都市化は人類の文明化と共に始まったといえるだろう。都市化と対比的にとらえられがちな農耕の開始も、人類が自然を切り開き、元の環境の破壊と変換を伴いながら集団で定住し始めたという点において、基本的に都市化の概念の範疇にあると考える。
私は昭和30年代に東京北部の郊外で生まれ育った。戦後10年経って、正に高度成長が始まり出した時期だ。家の周囲には、新旧の住宅、田んぼ、かつての武蔵野を彷彿とさせる樹林、工場地帯が混在していた。そして、その景観は自身の成長とともにめまぐるしく変化していった。特に、昭和39年(1964)の東京オリンピック前後の東京の変化はドラスティックで、成長期の私の心に深い印象を残した。
都市化の研究は、社会学や経済学的観点など様々な切り口が可能だろうが、一美術家としての私にとって、この「景観の変化」という現象が、人の知覚や心理にどのような作用を及ぼすかに興味を抱いたことが、制作上のキーコンセプトとなっていった。景観の変化にはその文化固有の特徴が現れる。元の自然環境、そこに住む人々の気質や態度、他地域との接触…、結果的に生み出される建築をはじめとする様々な造形物は、大きな意味で人類が自然との折り合いの中で形成していく都市化のうねりの中の一つと考える。
都市というと、まず近代的な大都市の景観を連想してしまいがちだが、21世紀の幕開けと期を一にして、その捉え方は、それまでと大きな変化を余儀なくされている。私のイメージには、廃墟となった旧来の文明の記憶とともに、地球そのものがやがて一つの都市になっていく、という新たな予感が共存する。それは自然の対立物としての都市ではなく、自然現象とリンクした「もう一つの自然」のような都市である。この新時代の風景感覚・景観の変化へのアプローチは、私の制作上のイマジネーションの泉となっている。
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