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作品「発生源としての場所」の発想のきっかけは、父の遺品から発見された、昭和32年頃に家族で荒川堤を散歩した時の写真だった。周囲は畑や田んぼ、遠くに送電鉄塔が建つのどかな風景。それを見て、板橋の地に生まれ育った私自身の記憶と、この地域に潜んだ記憶(環境の変遷)が、一挙に脳裏に交錯した。そこから、このタイミング、この場所でしかできない作品を目指し、その構想を練り始めた。
都区部の北西に位置し、さして特徴が無いと言われがちな板橋だが、場所の多様性には富んでいる。土地の起伏があり、川の水運を利用した工業地帯や農耕地、江戸の名残をとどめる商業地、昭和期から開発された住宅街や大規模団地?。そこで気づいたのは、この地域の変遷過程が、スクラップ・アンド・ビルドを繰り返してきた日本の近代化の縮図だったということ。この場所を問うことは、現在の日本を問うことにつながると感じた。詳細は省くが、東京の端っこ*としての場所と、世界の端っことしての日本の立ち位置がオーバーラップした。
何の変哲もない場所でも、ある視点の据え方によって何らかの意味で核心的場所になり得ると思う。つまり、たとえ端っこでも、善かれ悪しかれ視点の基点(中心)になる潜在力がある。これは3.11以降の状況から、あらためて再認識したことだ。徐々に構想が固まっていった。
作品は、現場制作(インスタレーション)とパフォーマンスによる一連のプロセスを含む。また、館蔵作品とのコラボレーションも試みる。板橋とその周辺から、あるいは私自身のささやかな記憶と予感から広がった、様々な断片的イメージとその痕跡が交錯する。その空間は、一見あっけないほどあっさり見えるかもしれない。でも、どうか場の潜在力を感知しつつ、あなたの眼差しを注いでほしい。過去の風景同様、この作品もあなたが去り、会期が終わればいずれ視界から消えて行く。それも想像しながら、「存在と消失」のぎりぎりの均衡に立ち会っていただきたい。そこから、もろく不安定なバランスの世界に在るかのような現在の私たちが、今後もしたたかに生き抜いていく術(すべ)を探ってみたい。構想はそこまで射程に入れている。
*板橋の名称は、「板の橋」が架かっていたという通説以外に、「イタ=段丘(崖・台地・丘)」+「ハシ=端」という地形の特長を充てる説もある。住みやすい所だが辺境というイメージといったところか。
2013.11月 発信//板橋 2013 "Gap Dynamics"展のカタログにおけるコメント
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