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"RAVY 2008" (Rencontres d'Arts Visuels de Yaounde)
"RAVY 2008"(ヤウンデ・ヴィジュアルアート・ミーティング 2008)とは、カメルーン人アーティト Serge Olivier Fokoua(以下、オリビエ)をオーガナイザーとして、フランスのマルティメディア系フェスティバルを主催している組織 "C.R.A.N.E."の協力を得て、カメルーンの首都ヤウンデで初めて開催された現代アートのフェスティバルである。
彼が一昨年フランスでのフェスティバルに参加し、その影響を受け、"Pallets of KAMER"という運営組織を立ち上げ自国での開催を決意したらしい。私は昨年の5月頃、"C.R.A.N.E."と関係している日本の組織"MMAC"からの打診を受け、アフリカのアート事情や社会状況そのものにも興味を感じたので参加することにした。日本人の参加は、準備の過程で私一人になったと思っていたが、現地に到着してから河本雅史氏(彫刻家)も数日遅れで合流することを知った。他に予定していたフランスやアメリカのアーティスト達は作品のみの参加。現地のアーティスト以外では、結果的にカナダ・ケベックのアーティスト、Jocelyn FISET(ジョスラン・フィゼ)と我々日本人アーティスト2名のみが国外からの来訪アーティスト。インターナショナル・フェスティバルという体裁をかろうじて守った形となった。
別掲にも書いたが、この国の社会的・経済的状況は先進国から見れば甚だ厳しい。聞けば、オリビエ本人の自己資金で当面動いているとのこと。後から文化省関連の助成金の申請が通れば認められるらしい。宿泊は彼の家でのホームステイとなった。大家族のにぎやかな家庭で、貧富の格差が大きいこの国では中産階級クラスの暮らしぶりだと推測した。移動は全てタクシーか歩行。タクシーは乗り合いで、フランス語がわからない上、土地勘のない外国人の単独行動は難しく、なかなか自由に身動きが取れない状況だった。全般的には、初開催の試行錯誤と混乱はあったものの、オリビエの粘り強い情熱と責任感が実現の原動力となったことは想像に難くはない。
●会期:2008.4/21〜27 ●会場:Espace Oyanga
(Yaounde, quartier Fouda)
Vernissage : 24.avril 15:30-
●会場:Rustik Home
(Yaounde, quartier Cite-Verte)
Vernissage : 25.avril 15:30-
●参加作家: Tokio Maruyama (Jap)
Feromeo Nguimebou (Cam)
Jocelyn Fiset (Can)
Serge Olivier Fokoua (Cam)
Melingui Ambani (Cam)
Jean Jacques Kante (Cam)
Joseph Francis Sumegne (Cam)
Ptrice Gogbe (C.d'iv)
Landry Mbassi (Cam)
Daniel Sty-White (Cam)
Guy Didier Nguepi (Cam)
Bernald Fran (Cam)
Melingui Ambani (Cam)
Jean Jacques Kante (Cam)
Bernard Fransois (Fr)
Shalom Neuman (USA)
Blak Jah (Cam)
Marceline Fouda (Cam)
Alain Elom (Cam)
Fabrice Ngon (Cam)
Jean Pierre Kepseu (Cam)
Blak Jah (Cam)
Rachel Henriot (Fr)
Emile Youmbi (Cam)
Tang Mbilla (Cam)
Joseph Benem (Cam)
Ralain Ngaimo (Cam)
Masashi Kawamoto (Jap)
Achille Ka (Cam)
Jean Voguet (Fr)
Ruth Feukoua (Cam)
Abanita (Fr)
※不参加のアーティストもいたようだが、不詳なので、全員をチラシの記載順に載せた。シンプルなデザインのポスターと参加アーティスト名が載ったチラシ
会場の一つ"Espace Oyenga"は、Marceline Fouda (以下、マルセリーヌ)がこのプロジェクトのために提供した未完成の巨大な空間(途中でストップしたまま6年くらい経過)。ステージもありマルチ的な使い方ができる。しかし、ブロックを荒っぽく積み上げコンクリートを塗っただけの壁で、上部も風や雨が吹き込むような隙間がある状態。巨大な馬小屋になりそうな空間だ。実際、ニワトリ親子が展示中に闖入してくるし、サッカーボールすら飛び込んでくる。デリケートな展示など全く拒絶してしまうワイルドさ。
マリセリーヌは現地で他のアーティストから尊敬と人望を集める著名なアーティストであり、アートディレクター的な仕事もしている女性。独特のオーラを醸し出す。会場のすぐそばに様々なコレクションを持つ大きな邸宅があり、さらに、国内の各地からミュージシャンやダンサー、造形作家などにアーティスト・イン・レジデンスとして創作させるスペースも管理している。勝手気ままに展示をしがちな現地のアーティストたちに、しきりに時間と空間の管理とバランスの大切さを説教していた。彼女の存在によって、このフェスティバルの全般的な水準が保持されたと言っても良いかもしれない。
現地アーティストの作品はインスタレーションといっても、個々のオブジェや絵画をレイアウトして並べただけのものが多い。事前の構想や段取りはあまり緻密に考えないようで、工具など外国人の私のものを頼って借りにくる始末。しかし、Feromeo Nguimebouなどは、私の作品設置に大いに協力してくれ、自身の作品もアーティストとしての豊かな才能の一端を感じさせるものだった。
24日のヴェルニサージュは2時間遅れで始まり(激しいスコールのせいもあったがこれが当たり前の時間感覚)、文化大臣(次官クラス?)も来てゆっくり見て回った。その間、私とオリビエがパフォーマンスを行い、もう一組のダンスとミュージックの即興コラボレーションも行われた。
私のパフォーマンスは、いつ始めるのか何の打ち合わせも行われず、突如「今初めてくれ」と言われスタート。15分程の作品。まあ、今までずいぶん経験しているからこの程度では動じないが。多分、私のようなタイプのパフォーマンスは皆初めて見るのだろう。思った以上にインスタレーションもパフォーマンスにも彼らの反応は好評だった。
Espace Oyanga エントランス Tokio Maruyama : Installation Feromeo Nguimebou : Installation Marceline Fouda : Installation Jean Jacques Kante : Installation Serge Olivier Fokoua : Installation & Performance Joseph Francis Sumegne : Installation Guy Didier Nguepi : Painting ヴェルニサージュの様子 ケベックのJ・フィゼは、彼が長年続けている「ノマド・プロジェクト」を3日間にわたりヤウンデ市内3カ所で実施。ドーム型の空間の中に現地の人に立ってもらい、背景の風景と共にポラロイドカメラで写し込んでいくインターベンション。どこも好奇心旺盛な市民や学生が、フランス語でのコミュニケーションが可能な彼を取り囲み質問攻めにしていた。
もう一つの会場"Rustik Home"は、名前の通り田舎風造りのレストラン兼展示スペースのような場所。室内にビデオアートや絵画、屋外の樹木などを利用してインスタレーションが展示された。中庭に河本氏のインスタレーション(+パフォーマンスも)が設置された。さらにその先の丘を上がった石切り場の脇に2階建ての建造物が遺されており、そこも会場として使われた。ここも"Espace Oyenga"同様、途中で完成を放棄した廃墟のような状態になっている。青空天井で、屋内になるはずの床には草が生え、外部の自然と内部が逆転したような不思議な空間。私はここを見て、急遽、市内の全貌が見渡せる見晴らしの良い2階のテラスの場所にインスタレーションを設置し、そこでパフォーマンスを行うことにした。場所の特性とパフォーマンスの内容が繋がった作品になったと思う。
ここの一角に展示されたAchille Kaの作品にはちょっと面白いものを感じた。血のシミ状の跡がついた絆創膏を張った本の山積みの作品。彼は当地でドクターコースにいる美術家らしく、次のダカール・ビエンナーレにも出品するらしい。もっと本が大量だったら、かなり迫力のある作品になっただろうに‥。ちょっと残念。スコールの暴風雨で本がビショビショになり、えらくしょぼくなってしまった。
ここはアートの展示場所としては"Espace Oyenga"に比べると足の便も良くなく、今ひとつの感は否めなかった。ヤウンデ市街のやや外れであるこの周辺は、車も容易に通れないような深い轍のある未舗装の道で、スラムに近いような家屋もある。しかし、これがここで普通に見られる日常的な景観・環境である。終戦後の闇市が並ぶ東京郊外のホコリっぽいゴチャゴチャした風景を連想してもらえれば良いかもしれない。(写真や映画でしか知らないが。)その点から考えれば。この展示場所は、ここの感覚から言えばとてもハイソな所だったのかもしれない。
Jocelyn Fiset 文化省前の路上 Rustik Home 会場看板 Landry Mbassi : Installation Achille Ka : Installation Joseph Benem : Painting Masashi Kawamoto : Installation Tokio Maruyama : Installation Tokio Maruyama : Performance スコールが過ぎ去った後の風景
アフリカでの現代アートのフェスティバル。これがカメルーンで行われたということは、いまだににわかに信じられない感じがする。音楽・ダンスはもちろん、伝統的な彫刻なども彼らの生活の中に深く浸透しているのは直感できたが、現代アートは果たしてどのように受け止められたのだろうか?
新聞各紙には紹介されたが、残念ながら観客は関係者がほとんどだったと思う。この国のアートの状況は、まだかなり脆弱なように見受けられた。展示の方法や発表することに対するプロ的な意識はまだ幼い感じはしたし、基本的な問題点をあげつらえばかなりある。しかし、参加したアーティストたちがそれぞれ真摯に制作していることは充分に感じられた。謙虚に自分たちのことについてアドバイスを求めたり質問をしてきたりして、一般の人々のおおらかでアバウトな感覚とは異なる彼らのデリケートなセンスの一端を感じることもできた。私は欧米で活動しているアフリカンアーティストの一部の情報しか今まで知らなかったので、このような土地で根を張ってアートに取り組んでいるアーティスト達に出会えたことは良かったと思う。
ついこの間の2月には物価高騰に対する暴動で多数の死者が出たばかりのこの街で、このような催しを実現させたオリビエの深い心情は、私との片言の英語のやり取りでは計り知れない部分がある。今思えば、メールのやり取りがしばらく途絶えたのもこの頃だった。この頃、1週間程市民にはパンやガソリンの流通・配給が完全ストップしたのだと別のアーティストから聞いた。本人はこのフェスティバル直後に行われる自らの結婚式のことは話しても、この国の社会やアートのことをあまり深く話すことはなかった。あえてしなかったのかもしれない。
今回、訪問した外国人アーティストが3人だったことは、かえって幸運だった。もしこれ以上いたら、彼も参加アーティストも身動きが取れなくなり、かなりの軋轢、ストレスが生じたに違いない。今後、このフェスティバルが続くかどうか、それはまだわからない。改善すべき点も多く、それを支える社会的インフラも大きな困難を抱えていると思う。本人は2年後にまた行うつもりでいるようだ。今回の経験をどのように次につなげていくことができるか、それは彼次第でもあるし、また周囲の協力もさらに必要だろう。今回、日本大使館からもカナダ大使館も実質的なフォローは得られなかったが、幸い現日本大使はかなり文化面の理解があると現地大使館で聞いた。次回再び開催される時には、日本側も事前の準備からもう少し然るべきアプローチをしていくことが必要になるだろう。(2008.5 記)
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