私達の眼前に広がる風景としての環境は、実は私達自身の内なる環境といえる欲望を映し出す鏡でもある。風景を見ることは、私達自身を見ることでもあるのだ。そしてその欲望をとことん解放しようとすることは、一種の生命原理の当然のなりゆきであり、風景がどんなに変貌しようが、そこに安易な社会的モラルが入り込む余地はあまりないように思える。ことに現在の日本の高度資本主義・情報化社会が到達しつつあるこの環境は、人間が今後いかに生存していくシステムを再構築しうるかが試されている、人類史の中での壮大な実験場のフロンティアになった感がある。

 私のフィールドワークは、生命体としての人間が棲息するこの環境を、様々なエネルギーや情報が流れる通過場としてとらえ、その中の微細かつ厖大なる、人間の記憶や予感に関わる断片を採集し、一つの総体として表現することである。その時に必要になるのが、絶望的とすらいえるほどの爽快感を伴った、ある透徹した眼差しである。それを獲得するのは非常に難しいのだが、それこそが現在の日本でしか得られない感覚であり、人類の共通財産としての美術的な体験を生成しえる、私達に巡ってきためったにない機会なのだ。

SELF-ENVIRONMENT展 カタログ コメントより  1991.7月

  


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