|
生への実感としてのフィールドワーク (1999)
ー 丸山 常生氏にきく ー
このインタビューは、
1999.11.20〜2000.1.10まで、
板橋区立美術館で行われた
「アトリエの謎」展のカタログに
収録されたものです。
(c) Itabahi Art Museum
ー 油絵からフィールドワークヘ表現を変えたきっかけは何ですか?大学では初めの1〜2 年は油絵を描いていたんですけども、もともと絵が好きで始めたんで描いているとはまってしまうんですよね。はまるっていうのは夢中になっちゃう、面白くて。
そのこと自体は悪いことではないんですが、ちょうどそのころ70年代半ば過ぎで、時代的に波が熱い波ではなくて静かな時代ですよね。絵画の見直しとか、そんな時代状況もあったんですが、僕自身の中であまりにも自分のイメージの中にはまりこんでしまうだけというのが、本当にこれでいいんだろうかというか、キャンバスを目の前にしてわき上がってくるイメージというのが、本当に自分にとって実感のあるリアルなものなのか、ということを疑問に感じた時期と重なったんです。
それで、すぐ油絵から離れたわけではないのですが、結局、自分が今生きている時代だとか現実、そういうものを、もうちよっと足下で実感したり見つめたりしないと、白いキャンバスに向かって筆を置こうとする気持ちがすごくあやふやで、心許ないものに思えたんですよね。
で、油絵というのはとりあえず一回中断して、制作につながるかどうかは別として、まずもうちよっと自分の身の周りの、それこそ身の周りの空間ですよね、絵画の空間じゃなくて。それを見つめ直そうというんで、自分の街の周辺であるとか、いろいろな場所を歩いて、写真を撮って、ダイレクトに自分が見てる風景とかそういうものをもう一回自分の中で実感し直そうというか、そんな気持ちが強かったんですね。
最初は、ただ地図を持って歩き回るとか、写真を撮ったりとかしているたけだったんですが、きっかけとしてはその写真を撮るっていうのも絵画と多少つながっているところがあって、一番シンプルな行為として、フレーミングということに気づかされたんです。
カメラをのぞいたときに結果的に四角いフレームができますよね。フレーミングされることによって見える風景というのは、絵画の原点というか、描写する絵画の場合は特にそうですよね。元々は窓枠みたいなところから、ルネッサンス以降の絵画って出てきたと思うんですが、そういうフレーミングするということが、絵画の原点との接触というか、つながりみたいなものがあって、写真をどんどん撮りながら、フレーミングされることによって、なんかちょっと風景が変わって感じられるというか、なんの変哲もない風景が自分にとって、よりリアルなものに感じられる、そんなことを感じたことがあったんですよね。
フレーミングというのは、四角い画面のことだけじゃなくで、自分を規定している現実、例えばギャラリーだったらギャラリーの四角い空間というのがあるけれども、美術館だったら美術館の空間があったりとか、自分の家だったら自分の家っていう空間があったりとか、必ずなにかフレームによって仕切られることによって内と外というものが、改めて確認される。
そんなことを考えながら街を歩いて、写真を撮って、なんとなくものを拾い始めた。その辺のいきさつっていうのは、きっかけも思い浮かばない位おぼろげなんですけれども、よりリアルなイメージ、イメージっていうと幻想的な想像が、ばあっと広がっちやう言葉に近くなっちやうんですけれども、そういうものじゃなくて、もっとダイレクトに自分と関われるもの、それが例えば目の前に落ちでいるゴミだとか、そういうものをリアルに感じたなんてところがありました。
それで、ものを拾ったりとか、同時に写真をいっぱい撮っていったりとか、フレーミングされた場にまつわるものごとをサンプリングしていくというワィールドワークに自然とつながっていった。
フレーミングという話からはずれちゃうかもしれないけども、キャンバスが場だとすれば、自分が発表する展示する場所も場だし、自分が生きている街も場だし、極端に言えば日本というフレームも一つの場だし、そういう一つのフィールドを規定、自分なりに設定してそれを自分の制作作業の対象にしていくっていうのが、そこからスタートしたような部分があります。
例えばもう少しわかりやすくいうと、絵を描いててもその額縁に入った絵というのは額縁の内側で成立するじゃないですか。美術館にある絵でも、どこかに持っていったり、他の美術館に持っていっても、一応セザンヌの絵だったらセザンヌの小宇宙として成立するわけですよね。でも僕が当時考えていたのは、どこに展示されるのかとか。極端にいえば学芸員の方々も敏感に感じていらっしゃると思うけど、同じ美術館の中でも展示する場所によって当然違うわけですよね、見え方が。物理的な光とか壁の質とか、もっと広げていえば、それは展示する場所によって決定的に変わって見えるというか。
それがじゃあ自分の作品というか、行為というか、それをどういう背景、どういう場のもとで提示したらいいのかということに、デリケートに神経を使うようになったんですね。それで、だんだん絵そのものからインスタレーションとか、当時インスタレーシヨンという言葉はあんまり使われていなかったですけどもね、空間とか空間全体の中で自分の作品をどう見せるかみたいなこと、そういう方に興味の比重が移っていったわけです。立脚点としては、作品づくりの背景としての自分が住んでいる時代とか環境を再認識したいという気持ちがあったというか。
つまり絵って常に何かのフレームに仕切られているとしても、外側の世界と関わりを持たざるを得ないのかなっていうのがあったんですよね。受験生時代なんかこういう狭い部屋で描いていて、広いアトリエに持っていって、講評会なんかで見ると、全然違って見えるなんて事がありました。同じ絵でも場所によって全然違う。
ー フィールドワークをする場所は、身近な場所でないとだめですか?
最初のスタンスはそうでした。つまり、よりリアルな実感ということを得るために実験していたようなところがありますから、そうすると身近な所なんですよね。例えば写真撮るのも、毎日同じ時間帯に起きて自分の足を写すとかね。それは表現につながるかどうかわからない実験ですよね。それが家になったり、周辺の街並みになっていったり。
ただ今は決してそれだけじゃなくて、自分が生きてきた、たまたま生まれ育ってきた時代とか、日本という環境だとか、東京という環境だとか、そういうものと、そうじゃない場所に行ったとしても想像力の中でつながることがありますよね。例えば、外国の町に行っても、デ・ジャ・ヴというか、来たことないのに見たような風景を感じることがありますよね。それは自分の記憶の中の体験だとか、そういうものと何かどこかでシンクロしてるはずだし、そうすると自分がフィールドワークする場所っていうのは、今は、非常に素朴に、自分の感覚がなんとなくぴんとくるような場所であれば、特に選んでないです。
ー フィールドワークをする時は、実際にその場にいないとだめですか?
自分のその場の応答というか、環境との対応関係がありますから、自分がそこにいないとだめですね。以前ほど、ここの場所っていうことにーつのこだわりを持たなくはなりましたけど。
以前は、なぜこの場所を選んだのかとか、何でここが大事なのかとか、たとえば埋め立て地だとか、この画廊の周辺だとか、銀座だとかね。そういう場所の設定の仕方に意味を持たせたこともあるし、それは今でもあるんですけれども、それだけじゃなくても、たまたま自分が行って出くわした場所にも興味が感じられることもありますから、その辺はだんだんフィールドワークの概念が広がってきています。
ある時、情報環境上のフィールドワークとして、 パフォーマンスの中でやったのは、 土地とか場所じゃなくて新聞紙の情報が対象だったんですね。例えば、パフォーマンスする日の新聞をいっぱい各紙用意して、お客さんの前にばーっと壁を作ったりとか、物理的に新聞紙の印刷物でできた土地を作っていくとか。さらに新聞がラジオの音になったりとか、そうやってたいぶ広がってはきましたが、さかのぼっていけば、地面とか土地のフイールドワークに帰っていくような所はありますね。
自分とその土地はどっちが先かわからないですけど。たまたま自分がこの時代に生まれ出ているとか、こういう場所で生まれて生きているとか、偶然的な出会いの要素もあるわけですよね。それこそアフリカの飢餓難民のもとで生まれたりしたら、それはーつの環境ですしね。ですからどっちが先になるか分からないですけれど。さっきのフレームの内と外じゃないですけれどもね、自分と自分を取り巻く環境というのは常に一緒になっているんです、自分の中では。
− パフォーマンスを始めたきっかけは何ですか?
パフォーマンスという言葉が流行ったのが、80年代半ばぐらいになってからなんですよ。ロ一リー・アンダーソンとかそういう人が紹介されて。日本でも画廊のオープニングでやったりとか、そういうのが流行った時期があったんですね。また急に下火になったり。日本の中でのウェーブはただの流行現象で終わった感が強いんですけども、僕にとってみればそういうものとあまり関係ないような気がします。フィールドワークの延長で自分の制作行為みたいなものを考えていったときに、ものとして残すよりも現場の行為、そっちに比重を移していったときに、必然的にパフォーマンスになっていったところあります。
イブ・クラインとか、パフォーマンスじゃないですが、プロセスアートのリチャード・セラとか。ああいうものってさりげないんですが、金貨を川に投げ込むとか、有名な写真で残ってる空を飛ぶとか、こいつなに考えているんだろうなっていう。ああいう一見ばかばかしいやつにちよっと興昧を持ってましてね。その辺の方が強くて、僕はあんまり芝居を見たりとかそういうことはほとんどしなかったですから。
ー フィールドワークをはじめたときから、パフォーマンスのことを考えていた訳ではなかった?
初め、人に見せるということを想定していなかったんで、なかったですね。自分のやってることをインスタレーションでも写真に残すじゃないですか。それこそフレーミングして。そうすると、その写真が結構面白かったりするんですよね。かつてのパフォーマンスしている人の写真でも、イブ・クラインがあったり、ポロックがドリッピングやってるところなんかありますよね。制作行為の延長が写真といっ切り口によってパフォーマンス的に見えてくることがある。それと同じような延長で、自分がやってることをリアルタイムで見せていけば、ある種のアクションであると同時に、造形的な作品にも結果的につながっていく。
その頃はインスタレーションという言葉もパフォーマンスという言葉も、70年代の終わり頃、日本にほとんど入ってなかったですからね、アメリカでは当然パフォーマンス・アートってあったんですけども、あんまり日本では日常的に使われてなかったですし、じゃあこれからはパフォーマンスだって考えはほとんどなかったです。
82年に、ちょうどパフォーマンスって言葉がよく使われるようになって、ブームになる直前ですかね。その頃にパフォーマンスをプランBというところでやって、それが初めての公としての発表でした。それまで、ギャラリーでイベントと称してパフォーマンス的な行為をしている作家のものを観たりとかはしてましたけどね。
ちょうど今度タイに行くときに、 日本のパフォーマンス・ アートの簡単な歴史的なこと書いてくれって頼まれて調べてたんですが、ここ20年くらいのことで言えば、84年に福島の檜枝又村でパフォーマンスフェスティバルが開かれてるんです。当時でいうと、浜田剛爾さんとか何人かの方々がパフォーマンス・アートの草分けでいたりとか、そんな流れの中で、パフォーマンスっていうのは地道に日本の中では行われてきていた。ただ僕自体はそういうウェーブの中で接触してやってきた訳ではなく、自分の制作行為の延長の中でやってきたっていうニュアンスが強いですね。
最近はそういうフェスティバルが世界各地で盛んになってきていますから、そういうところに参加したり、美術のフィールドだけじやなく、もちろん美術なんだけと、美術館だとか画廊でやるようなフィールドじゃなくて、劇場みたいな所でやる、そういうことも回数としては増えてきています。劇場っていっても作り上げた芝居をやるような感覚じゃないですけど。ちょっと自分の中の感覚ではずれちゃうし。ホールの舞台は本当に離れちゃってますから、あまり自分の中では好ましくないですね。どっちかっていうと、お客さんが自分の周囲を囲んでいる感じ、フラットなスペースが僕の中では一番いいなっていうのがあります。後は野外の空間の中でやるとかね。
ー パフォーマンスというと表現したい事がたくさんありますよね。宗教とか民族とがその中で暮らしている人はその上にパフォーマンスがあると思うのですが、丸山さんの場合は、フィールドワークの上に立ってそれをやる。社会に訴えるパフォーマンスとは違うということですか?
そうですね。僕のフィールドワークというのは、非常に抽象的にいってしまえば、地球というこの環境の上に生息している人間という生物が、いかに生存しているのか、みたいなところを検証するようなもので。もっとも、そこまでいってしまえば、何でもそう、ということになってしまうんですけれども。そうしたときに、たまたま僕が生まれ、生きてきた時代が、この日本の高度成長期と重なってきたりとか。そんな時代だったわけですよね。
そこからさらにある程度しぼりこんでいき、その自分のフィールドワークが世界の人に通じるものがあるとすれば、宗教や思想とは別の意味で、 現在生きているどんな人々も体験するかもしれない、自分が生きてる環境の中でどんなふうにやり取りがあって、摩擦があるかといった個人的な肌ざわりのようなこと。特に僕は都市化って事を言ってますけれども、一つの自然から人間っていうのは生きていく上でだんだん都市を形成してきたわけですよね。その人間がお互いに集合して生活をせざるを得ない存在たとすれば、必ず宿命的に都市化っていうのはおこるわけで、それが僕が昭和30年代ぐらいに見てきた風景と重なると。
今、 東ヨーロッパの人とかアジアの人と関わる機会が多いんですけれどもそういう人たちにも共通するような。どんどん時代の中で自分の生きていく環境が変わらざるを得ない。社会主義や資本主義になったりとか、あるいは自然が破壊されてどんどんスラムになっていくとか、街に建物が建っていくとか、情報化されていくとか。そういう体験っていうのは誰しもが共通するような体験じゃないかなって気がするんです。そういうところで多少通底するというか、共通するある種のストーリーて言うか、そういうことが自分の中でパフォーマンスするときにあるかな、なんて思いますけれども。
だから宗教的感情とか、立派な思想とかそいういう所までは行かないんですけど、自分がたまたまでくわした昭和30年から40年くらいの東京の変化っていうものが、時代背景的な違いや様々な段階があるにせよ、たぶんこれからも世界中の人々が、同じような体験をするし、共有できる感覚をもてるんじゃないか、そんなとこでやってるんですけどね。
ー パフォーマンスはどうやって組み立てるんですか?
ある程度、タイトルごとのシリーズがあるんですけどね、「Land of information 」、「On the map」 、「我らのありか」、「Faraway, so close 」 、最近は「トランジション」というシリーズでやってるんですけど、シリーズことに漠然とした大きな、自分の中の行為の成り行きはある程度設定されてるんですよ。そこで使っ小道具というかマテリアルも、やはりある程度設定されているんですね。ですからプランが半分、行われる場所であるとか、時であるとか、お客さんの雰囲気であるとか、諸々の条件によって変わるのが残りの半分ですよね。
ー 演劇のシナリオのように進行が決定されているものはないんですか?
ある程度「 こうなったらいいな」、というイメージはありますけども。結果的にアクシデントかどうかは別としても、そうなんないこともあります。たとえば地球儀もって椅子を乗っけて、こうなったらいいなというイメージはあるけど、そこで僕がずっこけたり椅子がのんなくてとか、それはそれでしょうがないっていうのがありますから、半分半分ですよね。自分の中では、そのパフォーマンスとーつの時間の流れの中での成り行きを想定してアクシヨンするときには、プランとそれ以外の要素ですね。
ー 毎回違うということですか?
同じ事はまずあり得ない。自分の中で意図的に変える部分がありますけど、結果的に生じる出来事は違います。同じ事はないですね。
人に言わせれば、全く同じことをやったとしても、見る人のそのときの感覚によって違う印象があるんだから、同じことはあり得ない、なんて言う人もいるかもしれないけど。僕が言っているのはそこまでじゃないにしても、自分の中でちょっと変えるというのと、さっきから言っているように、不確定な要素によって変わってしまうのが両方ありますから、その意味で同じものはないですね。
でも、同じシリーズのパフォーマンスを、ある人が二回三回観てある種の同じ感覚を得ることはあると思うんです。そういうことはあり得たとしても、パフォーマンスそのものは微妙なずれの中で行われていますから。見る人のその場の体験も、同じ感覚を得たとしても、記憶の残り方とか、その場の体験というのは微妙に変わるんじゃないかと思います。
ー 前回板橋区立美術館でやったパフォーマンス「我らのありか」は、周りで椅子に座っている人が椅子をどけないと先に進まない構成になっていますが、それは意図的にですか?
あのパフォーマンスはそうですね、 意図的にお客さんを巻き込む形ですね。かなり受動的に巻き込みますよね。受動的というのはつまり、あれっやんなきゃ、巻き込まれちゃったぞ、みたいな感じで。時には手を引いて真ん中にひっぱってきて、何かやってもらったり、パフォーマンスに入ってもらったり。そういう巻き込みかたもあるんですけど。どかない人がいたらそれはそれでしようがないんです。今のところ幸か不幸か、にっちもさっちもいかなくなった例はないんですけども。
カナダでやったときに絶対どかないおばさんがいたんだけども、 やってる間は夢中で、10分くらい汗だくになって引っ張ってるんだけど進めないってことありました。最後にさすがにちよっとずらしたりしてくれたんですけど、その時はやりながらどういう風に収拾をつけるのか自分の中で頭を回転しながらイメージしますよね。それが成功するか失敗するか全く保証できないし、パフォーマンスのアクションというのはクールに観ている自分と、はまりこんでしまっている自分が両方ありますから、効果的かどうかは別としてもその場で一番自分にとって相応しい切断、終わりの仕方は本能的に直感的に考えています。
ー パフォーマンスをしている時は、トランス状態のようなものですか? それとも頭脳的にいろいろ考えながらやっているんですか?
頭脳的身体的両方です。少なくとも僕の場合はそうです。100 パーセント入り込んでいるということはないです。両方なんです。それは絵を描いているときと近いような気がするんですよね。ぐっとはまりこんでしまうだけだと怖いから、ちょっと引いてみるというか、あんまり大差はないような気はします。ただ全身を使って肉体が動いたり汗かいたりとか、そういう意味では絵を描くよりも遙かに身体的に入り込む要素は強い。
ただ、もうーつ、もう二つ、もう三つくらいの自分が、どこかで別の自分を意識しているみたいなのはありますね。結果的に重層的に意識できた方がうまくいってるような気がします。それをトランス状態に入りこんだり、常に頭脳でコントロールして、高いレべルで維持しようとすると、僕にとってはパフォーマンスじゃなくなってくるんですね。舞台でやってる俳優さんなんかは、常に高いレベルで一定した条件を維持して演じるというか、高めていく。それを目的にしちやうと僕のパフオーマンスは違っちゃうんで、そこまではいかないです。
ー パフォーマンスのために体を鍛えたりするんですか?
あまりないです。そういう意昧ではその場の不確定な要素とかを柔軟に取り込みながら、その場の瞬発力で、肉体的にも精神的にもその瞬間の中で自分がどう反応してどうアクションするのか、そんな行動半径の中でやっていきたい。
ー 油絵はふつうは美術館に展示してある完成型しか見られませんが、パフォーマンスは見ている人が制作に参加しているようなものですね。
意外とやってるうちに見落としがちな部分になっちゃいますが、見ている人がその場に関わった感覚はパフオーマンスの命みたいなもんで、誰も観てない中ではできないですよね。お客さん一人でもいればやりますけど。こんなにお客さん少ないの? おいおいって時もありますけど。モチベーション低くなっちやうんですよね。でもやってるうちに高まってきますから。お客さん一人でもいれば、その人との出会いの関係性の中で、全身全霊でやる。かっこよく言えばね。
ー 演じるということに抵抗感はなかったですか?
兄貴の一人が俳優やってましたから。中学枚時代に友達に誘われて演劇をやったりしたので、そういう芝居するとか演じるとか抵抗はなかったですが、それと今自分がパフォーマンスをやっていることはあまり関係ないような気もします。
ー フィールドワークとパフォーマンスは全く別の表現に見えますが、作品の間に関連はあるのですか?
かかわりはもちろんあるんですね。フィールドワークをしながら、それが根っこにあって、それをある程度意識的に人の前でやるようになったのがパフォーマンスみたいなとこで。最初の頃のフィールドワークは、自分の実験と制作のために、人がいないところで自分でいろいろやっていたようなわけで。その後、お客さんに見てもらうという事を想定して始めたのが結果的にパフォーマンスになってきたり。
パフォーマンスの場合は、かつて絵を描いていた時に避けようとしていた、イメージというか一種の物語性というか、そういうものにもすっと入れるところがあって。物にはそういうものなかなか込められなかったんですけど、自分の行為とか、そういうことには以前程は抵抗感なくできるようになったんですね。僕にとっては、パフォーマンスとフィールドワークは延長線というか、つながってる概念です。
よくパフォーマンスする仲間と話すんですけれども、パフォーミングアーツというか舞台系の人のパフオーマンスとは全然違っているはずですよね。舞台があって、そこでお客さんが見てとか、そういうパフォーマンスとは違うというか。やっぱり日常の延長の中で、自分のフィールドワークしたりとか、何か感じていたりとか、その行為とか、そういうものをさり気なく見せたいというのが僕の中の一つの要素だと思います。
ー 丸山さんの表現は、フィールドワークが土台になっているんですね。
僕の立脚点みたいなものを探っていくと、やっぱり一番下にあります。そこから得たインスピレーションを元に、一つ一つの手法というか、作品として残す場合にフォトドローイングというのがあったり、普通の写真もあります。ビデオもあるし、パフォーマンスもあるし、インスタレーションもある。インスタレーションといっても、野外でやるサイトスペシフィックな、その場でしかあり得ないようなものもあります。それに関しては一つに絞り込んで磨き上げていくっていうやり方じゃなくて、広くやってるって感じです。
− 丸山さんの作品には、土地、場所、地面へのこだわりが底辺にあるように感じられます。
そうですね。フィールドワークの概念がだんだん広がってきて、それが立脚点になっている訳ですが、一番最初のフイールドワークは自分の足下を撮るとか、そこからだったんですね。自分が歩いてる場所だとか、結果的に地面になったりすることは、僕の中の広くなったフィールドワークの概念の中でも、さらに底辺の即物的部分なんですよね。土だとかコンクリートであるとか、そこの地表の状態っていうか、そういうのは原点になりますね。それは自分が育ってきた街並みの風景の変遷が地面の変化に象徴されてるようなところがあって、土から砂利になって、コンクリートになって、またそこから草が生えて、また地面に戻っていくような、象徴的部分を地表には感じるんですね。
ー ドラム缶を原っばに並べて、その地域の物をその中に少しづづ入れるという作品*もあります。
あれはあれでーつの小さな空間なんですけど、小さな空間のなかに非常にもっと広大な空間を呼び込んでしまうような、そういうようなことがあると思うんで、たとえ自分の足下の狭い土地だとしても、そこには世界とつながるものが必ず潜んでいるっていう感じがします。そういう意昧ではフィールドワークする場所がすごく広い場合もあるし、せまい場合もあります。
荒川の土手の10メートル四方の土地で拾い集めた、という作品もありますけども、それはそれですっごく面白いんですよ。いろんなものが落ちていて、もちろん草や土や石やいろんなものがあって、ほんとうに4時間くらいごそごそやってても飽きないですね。そこからいろんな社会っていうか人間っていうか、そういうもの見えてきますから。そういう意味では土地っていうのはフィールドワークの中でも一番即物的な原点に近いですね。
写真を撮り始めた頃に、さっき足下を撮るって言いましたけども、これもーつの実験なんですが、50歩歩いたらシャッターを押すというルールでばーっと歩くわけですよ。すると、自分が恣意的的に選んだんじゃないものがそこに写り込むわけです。コンクリートがあったりとか、葉っぱが落ちてたり土の地面があったり、いろんなものが落ちてる風景がある。それを連続して見ていくと、自分がぐるっとそのとき何時間かかけて廻った大きなフィールドみたいなものが、その集合体から見えてくるというか。そんな経験が最初の頃にあって、そのあたりですかね、フィールドワークの最初のきっかけ、広がっていくきっかけになったのは。それは写真というフレーミングされた映像から実際にその場を切り取ったかけらみたいなものですね。落ちているものとか、それをいっぱい集合させて並べたりとか設置したり。そういう流れですね。
− パフォーマンスに使用した道具やインスタレーシヨン作品をーつーつ木箱に入れて保存していらっしやいますが、現在を題材にしているのなら、残す必要はないのでは?
そこは、僕の中でも解決がつかない問題なんですよね。というのは、僕自身は永遠に自分の作品を残したいという、本能的な欲望をどこかで断ち切りたいと思いながら、例えばパフォーマンスを始めたりとか、作品が残らないインスタレーシヨンを始めたんですよね。結構勇気が必要だったんです。やっぱり絵をやめるというか、油絵を描かなくなることが。結果として残るものがなくなるということは、非常に勇気が必要だった。
しばらくして、自分の行為みたいなことを中心に考えていったときに、もちろん、行為というのは人の記憶に残れば、ひとつの存在価値を持つと思うんですけど、まだどこか、しっぽが残っているというか、写真とか文書が残ったとしても、行為の痕跡ぐらいは何か残しておきたいなみたいな。そういう気持ちがやっぱりあるんですね。
それと同時に、結果的に残っても残らなくても、時間を切り取るという意味では、ものとして切り取られた場合も記憶の中で切り取られた場合でも、どこかで切断面というか、そういうところでアートというのは存在している気がするんです。切断面でしか見えないというか。そういう点でやっぱり自分の行為と、その場に居合わせた人、そこで行われた痕跡であるとかそういうものをーつのタイムカプセル、というと変ですが、決してきちっと作ったりとか美術的に見事に仕上げたりとか、そういうものじやないですけれども、切断したものをぽんと投げ出すような。それがあの箱の行為につながっている気がするんですけどね。まだなんかちょっとしっぽがあるんですね。
パフォーマンスというのは、永遠に流動的だし、その瞬間瞬間によって変わる不確かなものを前提にしますよね。永遠に不確かな時間の流れのようなものがあって必ず人間ってどこかでリズムを作って切断したいというか。その切断面のーつなんですね。あの箱を残すということは。残すことだけが目的じゃないような気がするんですけどね。切断した結果が残っちゃったみたいになればいいなとは思っているんですけれども。
ー 残した箱は、後で見たりはしないんですか?
あれはもう開けませんから。絶対とは言い切れないけど。今のところ、あれ、今どの位ありますかね? あれ始めたのが1990年位からなんですけど、やったりやらなかったり状況によってですけど、50〜60個くらいあるんですよ、未だにあれをどうしようか、迷いながら続けているんですよね。一応自分の中のルールとしては、封印して開けないということで。穴ぼこからのぞけばちよっとなんかあるぞみたいな。その程度のもんですね。
ー いつかはどうするか決めなければならないと思いますか?
ずるずると続けてるんですけど、あれをもし展示するっていうことになったときは、自分がもともと考えてたことと、ちょっと違うことにもなって来かねないし。まあ、その辺に関しては、どうしようと思いながら決めかねています。
ー フィールドワークを長年やってきて、油絵を描こうとは思いませんか?
わからないです。かつては物としてきちっと残すとか、技術的に磨き上げて美しいものを作り上げるとか、そういうことに対して敢えて距離をとるというのがあったんですが、最近はそこまで拒絶感は強くないです。写真を焼いてそれが作品になったり、そういうこともありますから。今のところ、キャンバスに、油絵の具で自分のイメージや世界観を一方的に定着するという意味での油絵はしてないですね。
ただ、素材として油絵の具は好きですし、ドローイングのような形で使ったりとかは、たまにありますね。そうやって油絵の具は使うかもしれないけど、油絵はどうかなあ。今のところ自分の中では考えられないですけれども。どうしてもはまっちやうんですよ、絵を描くと。はまりこんじゃうと、油絵の仮想現実の世界にすーっと入り込んでしまう気持ちいい感じがあるんです。
もちろんプロの画家の人はそんな簡単なことじゃないと思います。ちゃんと絵の具とかキャンバスとか、物質的なことであるとか空間をどう作るとかいろんなことで、単なる仮想現実にはまるわけじゃないですけれども、僕にとってのかつての絵を描くことの居心地の良さっていうのは仮想現実に遊ぶような感覚があるから、そういう意味での油絵っていうめは…。作家って、 どんなにのめりこんでもどこかで醒めたもう一人の目が必要になるんで、その辺が怖くて。自分にとっては、気持ちよすぎるのがどうも居心ち悪い。誰にも見せないところで描くとか。それは作家の丸山常生とはちがうものですね。趣昧で、囲碁とか将棋みたいなものと同じ感覚で、油絵があるかもしれない。
油絵自体は問題ないんですよ。油絵じゃなくても自分のイメージを小宇宙に込めて、水遠に残したいという、そういう意味での作品の制作行為、そういうものとは距離がある。それがたまたま油絵だったということでしょうか。
ー フィールドワークを始めたきっかけが、油絵にまた戻ってくるためなのではないかと思いました。
最初はそんな感じでした。大学の2年から3年の頃です。しばらく油絵じゃないにしても平面的な素材に行為を施すような作品は作ってたんですね。だんだん油絵ということよりも、ものとして残すということよりも、インスタレーシヨン的な形式に自分の興味が移っていったので、結果的に油絵には戻りませんでした。確かに初めは絵を描いている自分の立脚点をもっと探ろうと思って始めたんです。結果的に家を飛び出したまま家には戻らなかった、そんな感じです。
ー 今回展示される作品は平面の作品ですが、油絵とは違う意識で制作されたんですか?
収蔵されてる作品は、ものとして残す平面的な作品ですから油絵を描く行為に近いですけれども、あれも本当に自分の中では自分がフィールドワークした感覚を、そのままぱーんと切断して投げ出したみたいな感覚ですね。あの場合は、美術館にとっては困るんでしょうけど、だんだん変色して、なんとなく画像が変化していくという、あれ自体に時間を作り上げちゃってるというか、そんな所もあるんで、自分では気に入っているんですけど。
ー ただの絵とは違う、なにか作家の思いの反映が感じられます。
感じられるとしたら、非常に嬉しいんですが。僕の希望としては、ああいう作品を見て街を歩いたりとか、本当にいま自分が現実に生きているという、そういう感覚も作品の中からふわあっと流れてくればいいなと思います。別世界の絵の中にふっと飛び込んで、想像力で遊ぶんじやなくて、既に自分が生きている感覚とつながっている部分でやりとりがあるというか。そういう作品ができたらいいなと思いますけどね。
ー そういう感覚は、無意識な人も感じるべきものと思われますか?
僕は逆に無意識の人がうらやましく思うことがあるんですよね。ある意味じゃ無意識って事のほうがそこに入り込んでいるっていうか、自分の人生の時間と世界の時間・身の回りの時間がぴったり一致しているような。それは逆説的に言えば非常に究極的状態かな、なんて思うんですね。
ただ僕なんかの場合、宿命として、それを常にちよっと引いて見て意識してしまうという、そういう習性がありますから。そういう意味では無意識で生活している方に、さりげなく気が付いて欲しいのは願いますけど、「もっと意識しろ」とか「強引に見ろ」っていう、そういう気持ちはあんまりないですね。気が付いたとしてもいずれまた日常の時間に戻るんですよ、人間っていうのは。常にアートだけに囲まれてるわけじゃないですし、必ず両方の往復運動ですよね。そんな感じがするんです。日常と、例えばアートの体験というのが。
ー ご自身もアートと普通の生活の間で往復しながら生活されているんですか?
ええそうですね、そりゃそうですよ。ただまあ普通の人よりもアートのこと考えたりとか、行う時間がずっと多いとは思いますけれども。それでもそうじゃない時間っていうものはあるんですよね。
例えば、画廊とか美術館廻ってて作品を見るじゃないですか。それで「なかなかいいな」と思っても、出てしばらくすると、すうっと街の時間の中に入り込んで行くんですよね。街中でちょっと面白いい体験をしたら、またそっちに自分の感覚が移ってしまうというか。
そういう意味でア−トていうものが常に永遠に実在し続ける確固たるものではなくて、時折ふっと記憶の中に入り込んだものが、揺りもどしされてくるように、ふっとまた現れ、みたいな、そんな感じの作品でいいんじゃないかと思うんです。多分、あり得ないんですよね。日常の中に永遠にありつづけるアートって。生きてるていうことはもっと諸々のものが自分の中に入り込んで、平行して時間が流れてて、その時間がちょっと右に寄ったり左に寄ったり、その中で本能的にチョイスしているところがあって。
僕にとっても、もちろんアートっていうのは重要な時間の一つではある、ワンオブゼムであると思いますが、それが全てになったら、世の中全て男になったり女になったりしたら意味ないのと同じように、全てがアートになったらそれはアートじゃなくなる気がしますね。
ただ、それを一般の人たちに、一般という言い方は良くないですが、アートや、美術館とは無関係に生きている人たちに対して、かつてのハプニングだとか、60年代くらいには全てがアートなんだ、と言い切ってしまった時代があったと思うんだけど、それもアートを特権化しているような、高みから見下ろしているような、それで何やってもアートになるという、そういう言い方もちょっと強引すぎるなというのがあって。そういう風になっちゃうと、「こっちを見ろ」「こっち見ると面白いぞ」ってかんじでね、ひとつの求心的なというか一つの価値観で「美術はすばらしい」、で、そういう価値観を知らないと極端に言えば貧しいよ、みたいな押しつけがましいことになっちゃいますからね。
ある時は僕のやっていることを理解していただきたいし、見てもらいたいですけれども、ふと見て、その瞬間で、何か記憶の中に入ったらそれはそれでいいなと思うんです。で、あわよくば、街歩いた時にね、突然「あ、あの作品と同じような風景だ」みたいな感じでふっと蘇ればいいかなと思いますね。その程度のものかな。
ー アートの力を絶対視しているわけではない?
もちろん信頼はしてます。信頼っていうのは、アートに対してのポジティブな意味づけとして、自分の中にありますから。僕が言っているのは、芸術が全てに勝るみたいなそういう価値観ではないっていう、その程度のもの。
ー それは油絵を描いていたときは考えなかったことですか?
フィールドワークをやりながらその過程でだんだんと。昔はやっぱり絵を見て感動して「すごいな」とか。これはもちろんあるわけですよね、そういう経験というのは。そうしょっちゅうある訳じゃないけども、あるわけです。それはそれですばらしいんだけど、それを常に求めようとすると、どっかで破綻しちゃうっていうか。
僕なんか美術やろうとしたきっかけが、画集なんですけど、シケイロスの絵を見たんですよ。メキシコの。大きな壁画を描くんですよね。社会主義運動のなかで。それがすごくパワフルで。たかが印刷物なんですけど、「こういう力が美術にはあるんだ」そんなの直感的に思って。高校時代ですけどね、将来何しようか迷ってて、で「美術やってみようかな」っていう。そういうきっかけがあったんです。作品にはそれだけ人の人生を変える大きな力を持ちうる、ということはあるんですよ。
ただその後、自分で絵を描いていても、こういっちゃなんだけど、やっぱり天才っているなと。僕は初めモナリザの模写をしたんです。シケイロスを見て絵を勉強しようと思ったら、受験予備校なんてあるの知らなくて、いろいろ話を聞いて、予備校行こうかなと思って、始めようとしたときに、肺結核で一年入院したんですよ。それまで本格的な美術の勉強は、高校の美術の時間で石膏デッサン2枚くらいしかやってなくて、まともにそういう勉強したことがなかった。で、入院して、さあどうしようかな、と思って。ひまで美術手帖とかいっぱい読むじゃないですか。70年代の初めで。当時の美術手帖って、もう「すごい」って感じで。でも、わかんないんですよね、高校生には本だけじや。
それでもやっぱり絵を描かなきゃと思って、何をしていいかわからなくて、取り合えずモナリザの模写をしたんですけど、なかなかよくできたんですよ。初めてまともに描いた油絵で、モナリザを11ヶ月かけて模写したんですよね。モナリザっていうのは、通俗的かもしれないけど、やっぱり天才のなせる技だなと思った。
後は油絵なんかですごいなと思うのは、カラバッジオだとかフェルメールとかマチスかな。僕にとってそんなにいっぱいある訳じゃないんですよね、本当に片手で足りるぐらいなもんですよ。でもやっぱり、こういう天才のなせる技で、とてもじゃないけど、こういう人たちと肩を並べようとして努力するとか、同じような作品を絶対作るんだ、と思って描き続けるとか、そういうのはちよっと違うんだな、といつの間にやら思うようになったんですね。
本当にすばらしい天才のなせる技の作品として、完璧な自立した作品っていうか、それ一つで宇宙があるっていうか、そういうものはやっぱり自分にはできないなってところありますね。
ー 過去の巨匠はプレッシャーになりますか?
いや、プレッシャーじやないですね。かつてのように絵を一生懸命勉強して、すごい絵を描いてやろうと思ったら、プレッシャーになるでしょうけどね。目標にもなりますけどね。
今の僕にとってみれば、まがりなりにも肩を並べようとか、例えばああいうテクニックを身につけようとか、そういう気持ちはないですから。プレッシャーでもなんでもないですね。人間ってここまですごいことできるんだな、そういう勇気づけられるきっかけにはなりますけれども。そういう意味では美術に普段関わってない人が、ミュシャの絵とかルネサンスの絵画をぱっと見て、「あ、すごいね」っていうのと同じような意味で。
だから同じように技術を卓越して描きたいとか作りたいとか思うと、それはプレッシャーになるでしようね。
ー 現代人はバーチャルリアリティーが身近になり、存在感が希薄になってきているように思われますが、そんな中でも実存、生存、存在をテーマにした作品を作っていきますか?
ぼくは、ビデオの映像も使ったりしますから、メディア化された、そういうものに対する拒否感というのは、そんなにあるわけじゃないんですよ。存在感とかいったものは、必ずメディア化されて人間の知覚に入ってくる。近代以降いろんなテクノロジーが発達してくれば、一つの宿命としてでてくるというか。
ただ、自分の中では、仮想の現実を信じ込んだり、楽しんでしまったりしてしまうほど楽観的じゃない。そういうものに対する距離感というか、自分の制作している、あるいはパフォーマンスしたりする現場とは当然違うな、という意識はあります。
特にパフォーマンスしている時に感じますよね。その場と自分の身体とお客さんの関わりの中で生じる出来事ですから。それは同じようなパフォーマンスをしても、同じような実感は自分にとっては得られないし、もし同じお客さんが違う場で同じようなパフォーマンスを見たとしても、 多分違う事が出てくる。それは明らかに仮想現実とは違う、その場のなまな体験というか。そういうものだと思うんで、そういう感覚に対して自分は大切にしていきたいなっていうのはありますね。
ー 今後の作品はどうなっていくんでしようか?
自分のフィールドが現実的な土地や場所、情報だったのが、それから広がってきてるのか変質してきてるのか分からないけど、人間の中の記憶みたいなものもフィールドとして想定できるなという気がするんですね。その記憶っていうのは、僕の場合だったら生まれ育った環境に帰っていくこともありますけども、物理的な土地じやなくても記憶の中のフィールドーワークっていうのがひよっとするとできるかもしれないなと思います。
なぜかというと、親父がまだ健在なんですけれども、寄る年波に勝てずに、だいぶ記憶が薄れてきているんでね、そういう親父の様子を見ていると、人間がいろんなものを経験して積み上げてきたものが、まただんだんもとに戻っていくような所がありますね。僕も40をすぎたあたりから一般的かもしれないけれども、いずれ自分がどういうところに帰っていくか、みたいなこともすこしずつ想像するようになってきていて、そういう点では、人間の記憶とか、体験しているのか体験していないのか良く分らないけれども、やっぱり人間の記憶の中に組み込まれてしまった想念というか、そういうものを作品の中に関わらせていきたいなというのがあるんです。
今、パフォーマンスの中でそういうことを少しイメージしながらしていったりするのもあるんですね。造形的な作品の方ではそれをどう取り込むかまだできてないんですが、映像の作品なんかでそういうものができるかなと少しずつ思い始めているんですけれども。
僕の中ではここ20年くらいやってきて広がってきたものが、今、少しもて余しつつあるところがあって、それがそのまま行くのかまた絞られてくるのか分からないんですけれども、今のところは広がった状態で、少なくとも表現の形式としてはいろんなメディアを並行して使ってやっていこうとは思ってますけど。
それでも昔考えてたほど何でもできるという風には思わなくなってきています。あれもできるしこれもしたい、ああどうしようっていう、そんな感じで力まかせに楽天的に作る感じじゃなくなってきていますから。自分の立脚点を探るためにフイールドワークっていうキーコンセプトを持ちながらも、だいぶ膨らんだ部分がありますよね、それをもう一回絞り込むような時期もいずれでてくるかなって気もします、いつになるか分からないですけれども。ただ、それは完成型を目指すということではなく、やっぱり大きな時間の流れの中でのプロセスのひとつの切断面のようなものでしょう。1999年9月23日 アトリエにて(聴き手 佐々木英里子)
Copyright (c) MARUYAMA Tokio. All rights reserved.