記憶のアート   (1985)

 原始的な浮き彫りから何世紀も経てコンピュータの記憶素子に至った。タブローはその先駆者であり、メモリー・バンクとしてさらに洗練されたものが写真である。今日の美術家は、写真のプロセスを素材やオブジェに取り入れて、生きた記憶を呼び起こそうとする。しかし、写真の寿命は限られている。情報の量と速度は回路の小型化を促し、薄いウェーハの上に情報のみが刻まれるようになった。メモリー・バンクとしての写真は、スーパーコンピュータ時代の到来と共に終りを告げるであろう。超LSIによって図書館からは本が、オフィスからは紙が、工場からは人が、そして美術館からは作品が消えていく。記憶素子のみが残り、かつての生活を物語るのかもしれない。
丸山の作品は視覚的メモリー・バンクであると同時に、記憶素子とも関連している。パネルは一見デジタル点描のようであるが、写真刷りを拡大したもので、そのため歪みが出て元の実体がわからない。ぼけたイメージがネットリンクのように巻きつける。このメッシュは都市をプログラムする同一されたコードである。コンピュータ化された風景の他にプラスティック、メタル、木や紙の破片がやゝ悲しげに存在している。
点描のパネル作品に付随して、両側を鋭く削った小枝で作られた熊手のようなものがあちこちに設置されている。それらは時と空間の半径を示す羅針盤のようなもので、傍観者に近寄ってよく見なさいと指示する鍵でもある。ただ単にプログラムされたコースに従うだけではなく、動作を伴うことによって記憶の再充電を図ろうとする。

  「いけ花龍生」 1985.2月号 -'84.11ルナミ画廊個展展評より  ロッド・オブライエン



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