"Rain meets Sun" 〜 その後の旅日誌


2009年7月14日(火)〜 8月30日(日
M.K.チュルリョーニス国立美術館(リトアニア、カウナス市) www.ciurlionis.lt
ジリンスカス・アートギャラリー  

<概要>
リトアニアの首都・ヴィリニュスが、2009年 の欧州文化首都に選定され、これを機に、フルクサス創始者ジョージ・マチューナスの生まれたリトアニアと関係が深くフルクサスメンバーであり「虹の作家」と言われる靉嘔氏の作品を中心に据えたリトアニアと日本両国の現代美術展が、リトアニアのアーティスト、サウリュス・ヴァリウスによって着想された。
リトアニアの国名の由来はリトアニア語で「雨」を表す言葉から発し、一方、日本は「日出づる国、the land of the rising Sun」と呼ばれている。雨の多いリトアニアでは太陽を願い、そして日出づる国日本では恵みの雨を願う。展覧会の名称はこれによる。

<参加アーティスト>
・日本 11名 
岩熊力也 江上弘 門田光雅 小林テイ 小本章 杉本尚隆 彦坂敏昭 丸山常生 丸山芳子 森妙子 大川由美子(ピアノ演奏)
・リトアニア 8名
Vytenis Lingys, Kestutis Musteikis, Kestutis Grigaliunas, Laisvyde Salciute, Aistaute Valiute, Daumantas Plechavicius, Diana Radaviciute, Saulius Valius

<特別出展作家>
靉嘔(M.K.チュルリョーニス国立美術館収蔵作品を展示)

<特別参加>
美濃和紙あかりアート展、美濃・紙の芸術村:大塚高明 大塚文子 高橋貴子
遊工房アートスペース:村田達彦 村田弘子

<企画>
サウリュス・ヴァリウス(アーティスト・キュレーター) エグレ・コムカイテ(M.K.チュルリョーニス国立美術館副館長)

■2009.7.12 - 16 ビリニュス〜カウナス〜ビリニュス



左)作品 展示風景
 映像2点、傘、砂など
 英文コンセプト

上)・下)アクションポーズ

Between Sky and Earth

Rain is the appearance of atmospheric transition.
It is the mediator of earth and sky.
Is rain a blessing? or not?
The umbrella determines all.
Take care to use it well.

オープニング前に受けたテレビ局のインタヴュー。
この時まだ完成していないのでソワソワ。
右は献身的にセッティングを手伝ってくれたヨナス君。中は小林テイさん。左は私。
オープニングセレモニーでの大勢の観客。
市長、駐在日本大使の挨拶、大川由美子さんのピアノ演奏で開幕。
会場の様子。
日本人作家の作品とリトアニア人作家の作品が入り交じって展示された。
写真:門田光雅

現地入りが他の作家より遅れた私は、カウナス滞在中、セッティングに明け暮れた。ホテルと会場間の往復以外、素材の買い出しの折りに市内と郊外を少々見た程度。整った街並だが、メイン通りは人通りは多くはない。新しいショッピングモールに店舗が集まり、周囲の建物は空きがチラホラ。資本主義グローグローバリゼーションと昨年来の金融危機による不況は、ここでも影を落としているのだろう。とはいえ、すれ違う人々の表情は思ったより柔和な感じがしていたのが印象的だった。

オープニング前日、ようやくポスター(上図)が完成。デザインはタイトルと靉嘔さんのレインボウカラーを掛け合わせた感じのもの。美濃の方々や遊工房のレクチャーも先だって行われた。
当日、私の作品は開場5分前にようやくなんとか完成という際どい状態だった。DVDのセッティングの調整に思わぬ時間がかかったためだ。
オープニングセレモニーは、大勢の招待客の前で行われた。こんなに人が来るとは!ポスターも遅れ、盛り上がりに欠けるのではと思っていたが、少々意外だった。
途中、パフォーマンスを行う段取りをエグレさんと打ち合わせていたものの、手違いでアナウンスがないまま行うことに。セレモニー前半の間ずっと作品の前で立っており、その後、ゆっくりとアクションをしながら、如雨露
(じょうろ)で水を滴らせる、というもの。気づかず、見られなかった観客も多かったようだ。

全体的に慌ただしいスケジュールで、様々な人たちとゆっくりコミュニケーションする時間が取れなかったのが残念だった。


カウナス市内のビル解体風景。まだ、ソ連時代の建物が多く残っている。 デビルズホールの中央で即興パフォーマンス。ここの中心部は精神的に変化を起こさせる力があると言い伝えられている。
別荘のファームハウスでのひととき。ここは最新の「地熱温度差発電」で電力がまかなわれている。エコシステムではかなり先進的。 サウリュスがボートを漕いで近くの湖を散策。ここでの井戸掘りの苦労話など聞きながら、自然を満喫。サウナもある。
国立美術館(Nacionaline Dalles Galeria)
リトアニアの近・現代美術の展示。ここでも近代国民国家としてのアイデンティティーの形成過程が各作品を通じ感じられた。
コンテンポラリーアートセンター
"Big in Japan"という企画展が行われていた。12年前、ここでパフォーマンスをした。懐かしい。

オープニングセレモニー後、二次会を終え、ホテルをチェックアウト。サウリュス&ディアナ夫妻のファームハウスがある別荘地(カウナスとヴィリニュスの中間地点あたりの郊外)まで、車で1時間程移動。森が周囲を囲み近くに小さな湖がある静かな丘陵地帯。ここで、夜まで彼らの友人たちとBBQで夜半までパーティ。中国製熱気球(「孔明灯」という紙製で軽いもの)の上昇に歓声が上がる。星のように小さくなるまで見送る。炎を上げて空に打ち上げるのは火事の心配もあり、日本じゃ規制されて出来ないだろうな。その晩はログハウスのような瀟酒で素朴な部屋で就寝。

翌朝、周囲の草原のある丘から湖を散策。「デビルズホール」と呼ばれているクレーターのような直径100m程の半円形の窪地がある。この辺りには同様の地形がいくつかあるらしい。ここの底はすぐ横の湖の水位より低い。何らかの地形変動で陥没した跡だろうと睨んだが、とても不思議な土地である。ここでちょっこっとパフォーマンスをする。

その後、ヴィリニュスまで移動。3
週間前に開館したばかりの国立美術館(Nacionaline Dalles Galeria)へ。チュルリョーニスの作品(絵画・音楽)が体系的に展示されていた。とても大きな存在。リトアニア文化の精神性を感じるには彼を知らなければならないという理由の一端がわかる。その他リトアニアの近・現代美術も多数収蔵されている。
旧市街の考古学展示資料館、大聖堂のあるカテドゥロス広場やいくつかのギャラリー巡り。ここは12年前もパフォーマンスフェスティバルで3日ほど滞在し、よく歩いた街。当時と比べて街並はだいぶきれいに整えられたように感じた。
ようやく暗くなる(11:00くらい)まで街中を気ままにブラブラ。その晩は、出品作家のヴィターニスのアトリエを空けてもらってホームステイ。市中心部のとてもいい場所。さりげない心遣いをここでも受けた。どうも有り難う。

実はここに来る前、ある人から経済危機後の東欧は大変なことになっていると聞かされ、だいぶ脅かされた。西欧の金融機関による投資などが一気に引き上げ、不動産価格が崩壊、失業率は悪化、国民生活は窮地に陥っている。特にハンガリーやバルト三国がやばい、と。
確かに建設途中の高層ビルの工事がストップしていたりしている情景が見られた。先の国立美術館も開館したものの、資料室など全く中身がないままガランとした状態で配線工事が完了していない状態だった。スタッフや観客もほとんどいなかった。
しかし、旅行者の眼ではなかなか深部までは見通せない。観光地の街並の見かけの賑わいや奇麗さだけでは何ともわからない。関わった人たちともそのような話までする時間も余裕もなかったしな。展覧会そのものの方は、日本側の国際交流基金やEU-Japan Festの助成でかなり賄われたようで、さほど経済的問題が影を落とすようなことは感じられなかったが‥。

■2009.7.16 - 20 ビリニュス〜タリン(エストニア)〜ヘルシンキ(フィンランド)

早朝、タリン行きのバス停まで見送ってくれた出品作家の一人ヴィターニス。私と同い年。魅力的な絵を描く男だ。 ヴィリニュス〜リーガ(ラトビア)〜タリン(エストニア)まで、バルト三国を9時間程のバス移動。風景は平坦な土地でほとんど変化ない。
タリンで宿泊した「ヴィラ・オルタンシア」のカフェテラス。主人も陶芸作家。安くて良い宿。 タリンの展望台からの眺望。
旧市街は歩きで15分もあれば南北を移動できる。城壁に囲まれた静かな観光都市といった風情。
リーナ・ジーブ。
友人のエストニア人アーティスト。美術雑誌の編集もしている。彼女がいるのでタリンに立ち寄った
タイミさん。
リーナの友人で日本大使館に勤務。急遽紹介され、大使館まで出向いていろいろ話した。今度、タリンで美術展をしましょう。
KUMUミュージアム
2006年完成のエストニア最先端の美術館。フィンランド人建築家・Pekka Vapaavuoriによるデザイン。
カタリーナの通路。
ドミニコ修道院わきの中世の面影を遺す通り。旧市街の街並の通りはどこも佇まいが落ち着いている。
占領博物館の展示。
巨大なレーニンの頭部の残骸。ソ連の占領時代の歴史が体系的に展示されている。比較的穏当な感じがした。いまだに在住ロシア人も多いせい?
ドミニコ修道院居住区に遺されたレリーフ。歯の抜けたちょっと怪しげな風貌の番人のじいさんが、「これこれ」と見せてくれた。何、宇宙人だって?

翌朝、バスステーションからタリン行きバスに乗車。昼頃、ラトビアのリーガに到着。お腹がすいて何か食べようと思ったが、リトアニアのリタスもユーロも使えない。トイレにも小銭がないと入れないので、わざわざ現地通貨のラッツに換金。ラトビアはしばらく前までビザが必要とされていたので今ひとつ馴染みが薄い。また今度ね。
バスを乗り換え、タリンに16:00頃到着。まだ真昼という感じ。宿に入り、そこのカフェテラスで友人のリーナ・ジーブと待ち合わせ。彼女は明後日から夏休みのバカンスらしいが、わざわざ時間を割いてくれた。宿のヴィラ・オルタンシアも彼女の紹介。その夜はエストニアの肉料理とビールで会食。ちょっと食べ過ぎ。

翌朝、リーナに紹介された日本大使館・文化部勤務のタイミさんと面会。リーナの旧友だという彼女はとてもきれいな日本語を話す。日本文化の紹介などの仕事をしているらしいが、大使館内の年間予算は本当に僅かな額らしい。ここでは書けないくらい恥ずかしい小額。それでも何か企画する時は、形式的な書類を数多く出さなければならない。結果的に、実現させるためにはほとんどが助成金頼りになる。2011年、今度はタリンが欧州文化首都になるらしい。その時、また展覧会で再開したいですね。

トラムでリーナお勧めの、KUMUミュージアムへ。エストニアの現代アートから、中世〜近代美術が概観できる。ヘルシンキのKIASMAと並び北欧地域では大きな現代アートの発信基地となっている。ビリニュスの国立美術館もそうだが、バルト三国では、金融危機以前は年10%程度の経済成長を続けてきていた。その頃の計画が、このような自国の民族意識の統合の象徴として立派な美術館を新たに建てさせたのだろうと推測する。

ドミニコ修道院で中世の雰囲気に浸った後、再びリーナと待ち合わせ、数件のギャラリーを案内してもらう。狭い範囲なので歩いて廻ってもたいして時間はかからない。小国なので、例えばアート関係者の横のつながりもとてもシンプルとのこと。展覧会はユニオンに加盟している作家の中から民主的にチョイスされて行われているらしい。また夕食を共にし、いろいろと話す。彼女は記憶力が図抜けている。ちょっとした言葉でもすぐ覚え、忘れない。それでいてチャーミングな女性だ。忙しい中、いろいろと親切にしてくれてどうも有り難う。

タリン(旧市街)は、今は中世の面影を遺す観光都市。欧州各国から多くの観光客が訪れる。翌日も、のんびり市内散策(城壁砦跡〜聖オレフ教会〜聖霊教会〜アレクサンドル・ネフスキー教会(ロシア正教)〜トームペア城〜占領博物館〜聖ニコラス教会など)してから、フェリーに乗船。ヘルシンキへ向う。

バルト三国の歴史は、調べるとなかなか興味深い。三国ともそれぞれ独自の民族文化を保ちつつ(この狭い地域で言語が全く違う。また、リトアニア人は多くがカソリックだし、エストニア人はルター派プロテスタント)、地政学的には様々な他民族によって支配された歴史を共有する。特に、ソ連邦崩壊のきっかけとなった"歌いながらの革命"と呼ばれ、"人間の鎖"という抑制された非暴力によって三国独立を達成した経緯は記憶に新しいところだ。今後も三国の微妙な文化の相違に注意を払いつつ、この地域の情報にアンテナを向けておこう。


タリンからヘルシンキまでフェリーでバルト海を縦断。船窓風景。巨大なフェリーで、人の往来が多いのにびっくり。 ヘルシンキの港の風景。
これで23:00頃の時間帯。日本ではまだ夕方の気配というところ。
国立現代美術館キアズマ
米国人建築家スティーブン・ホール設計。1998年オープン。KIASMAとはギリシャ語で「結び目」とか「交叉」という意味。
テンペリアウキオ教会
内部の景観。自然な岩山を下方に彫り貫いて造られた空間。外からは目立たないが中に入ると非常に落ち着く。
アテネウム美術館
「KALEVALA」展開催中。フィンランドの民族叙事詩・カレワラをテーマにした国内作家の様々な作品が多数展示。
ヘルシンキの街並の建築デザインは、私にとって新鮮。細部の意匠の違いにこだわりながら統一性を持っているのはさすが北欧デザインの伝統。

今回の旅の最北端の街、ヘルシンキ。
夏至を過ぎているというのに日の入りは、バルト諸国よりさらに遅い。明るい間まともに活動し続けたら体が持たないだろうな。あ、でも冬は逆か。

2日間の市内散策は、現代美術館・キアズマ市立美術館テニスパレスデザイン博物館アテネウムテンペルアウキオ教会〜植物園〜アモス・アンダーソン美術館〜ヘルシンキ大聖堂などを巡る。
ヘルシンキも中心部はさほど広くないので、ほとんどのんびり歩きながらまわれる範囲。例えれば、新宿駅周辺の地域に大統領官邸・国会議事堂などの政府機能、大きな寺院・美術館・博物館が多数、港などが集約されているといった感じ。それと人が少ない。当たり前だが。トラムやバスもほとんど人が乗っていなくても一日中走り回っている。女性の仕事姿も当たり前。日本とは対極的な社会の仕組みがあることが一目瞭然。

当地で見た様々な作品も、何かこの土地の風土に根ざしたものが多く感じられるのは当然のことか。少し精神病理に関わったテーマのものが多く感じられるのは、どの地域でも見られる現代の特徴とはいえ、日本のそれとは異なった雰囲気をかもし出している。

ヘルシンキからから東京に帰ると、ほとんど亜熱帯になってしまったといえるほどの蒸し暑さと季節感が失われた不順な天候が待ち構えていた。アジア特有のゴチャゴチャした喧噪の中に戻ってきたという実感があらためて湧いてくる。

そう、ここが善かれ悪しかれ私の出自であり、今の活動拠点ということ‥。

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