都市に刺さったトゲ   (1991)

 1991. Photo Drawing - 東京湾連絡橋建設現場1

丸山常生の「フォトドゥローイング」と称する一連の試行は、とくに近年の作品においてパースペクティブ(透視図法)をベースにした展開になっている。ほとんどだれも回顧だにしなくなった視線規制のひとつの制度に丸山はこだわりを見せている。この種の作品には新都庁ビルや大井貨物ターミナルなどの風景に自らの像をダブらせて介入させたものや、透視効果を上げるために台形にしたレリーフ作品などがあるが、いずれも写真を用いたパースペクティブである。

これらは、丸山の「フィールドワーク」と称するパフォーマンスの展開に位置づけられるとともに、'80年代に強化される〈写真と美術〉の“メディア・クロスオーバー”が見過した“暗部”を期せずして鋭く付いている。それが、素朴にすぎるほどの現れかたであることによって美術にまみれた写真と好対象を成したといえるのかもしれない。

丸山の「フォトドゥローイング」は´82年頃に始まる。「フィールドワーク」の確認、検証、表現としての増幅の機能として用いられてきたものである。
この「フィールドワーク」は夢の島、東京湾岸の埋立地など外部環境が対象になる場合と、情報、時間、記憶などマテリアル化されにくい内部環境とのふたつに大別できるが、かれのパフォーマンスおよびそれに基づく作品は、これら外部環境と内部環境の接する領域に常にモティーフをもっている。
丸山の言葉を借りればそれは「境界上における歩行」であり、この行為によってひとつには“空間のグラデーション”というコンセプトが生まれ、他方そのことを覚醒させ検証するモティーフとして採集物が登場する。その淵源は取り壊される自宅を描いた何枚かのスケッチ(表現されたもの)と自らの蓄積されてある“住感覚”との落差感覚からスタートしたもので、これが、飛躍だが絵画空間への疑問に発展、一連のパフォーマンスのスタートとなる。

しかしその行為は´80年代に現象したエクスプレッショニズムやメタファーの系列にはなく、〈知覚、認識、検証〉というコンセプトを循環している。´70年代のイヴェントの一翼を現代につなげる試行であるともいえる。しかし、丸山のパフォーマンスは“身体をメディウムと化す”ほどに身体を環境のなかに投じることで成立している。そこではすでに内外の環境のボーダーラインは消滅しており、覚醒された知覚が鋭い触角のように外界を感じるのである。時にそれは内界の反映でもあるだろう。その触角によって採集されたモノは都市(消費)のシステムの循環から逸脱しているのにもかかわらず、逆にそれを鋭く突く“記号表象”としての存在になりかわっている。それは“都市に刺さったトゲ”という形容をイメージさせつつ、特に近年の「土地の系」以降の展開に見られるようにコノテーション豊かな視覚の繁殖に向かっているということができる。

ギャラリー・アリエス個展リーフレットより たに あらた(美術評論家) 1991.11月発行


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