家32名の作品紹介)
・関連イベントの紹介
・その他


■2008.3.7

前々回、ご案内した「板橋の作家 '05 - '07展」におけるインスタレーションの設営作業を丸々2日間かけて完了。床から天井まで7mの高さに立ち上がった作品となる。いや、天井から降りてきた作品といってもいいかもしれない。(右の部分写真を参照。)

様々なパーツの組み合わせで、バランスを取りながら成立している。どのパーツも、もし省いてしまったらたちまち崩壊してしまうような状態。静的な構造というより、「何か出来事が生じつつある構造」がはらまれている。この感覚は、私が近年「インスタラクション」と呼んでいる作品のエッセンスともいえる。

会期は3月30日まで。ぜひ、会場に直接見に来てださい。お子さんはくれぐれも面白がって揺すったりしないように。危ないですよ。




■2008.2.21

ここ一週間ほど、遅れに遅れていた「Between ECO & EGO 2006」の記録集の編集が大詰めとなり、昨日ようやく印刷所に入稿完了。わずかな時間の合間をぬいながら、だいぶ進行した老眼で目許がおぼつかなくなってきているところに、PCのモニターをじっと見続ける作業はつらい。しかし、経費節約のため自分で編集しなければならないので仕方がない。発行は3月半ばあたりの予定。

状況報告として、編集後記の文を記録集発行前ですが以下に載せます。

 会期終了後、すぐにこの記録集の編集作業に取りかかったのですが、前回同様、今回も発行までに大幅な遅れが生じてしまいました。いくつかの要因の中で、特に、パソコンのハードディスクの予期せぬクラッシュが痛手でした。

「情報」の取り扱いについて、あらためて考えさせられました。

太古の粘土板から現在のデジタルデバイスに至るまで、情報を「ストック」させるハード面は多様な進化を遂げてきましたが、現代人にとって、この「記憶の外部収蔵庫」への依存度は、かつてより増してきているように見受けられます。記録が失われることへの恐怖感は誰にもあります。先頃、CDやDVDの耐久性も、場合によってかなり短いというニュースがありました。どんなものでも壊れやすいし、はかないし、忘れられやすい。それゆえ、なんとかしたい、大切にしたいと願うものです。

眼を転じると、プロジェクト型のアートが花盛りとなった現在、表現行為や作品制作に共働して関わる現場性や、その場・その時をあぶり出す仮設性が、普通に受け入れられる時代になりました。つまり、情報の「フロー」に身を差し出す立場に軸足をおくこと。情報を受け身で「ストック」するだけが目的ではなくなってきたようです。記録より、体験という身体的記憶により大きな価値観を見いだす。情報のソフト面として次世代のアートを捉えると、これはとても可能性のあることだといえます。

情報の「フロー」と「ストック」。上記の例は、視点は異なりますが、それぞれ今を生きる私たちに様々なことを問いかけてきます。そして、昔から連綿と続く両者の相互補完的な関係とその必要性は、今後も変わらないでしょう。記録集の制作自体もアートプロジェクトの一連の経過といえますが、これも「ストック」であるとともに、新たな「フロー」を生み出す可能性を秘めたものとして捉え直すこと。そんな当たり前の事をあらためて考えながら、地味な編集作業をなんとか続けてきました。このささやかな記録集に「記憶の種」のようなものが含まれ、それが過去 - 現在 - 未来をつなぐものとして、いずれどこかに撒かれることを願いつつ…。
(Between ECO & EGO 2006記録集 編集後記より)



■2008.2.13

展覧会のお知らせです

「板橋の作家 '05 - '07展」
3月8日(土)〜30日(日) 板橋区立美術館+成増アートギャラリー 両会場とも月曜休館
9:30-17:00(入館は16:30まで) 無料
板橋区に在住・在勤の美術家66名が、過去3年間に発表した作品を公開。

記念講演会
「アートが街にやってきた」 講師:江上弘(美術家) 丸山芳子(美術家・本展出品作家)
3月16日(日) 14:00〜15:30 板橋区立美術館 講義室にて  聴講 無料・申込不要
私は、近年継続して発表している「Simultaneous」Positioning」シリーズの椅子や机の部材を用いたインスタレーションを美術館で出品。
当然のことながら、過去3年間に発表した作品といっても、絵画や彫刻のように「物」として移動可能なものと異なり、インスタレーションの宿命として同じ作品にはならない。今回は、ファン・デ・ナゴヤ美術展と同じ天井から吊るされた形状になる予定だが、その場の状況を考慮し、展示の構想は微妙に変化することになるだろう。

また、記念講演会では、妻の丸山芳子が川口市での「Between ECO & EGO」プロジェクトを紹介し、江上弘さんは彼が10年間継続している「我孫子国際野外美術展」の紹介を行う予定。

ぜひ足をお運びください。


■2008.1.31

ファン・デ・ナゴヤ美術展2008「hope - 社会・地域とアート」が28日で終了。

いくつかのギャラリーがある施設の中で、私が展示したスペースはけっこう広かった。天井高6m、床面20m×15m程。ホワイトキューブでこのようなスケールの展示ができる機会は、美術館でもなければめったにない。結果的にその広い空間を活かすインスタレーションができたかなと思う。偶発性を積極的に取り込む私流のパフォーマンスと異なり、空間と対峙しながら計画通りにある結果を導き出すということも、「もの作り」としては一方で大切なことだ。しかも、人手も時間も少ない中での搬入、セッティング、撤去もかなりの力技だった。

展のテーマの「社会性」ということを改めて振り返ると、私の体験では1970年代あたりの少しクールで内向性の強かった美術動向(あるいは検証的な作品が多かったというべきか)に対する反動的な部分で、1980年代あたりから少しずつ再浮上してきたという感じがする。再浮上というのは、それ以前、戦後から'50ー60年代にかけてはあえて社会性などと言わなくても、社会と芸術が善かれ悪しかれ添い寝状態で一体化していたところがあるからだ。もちろん、私が本格的に活動を始めた'80年代でも、日本ではあまりフロントにでる動向ではなかったが。やはり日本では西欧フォーマリズムの盲目的追従者か、個人的な世界観だけの追求や画壇的世界の生き残り戦略に汲々としているアーティストが多かったからだろう。
私自身はといえば、声高々に社会性を強調しなくても、必然的に作品のコンセプトの中に入ってくるものとして捉えていたところがあったし、今でもそうかも知れない。社会性など全く皆無だったり、無頓着で能天気な制作態度は論外として、逆に、取ってつけたような社会性、浅薄な社会派意識を具現化したアートもかえって陳腐なものになりがちだ。そういう意味ではなかなか難しいところがある。その辺りは「エコ・エゴ」のプロジェクトをプロデュース・ディレクションしながら痛感した。今回参加したグループの人たちの活動や作品は、さりげない形で継続的に、誠実に取り組んでいるものだった。企画内容としてはとても大切な視点で行われたものだったといえる。
ところで、90年代以降の、プロジェクト型のアート活動が様々な局面で活発化してきてからは、アートを取り巻く社会性も以前と比べれば大きく地殻変動を起こしてきているのは確かだ。この辺りはまた別の機会に書くこともあるだろう。

インスタレーション全景
部分
部分


■2008.1.8

展覧会のお知らせです

ファン・デ・ナゴヤ美術展2008「hope - 社会・地域とアート」
1月16日(水)〜27日(日) 21日(休) 名古屋市民ギャラリー矢田 9:30-19:00

「Between ECO & EGO」のプロジェクトを含めた、社会との関連を模索しているグループやアーティストの活動を紹介。そして、私と妻の芳子のそれぞれの作品(インスタレーション)も展示します。以下は、企画者の紹介文の抜粋から。

私たちには何が出来るのでしょう、そして何が見えているのでしょうか。現在世界状況が不穏な動きを見せている中で社会との関連を模索しているグループやアーティストを紹介したいと考え、 この展覧会を企画しました。15年前にはなかなか実現しにくかったテーマです。展覧会各参加者はそれぞれ作品のスタイルや考え方は違いますが、社会に対していろいろなアプローチを試み、 実験し、他者に対しての真剣さや心配りのある人達で構成されています。「参加者」という言葉は、展示や対談する人のみを表しません。 裏方で支えている人達、日常から人との関わりを大切にしている人、社会や生活の中にある関わりを大切にしている人、社会や生活の中にある様々な問題に地道に取り組んでいる人など、 多くの人に協力していただき企画を進めてきました。見えないところで日々考える出来事を、丁寧に実現させること、その一つが作品であり発表であってほしいと思います。 また、今回の展覧会には参加していない沢山の心ある関係者と周縁の方々、未来をになう子共達にこの展覧会を贈りたいと思います。(企画/椿原章代)
 


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