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メッセージ:

 わたしたちは1955年と56年に板橋区で生まれました。1964年東京オリンピック、1969年アポロ月着陸、そして1970年にわたしたちは都立竹早高校に入りました。わたしたちは、成長していく子どもの目で、東京が変化する過程を、板橋という辺境から、見つめていたわけです。周囲に豊かな自然なんてありませんでした。あったのは、町工場、駐留軍、兵器所跡、汚れた空気、荒川の河原、汚れた空、汚れた水、秩父連山がはるかな関東平野。変化することに感傷はもちません。もとのままならそのまま、変化するなら変化するまま、それを受け入れるんです。わたしたちは素直に、自分たちの生理に耳をすまし、身体に目をこらしたいと思います。
 河原には北アメリカ原産のアキノキリンソウ、セイタカアワダチソウ、オオアレチノギク、そういった植物が群生していて、分け入ると油だらけの水たまり、空きカン、プラスチック、オタマジャクシや犬の死骸に出会った。捨てて拾う。作って壊す。ためて吐き出す。つかまえて殺す。おもわず狂暴なきもちにかられて遊んだと詩人がいいました。車が一台、空き地に放置してあった。何年間も。車は壊れていった。中に入り込んで運転するまねをして遊んだ。そのフロントガラスをとおして、何年間も、周囲のようすが変わっていくのを見ていたとアーティストがいいました。
 エンターテイメントからほど遠い現代美術のパフォーマンスと、これまたエンターテイメントからやけに遠い現代詩の朗読が、板橋を媒介に合体する。板橋区へようこそ。戸田橋。荒川。赤塚。徳丸。常盤台。蓮根。蓮沼。板橋本町。縁切り榎。板橋区の魅力をいっぱい、わたしたちが、身体と声と言葉で教えてあげる、あなたに。

『KARADAがARTになるとき』展 カタログ゙より
パフォーマンスのコラボレーションに向けて、伊藤比呂美(詩人)によるコメント  1994.4月


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