丸山は以前G.アートギャラリーで、床一面に砂を敷き、そこに木の柱を建て大きな直方体の枠を設置した。肝要なのは足元の柱の接合部分であった。この接合部分の異様な樹の形態が画廊空間全体を変容させていたからである。 −「嘔吐」のロカンタンが見たマロニエの根のように。その後丸山は、展覧会場周辺で拾得した木片の両端を鋭く尖らし、会場内の隅々に刺し置くという作業を繰り返した。さらにその作業を拡げ、銀座の街路樹の中に、上野公園内にその鋭い刺激物を潜ませている。明らかに細部から全体の変容を目論んでいるのである。
 それにしても何故これほどに細部なのか。以前プランBで観たパフォーマンスがひとつの解答を示すように思われる。彼は、日常的なラジオの情報のいくつかが数ヶ所で同時に鳴っている状況の中、散乱した新聞紙を気ままに取り、目についた記事を読み上げ、その新聞紙で観客との間に壁を作るという行為をした。このパフォーマンスは、すべてが記号化されてしまう電子情報化社会においていかなる創造活動が可能かを問うている。世界の隅々まで管理する情報網の只中で、丸山はその網の目から漏れる細部に注目する。作品が見落とされ無視されるのを恐れず、より壮大な展望をたくらむ。つまり細部に確固として棲息するものたち(鋭く尖った木片)によって、網自身を揺るがす手だてを探しているのである。人間が可変的意識を持つ存在者である限り、ここには「変革の契機」が含まれよう。
 丸山は今回細部をいっそう徹底させた。夢の島の一枚の写真を、コピーと写真の繰り返しで網点状になるまで拡大し、各部分の写真パネルを一定間隔で壁面全体に設置し、その上に夢の島での拾得物を刺し置いた。写真で可視的なものから不可視的な細部に踏み込みつつ他方、ものの固有性によって意識を襲う。丸山はいう。「癌が細胞一つ一つを犯すことで生体全体を脅かし死に至らしめるように…」と。この欄には二回目の登場とのこと。彼のいう癌に犯されたのは私だけではないようだ。

                 

「美術手帖」 1985. 2月号「展評」 - '84.11ルナミ画廊個展より  田野金太


Home    プロフィール   その他の文献資料

Copyright (c) MARUYAMA Tokio. All rights reserved.