「こと」作りとしてのパフォーマンス・アート [一美術家の近況報告]    

  (1998)  


歴史と現状を振り返って

 パフォーマンス・アートは、空間・時間・身体を元に「行為」をメインとするアートだ。極言すれば、古くはヒトの言語発生以前のアクション(身振り・表情)や、オラルコミュニケーション(発声・口承文化)にまで遡る芸術的行為といえる。
 この名称自体は、60年代のアメリカで、コンセプチュアル・アートの思考性に対し、身体性を強調したアートとして成立した。20世紀初頭の未来派やダダイズム、第二次世界大戦後のアクションペインティングやアンフォルメル、50年代のA・カプローらのハプニング、60年代のフルクサスやJ・ボイスの活動あたりがその系譜に連なる。
日本では、具体、ネオダダ・オルガナイザース、ハイレッドセンターなどの50〜60年代の活動。土方巽の暗黒舞踏や各種の実験演劇など、美術以外のジャンルと関連し合いながらハプニングとして知られたことや、その後、70年代の個人性の強いイベントと称された行為を通過し、様々なメディアやテクノロジーの発達と共振しながら、70年代後半から80年代にかけて、パフォーマンスという名称の受容と共にブームが起こったことなどが一般的に知られている。しかし、このパフォーマンスという言葉だけが社会的に一人歩きした一方で、アートとして、特に美術の視点から綿密にかえりみられてはいないのが現状である。理由として、その一時性や可変性という特性により、「もの」として残らず、写真や映像などの記録や現場に立ち会った一部の人による言説でしか検証できないこと。また、物語的・演劇的・PC
(注)などというレッテルづけから、美術界の一部に拒否反応が根強いこと。そして何よりこの分野の注目度がいまだに高くないことがあげられる。現在は美術・演劇(舞踏)・ダンス・音楽・文学など、様々なジャンルを超えたアーティスト達により、コラボレーションという形で行われることも多い。  Art words & History : パフォーマンスアートを参照

フェスティバルの隆盛

 そのパフォーマンス・アートのフェスティバルが、近年、国内外で頻繁に開催されている。私もここ数年何回か招かれる機会があった。例えば、霜田誠二氏主催による通称“NIPAF”は今年(98年)で五回目を数え、1984年に檜枝岐村で始まったフェスティバルは、形を変えながら会津アートカレッジ、MMACフェスティバルとして続いている。国外では、大小様々なフェスティバルが、ヨーロッパ各国やカナダなどを中心に、アジアも巻き込みながら活発に行われるようになってきている。そこでは、パフォーマンス・アーティストが、基本的に身一つで移動・発表できるという機動性を持っていることが見逃せない点だ。
その隆盛の背景には、90年代以降の各国の政治的・文化的変動(東・中欧の民主化、中南米の被差別状況、アジア各国の政治状況の不安定化など)や、社会の中で揺らいでいるアートの存在価値の再確認といったことがある。ダイレクトに社会との関わりを反映するパフォーマンス・アートは、他のジャンルより遥かにそれらのことに敏感だ。ことに、通常のアートシーンと一線を画しながらオルタナティブな立場を保ち続けようとしている各国のパフォーマンス・アーティスト達は、それぞれが置かれている状況の元、試行錯誤しながらフェスティバルを開催し、互いにコミュニケーションをはかっていこうという連帯意識を芽生えさせつつある。
 例えば、東欧(ルーマニアなど)では未だに社会が不安定で、民族問題・環境問題はもとより、経済上で貧富の差が広がり、ブラックマーケットの存在が社会の不公平感を助長させている。ブカレストなどの都市には、多くの子供や老人の物乞いがいる。しかし、そのような状況下でも、もともと独自の高い文化意識を持つ人々が、自らのプライドと人間の尊厳をなんとか保ちながら生活しているのがひしひしと伝わってくる。いきおい、この地のアーティストの表現は、社会的問題意識から派生したと思われるメッセージ性の強いものが多くなる。共産主義時代の心の傷痕らしきものもある。彼らの中には、革命前から権力の目を盗んで、内々でパフォーマンスをしていた者たちもいる。「もの」の残らないパフォーマンスは好都合だったのだ。彼らにとって、今、資金不足を抱えながらフェスティバルを開催し持続するということは、このような切実なモチベーションが元になっているのだ。

コミュニケーションという「こと」作り

 そこで行われるパフォーマンスは、先の、社会性の色濃いもの以外にも、各国・各文化の伝統的な身体性(身振り・発声など)から派生したもの、極めて個人性の強いコンセプチュアルなもの、テクノロジーを用いメディアと人間の関係を問うようなものなど様々だ。共通しているのは、一時流行った商業主義的なエンタテイメントに近いパフォーマンスとは一線を画しているものが多いという点だ。単なる既成のジャンルの亜流とか娯楽のための芸能というより、アートとしての真剣な問いかけと共に、それぞれのスタイルとアイデアで互いの感性とクリエイティビティーがぶつかりあう。もちろん、数多い中でレベルは玉石混交だ。私には、シンプルな仕掛けと明確で強いコンセプト、そして詩的な感性を兼ね備えているものが印象深く残ることが多い。
総じて感じられるのは、個々人のアートや社会に対する強い思いや理念と、その個人を支える社会的背景(時にはそれが国家であり、民族であり、宗教であり…)の多用さである。そのようにして、多くのフェスティバルでは、各国のアーティストや観客を通じて互いの社会が抱える状況を知り、現実やアートについて共に考える場が形成されていく。それが必然的に、コミュニケーションという「こと」作りの現場となるのだ。つまり、単なる自己の世界観の表明としてイメージ世界を仮構し、その道筋に観客を一方的に導いていくのではない。あえていえば、瞬間瞬間に生じる、行為と感覚の出現(偶然性も含めた)とその交錯が大切なのだ。それはパフォーマンス・アートの本質を成している所でもある。

美術家としての行為から

 私にとって、「造形性=もの作り」と共に、「行為性=こと作り」への興味は以前から強いものがあった。身体性を起点として、両者が派生し重層化してくるのは美術家にとって自明なことではあるが、二足のわらじをはく形でパフォーマンス・アートと関わり始めたきっかけは、大学在学中の1976〜1980年にかけて、私自身の制作上のキーコンセプトである「都市におけるフィールドワーク」をテーマとして形成していった経緯の中にある。身近な地域を設定し、そこを歩き、記録しながら素材を採取し、作品を制作・設置するという、「行為」と「プロセス」自体の重要性を感じたのが起点となった。Y・クラインの活動、R・セラの樹木の移植、そしてR・ロング、D・ビュラン、クリストなどの作品や、「ポイエーシス」と「プラークシス」をめぐる美術界の様々な言説は、単なる結果としてのもの作りから、美術(またはプロセス・アート)における行為性の意味と魅力を教えてくれた。もちろん単なる方法論としてだけではなく、自分の出自と成長に関わる、日本の高度成長期の光と影を映し出す都市化の問題などにもこだわりがあった。
その後、個の制作プロセスが、公の前で意識的に行われるパフォーマンス・アートとしても展開していったのは、フィールドワークの対象が場とか空間だけでなく、メディアが形成する情報にまで敷衍されていったこと。それと、インスタレーションの仮設性と共に、パフォーマンス・アートのリアルタイムな時間性にも、自分自身気づかなかった表現の幅が出てくる可能性が内在されているのに次第に気づいていったことがある。つまり、ものや空間に表現を仮託することと、時間の流れに仮託することの、共通する側面と異なる側面の両者が、自分の中で新たな発見と冒険を呼び覚ましてくれたのだ。言い換えれば、自己の芸術的本質の矛盾と二面性をも旺盛に表現できるかもしれないという、無謀とも言える確信を持ってしまったところがある。

問い直されるアートの役割

 私の場合、特別な舞台設定などはほとんどしない。個人がさりげなく行えるところにパフォーマンス・アートの良さがあると思っている。先に書いたように、それは単なる行為の経過と集積ではなく、瞬間瞬間の中に刻々と変化しながら生じる体験の動的なシステムだ。人の生きている実感と共に共有できる、予測不可能で繰り返しのきかないアートなのだ。予測可能を希求する近代的なシステムにパフォーマンス・アートは抵抗する。また、過度に用意され、仕掛けられ、作り上げられた非日常性や虚構性もそれには似つかわしくない。ただし、今、行われている多くのパフォーマンス・アートは、堅い絆の共同体のしがらみを逃れ日常からの脱却を求めた、かつてのハプニングとはベクトルが異なっている。今は、バラバラと化した共同体の中の個人が、アイデンティティーを単純に求めるだけではなく、現代という時代を共有する人間同士として、他性(他者・異文化)への想像力を飛躍させ、共感し合う場として成立しているのだ。
フェスティバルの開催という「こと」作りを含め、一つ一つのパフォーマンス・アートの発表がもう一つの新たな社会的現実となり、時代状況を形成していく。そこでは、アートが単に時代を表象するのではなく、現代という時代を問いながら、それにどう刻印していくことができるのかという真摯な試行が続けられている。現在と行為に焦点を当てること。様々な事象と交渉を繰り返し、行為をし続けること。それがパフォーマンス・アートの醍醐味だ。そうして社会の中でのアートの役割が、パフォーマンス・アートを通じ、もう一度問い直されようとしているのだ。

(注)PC(ポリティカルコレクトネス)
表現の政治的妥当性ということ。アートやマスメディアでマイノリティーや被差別者に配慮した表現を行う傾向。70年代後半からアメリカで活発化した。 

藝術評論12(TSA研究室+ND 1999.3月発行)より (1998脱稿)

関連文献 日本におけるパフォーマンス・アート そのショートヒストリー
関連文献 Art Words & History パフォーマンス (Performance Art)
丸山常生 パフォーマンス紹介ページ

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