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場所から呼びかけられること (1995)
私はこのたびのワークショップで、自然体験的な作業よりも、都市的なものにこだわってみようと思いました。その背後には阪神大震災の生々しい記憶がありました。復興・復旧を目指している被災者の人々の姿と街の様子は、この機会に「街をつくる」という子供達のワークショップの体験とオーバーラップさせるのに、強烈なリアリティーを与えてくれるように思えたのです。美術的体験が単にその美学的地平の中でのみ閉じてしまうのではなく、現実の日常生活との関わりにおいて生成されていくことを実感する機会というのは、意外に少ないものです。語弊がある言い方になりますが、今回、この様な内容のワークショップができたのは丁度良いタイミングでした。また、段ボールという廃棄物を主とした素材が、単なる造形材料としての素材を越えて、私たちの生活の匂いを残しながら、新たに子供達が作り上げた「街」として変容していき、最後にはまた元に戻るというのも、後から考えてみれば、何か象徴的なことだったようにも思えます。
あと、もう一つこだわったことがありました。それは「作り上げる」という結果を出すことのみに偏りがちな作業を、できるだけそのプロセスを重視したものにするということ。プロセスとは時間の変化であり、空間の生成(又は消滅)の過程です。つまり、子供達に“おいしい”素材を提供し、技術的な要領や知識などのアドバイスに終始するという関わりではなく、できるだけ子供達の発想の現場に立ち会いながら、空間が次第に変化していく状況そのものを体験させること。多分、それは子供達、特に小学生にとっては難しいことだったかも知れません。しかし、今回の内容において、これはとても重要なことでした。そのための二日間という時間の長さと、上から見下ろせるスペース、これらがずいぶんと効果的でした。また、実習生の皆さんの協力によってずいぶんと助けられたことも見逃せません。
子供達に以上のような体験がどの様な形で残ったかは私には分かりません。それは彼ら自身の美術的体験の原点になりうるほどの大袈裟なものではなかったかも知れません。しかし、いつか彼ら自身の中でデ・ジャ・ブ(既視感)として感じるかのように、フッと蘇ってくれるようなものであってほしいと願っています。
「場所から呼びかけられること」 −今回のワークショップのポイントは一口でいえばこのようなことだったのではないでしょうか。場所とか空間に対する、小さい頃の体験というのは、具体的な物に対するよりも曖昧かも知れませんが、五感を伴いながら体の奥深くに刻み込まれていきます。そしてそれはいつか何かのきっかけで蘇るのです。さらにそれは彼ら自身がこれから形成していくであろう自分たちの生活空間を新たに作っていく種のようなものになるのです。つまり場所から呼びかける何かに対して耳を澄ますことのできる感受性と想像力の大いなる連鎖ということ…
郡山市立美術館ニュース“THE ROOF"Vol.7 より 1995.10 発行