評論家・学芸員・ジャーナリストのコメントからの参照(抜粋)
丸山常生が志向するのは、「存在と消失」、「構築と崩壊」の両義がぎりぎりのポジションで均衡を保っている状態ではないだろうか。丸山は、文明や都市、家族、我々の身体そのものを、一見不安定なようでいて自立している美しき事象として捉えている。近年、丸山がインスタラクション(作品設置と行為を結合させた造語)において用いる脚の細い椅子は、こうした事象の象徴であろう。また、事象における「始源⇔終焉」あるいは「過去⇔未来」の循環も、丸山にとって重要なテーマになっている。 (杉原 聡 2010.10)
‥‥雨にそそがれた眼差しがこのパフォーマティヴな状景とその分節を広場の一角にもたらしたとすれば、これは身体をとおしてキュポ・ラ前、雨傘、そしてレインコートを媒体にすることの実践形式であり、雨という自然循環への関心は、ここでは主題というよりほとんどそうした実践の契機に相当するものであるだろう。そのようなことは、色彩と形状への周到な配慮にもよくうかがえたように思う。‥‥ (平井 亮一 2008.3)
‥‥定規は理性的な人間を象徴し、それが椅子で倒れる様は明らかにその世界の破綻を示すだろう。その後最初は踏んで歩いた木片を立てて歩くのは、自然利用から自然回復への変容を、さらに骸骨に眼を入れるのは明らかに再生復活を意味する。‥‥ (小泉 晋弥 2005.5)
‥‥『私の名前は、永遠の生という意味』と言う。しかし、彼が(その意味に対して)矛盾するのは逃れようがない。時計の秒針が彼の額の上で絶えず回り続け、そしてその存在の証が永続するように、油性マーカーで大きな白いシーツへ体のシルエットが印づけられる。…彼は観客に記憶の痕跡を残そうとする。『見なさい。そして記憶にとどめなさい。』彼は一人一人にレンズのズーミングを繰り返していく‥‥ (J・クラークソン 2000)
‥‥はるかな東京のスカイラインへ、郊外の小さな小道へ、自動販売機へ、柵へ、壁へと開かれてゆく。鏡としての家は丸山にとって自身の精神のメタファーであり、それは知覚すると同時に再現し、そして更に同じときに観るものを過ぎゆく風景のなかへと誘う。‥‥ (フィータ・フォン・ヴェーベル 1998.11)
‥‥生態学的にも、経済的にも家庭内の人間関係でも危険に満ちた生活。そのことに気づくのが遅い私たち。そんな多重の内省を迫る。‥‥丸山作品が促す「見る者の自己相対化」も、「ずれ」という時の刻み方のたまものだと気づく。‥‥ ⇒文章・写真へ (田中 三蔵 1998.2)
‥‥丸山は人間を囲む環境に着目してその体系を作品にしながら、今日の人間の存在条件を示し、ひいてはその実存を負(ネガ)の形でじわじわと炙りだしてきたように思えるのである。‥‥ ⇒全文章へ (平野 到 1998.1)
‥‥対象をフレーミングして見る行為は、多くの人にとってカメラや望遠鏡をのぞき込む時くらいなものだろう。しかしそれは「写す」「捜す」という目的をもつ行為であって、フレーミング、それ自体はほとんど意識されることはない。丸山は、鳥小屋というとても可愛らしい形の罠を自然界に仕掛け、のぞき込む者の眼を、ふいに枠にはめ込んでしまう。‥‥ ⇒展覧会写真へ (岩井 慎太郎 1997.7)
‥‥東京湾岸の埋め立て地の光景や丸山自身のパフォーマンス行為を素材として織りなされた、過去と未来の間の断片としてのかけがえのない「現在」。そのとらえどころのない茫洋とした感覚が生起する瞬間の連なりの中で、都市に生きる彼自身の眼差しの行方と在処を映像を通して探る‥‥
‥‥彼は廃棄物の集積する埋立地をフィールドワークし、その余剰を生産し消費する人間自身を「環境にとって「過剰な存在」と位置づける。……さらに彼は美術自体を「余剰」の現れのひとつと見る。そこには「アートでエコロジーしましょ?(その逆も可)などというノーテンキで思い上がった態度はいささかも感じられない。‥‥ (村田 真 1991.1)
‥‥'80年代とともに歩行が開始された丸山常生の〈フィールドワーク〉も10年の集積を重ねた。埋立地、建設現場、道路、郊外など都市をめぐる空間をさまざまなエネルギーが流動し通過する場ととらえる丸山は、歩行、ゴミの拾得、撮影、行為プロセスのミニマルな再現ー呈示を通して、等身大の身体性による環境の検証と認知を行なう。‥‥ (鷹見 明彦 1991.10)
‥‥その行為は'80年代に現象したエクスプレッショニズムやメタファーの系列にはなく、〈知覚・認識・検証〉というコンセプトを循環している。それは'70年代のイヴェントの一翼を現代につなげる試行であるともいえる。‥‥ ⇒全文章へ (たに あらた 1991.11)
‥‥丸山常生はフィールドワークで集積したゴミの断片のサンプリングによって、一種の「絵」を、想像の中に描き出そうとしているのだ。彼の活動と作品は、ほかのなにものでもなく、たしかに「美術」なのである。‥‥ ⇒全文章へ (千葉 成夫 1992.10)
‥‥彼の制作方法はある場所を設定し、彼の様々な発見の結果を提示するために、そこで探し歩くことから始まる。彼はこれらの作業をフィールドワークと名づけている。それは都市における人類学者の仕事ともいえよう。そう、丸山は新種の人類学者なのだ。‥‥ ⇒全文章へ (R・オブライエン 1989.2)
‥‥各地で拾った廃物オブジェでインスタレーションを行う丸山常生の「フィールド・ワーク」イヴェントはパフォーマンスそのもの‥‥ (日向 あき子 1991.7)
‥‥作者は人間の棲息場所としての土、つまり身体との精神的緊張関係をもたざるを得ない〈風景〉 の時間にこだわりつづけている。…作者の〈記憶素子〉と呼ぶ廃棄物は、生を生み、また無に帰す、土という〈元素〉と対をなして、〈風景〉を、描きだしている。丸山常生のパフォーマンスは、以上のような〈風景〉を情報という日常的表層を借りて表してくれる‥‥ (尾崎 眞人 1988.4)
‥‥このパフォーマンスは、すべてが記号化されてしまう電子情報化社会においていかなる創造活動が可能かを問うている。世界の隅々まで管理する情報網の只中で、丸山はその網の目から漏れる細部に注目する。作品が見落とされ無視されるのを恐れず、より壮大な展望をたくらむ。…(中略)…人間が可変的意識を持つ存在者である限り、ここには「変革の契機」が含まれよう。‥‥ ⇒全文章 (田野 金太 1985.2)
‥‥丸山常生は、日本では現在殆んど断たれている「概念芸術」的な試みを見せるともいえるが、両端を削った小枝による疑似ピラミッドが、画廊や街中の片すみに設置され、その小さな疑似象徴体が都市の中で時に不意にひとの視線を把え、別の意味への「何?」という通路を表示するかもしれない。
⇒関連展覧会へ (藤井 雅実 1984. 3)
‥‥両端の尖った小さな木の棒を街路樹につきさして、自らのいう「標界」を設定する。‥‥今回は、その「標界」を写真に撮り、その上にドゥローイングをおこなうという作業が加わっている。申し訳程度のものとしかいえない、銀座の街路樹の生命に気づかい、それに注意をうながす「標界」の仕事も興味深いものだが、激しいドゥローイングに、この作家の姿勢がよりはっきりとみてとることができるように思う。‥‥ ( 水沢 勉 1982.11)
‥‥「視ること」と「創ること」、つまり「芸術」の意味は、今日こそ大いに問われている。…(中略)…丸山の匿名の作業と行為が、今日、東京に住む人々の精神構造にどう共鳴するか。美術表現としての明日は、「言語」のようにますますイメージをやせさせてしまうのだろうか。見方によっては心胆を寒からしめる表現ではないか。
(田中 幸人 1982. 8)
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