フォトドローイングについて   (1991)

 「フォトドゥローイング」と私が呼んでいる、写真映像を用いた作品を作り始めたのは1982年の頃でした。「フィールドワーク」を通じ、眼の前の環境をとらえようとする時、この作業は自分の“眼差し”のありかとゆくえを探る上で、つまりフィールドワークの体験を再確認したり、増幅したりする手立てとして有効な手法のように思われ、現在でも少しずつ形を変えながら続けられています。
人が世界を視る時の眼差しには、時空間に対する方向性・速度・大きさ・深さなどといった要素があると考えられます。そしてそれらを統合する「視覚」の枠組みを代表するものとして、例の透視図法の存在があります。その見事な虚構の体系は、ルネサンスにおける発見以来、それを乗り越えようとする美術家たちの様々な冒険の温床になってきました。(例えば、レオナルド、ベラスケス、セザンヌ、ピカソ、キリコ、デュシャン、ジャコメッティー…らを想起してみよう。)

 現在では、近代的自我の確立と崩壊の過程で、透視図法は眼差しを固定化された枠組みの中にはめてしまった張本人として、一般的に批判的な評価をされがちですが、私はこれにもう一つ別の現代的な意味が与えられるのではないかと考えています。視線の通過場(環境)の断層面(画面)を貫く眼差しの流れが、主体(主観)としての眼球に始まりと終わりを持つのではなく、そこをさらに透過し、後ろに抜けてしまうようなことを想像してみるのです。その場合、あの固定化されたような不自由な眼差しに、かえって環境を取り巻く大きな見えないネットワークを暗示できる可能性が出てくるのではないでしょうか。(そこには自分が世界の中にいるという感覚と、隔てられているという感覚の両義性があります。)それは現在の都市環境、特に東京をとらえる上で有効なことのように思われるのです。写真映像は宿命的に透視図法的な知覚を有していますが、私の「フォトドゥローイング」にそのような構図が多く用いられるのは、以上のような理由が一つにあります。

 今回の作品は、東京都内各所の「道」・「橋」をフィールドワークし、フレーミングした映像を用いる予定です。一つ一つの作品とともに、それらを貫く集合した眼差しを感じさせられたらいいと思っています。

ギャラリーアリエス個展“Field of Eyes ”リーフレットコメントより 1991.11月


Home    プロフィール   その他の文献資料

Copyright (c) MARUYAMA Tokio. All rights reserved.