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境界上における歩行ということ[断章的に] (1982)
歩行についての関心は、私たちが棲息し共有している環境の中で身体を移していく、というごく当り前のことに始まる。それを通じ、ある領域と別の領域の関係において、風景や身体感覚などが変化し、私の知覚の中でそれまでとは違うように組み替えられていく感触[ー私が空間のグラデーションと呼ぶもの−]を、その境界上で得られるのではないかという期待‥‥。多分、それは日々惰性化しがちな日常の「生」のリズムの中で、密かに息づいている私の感覚のわずかな「ふるえ」として感じられるだろう。歩行が持つダイナミズムを通じ、初めて人は空間のグラデーションに気づき、それを感知できるようになるといえるのではないだろうか。
廃棄物として消費の記号を加速度的に増殖させ、功利的なシステムの中でとかくそれに順応しがちな私たちの生存の基盤であり、棲み家でもある環境。それは、私自身の肉体をあたかも透明なチューブが突き抜けながら巻き込んでいるかのようにかつて感じられたことがある。環境とは自らの肉体の皮膚の外側から単純に始まっている、という意識はおそらくこの時点で徐々にくずれていったようだ。その透明なチューブは時空間の軸に沿って、肉体の内にも外にも広がりを持っていた。空間のグラデーションとは多分、このような自覚を前提とし、歩行のダイナミズムを媒介として「ふるえ」となって出現してくるのだろう。
美術家にとって「世界」−コスモス−をあばきたて、存在そのものとして「もの」を自律化させ、顕在化させようとする、そしてそれが可能なことだと一元的に信じられた時期がかつてあった。けれども果たしてそのような存在が作品そのものに感じられたことは本当にあったのだろうか?「世界」はおそらく膨大な事実の集積として成り立っているだけなのだ。しかしそのあるがままの事実をそのままその通りに私たちは感知することはできない。その多義的な意味やイメージを作り出すのは「世界」そのものであるというより、そこを環境として棲み込んでいる私たち人間の知覚の領域にあると言ったほうがいいのではなかろうか。しかもその知覚の領域とは、透明なチューブで巻き込まれている人間の知覚である。「世界」や「もの」の存在に対する一元的な客体化志向は、初めからある傲慢さと不可能性をはらんでいたのではあるまいか。
環境、それを形成するチューブが、様々な性格を帯びているのにも次第に気づくようになった。ある時にはそこに政治的な匂い、あるいは愛とか死といった匂いを感じることもあった。それらはありとあらゆる記号として網の目状に並んでいて、そこから多くの情報をランダムに際限なく発生しているように感じられた。その私(たち)自身を形成し、かつ私(たち)自身によって形成されている環境における網の目状の記号は、逆に、「観る」ということの制約、あるいはひずみのようなものとして強い印象を残したし、かえってそのことによって「表現」への欲求をかき立てられもした。空間のグラデーションはその網の目状の境界を、私の意識(知覚)が通り過ぎる時に体験される。つまり「表現」という行為を背景に抱えた歩行を媒介として、はじめてそれは私たち自身が棲む環境をより良くトータルに理解する契機となりえるのだ。もしその契機を介在しないで表現を成立させようとしたら、それは「世界」に対する先の一元的な客体化志向による主知主義的な対処か、フェティッシュな感性の眼を通した対処による思い込みの強い一義的な事実の断定、自己規定、などといった私にとって危険で、いごこち悪い立場に安住してしまうように思えた。
歩行にはごく当たり前の身体を移行させるということから、空間のグラデーションを体験するための境界上の歩行ということまでの広範囲な意義を私は感じている。それは環境に対する意識の高まりへのトレーニングであり、表現行為を準備するウォーミングアップとしての役割まで担っている。というのは作品制作に具体的にたずさわっている時間帯に代表されるように、表現行為に意識的に関わっていられるのは、日常生活においてはさほど長い時間をとれないからだ。作家は常にそこに止まっていることはできないし、もしできたとしてもそのことはその人の「生」そのものを不可能にせざるを得ないだろう。しかし、その多くもない時間帯を少しでも集中化し、充実化するために、歩行は大切な役割を担っているのだ。そしてリズミカルに日常と表現行為の間を行き来できるようになれればいいと思う。
このことから、私にとって「表現」に関わるということは、(歩くこと、観ること、造ることを含めて)環境の網の目の中に一方的に絡み取られていく、つまり生活の場に一方的に癒着していき、日常そのものの中にどっぷりと身を浸り込ませていく方向を志向するのではなく、管理化され惰性化しがちな日常を一時切断し、境界上をリズミカルに往来し、「生」のリズムを少しでもヴィヴィッドに回復する方向を志向するということなのだ。そして日常−非日常の図式は硬直化したものになってはならないし、二つの領域は互いにパラレルな関係で境界上で共存しあい、表現における全体的な温床の場としてとらえるべきものであろう。
発表を通じ、常に一種の疲労感としてわずかに残るものがある。不安感といってもいいだろうか。それは私のしている行為、作品が私的に閉じられることなく、どこまで広がりが持てたのだろうということ。ごく素朴なことである。先の日常の一時切断ということは、表現それ自体を非日常的に自己目的化し、特権化することではむろんない。ましてや単純に他律的な名目に委ねられ使役化されることでもない。不用意に一元的な形でそれを目指せば、美術はますます孤立してしまうし、同時に個の中に一方的に収束してしまうだけになる。しかし、今の状況は、例えば芸術の歴史主義の中に身を沈め、形式的な存在理由のみを追い求めていく教条主義によるか、楽観的な感覚への無反省な信頼感をもとにした衝動のみによる表現(と呼べるかどうか?)が多くを占めているように私には感じられる。これでは「世界」の存在と人間の「生」という存在が完全に乖離するか、あるいは生活とかイデオロギーといったような名目の元で癒着してしまうという、先に述べた美術の閉塞への危惧をさらに深めてしまうのではないだろうか。
自分の身体が棲み込んでいる環境が透明なチューブの自覚におけるように、単純に整合的なものではなく、本来矛盾をはらみながら形成されていることに対する、作家自身の主体的な把握の立場、つまり人間としての生の全体的な自覚から発した、私たちの中で通底しうる共通項を求めぬ限り、作家自身と観客、もしくは美術と社会との距離は広がっていくばかりではないだろうか。そう、ただし私のこの制作上の不安感は、人間の存在のありかたがそもそもはらんでいる矛盾の中から生じているのであり、永遠に解消しえないものであるのだろうが‥‥。
私たちの通底しうる共通項、つまり作家にとって表現行為や作品が本来もつべきありかとは、(もちろん物理的な場・位置ということだけではなく)私たちの環境、そのチューブの上に張りめぐらされた網の目の隙間、つまり境界上にある。それは「世界」と人間の知覚の間の境界地帯でもあり、例えば作品そのものが存在しているという事実と、作者の内部を遡ることによって感取される意味やイメージなどの両領域にまたがって仮構される。そのような作品や表現行為もまた人間の知覚に対して空間のグラデーションを感知させうる力を持つだろう。空間のグラデーション、繰り返して言うがそれは私たちの環境の網の目にある多くの記号や、その隙間にある未だかくされた多くの事象(事実)からかも出される気配であり、それを私たちの知覚が私たちにとって新たなる意味やイメージとして感得した時、感覚の「ふるえ」として気がつくものなのだ。そしてそれは作品を観る者の視座の様々な取り方によって、多義的で具体的な身体や精神の変化の感触として組み替えられ、それぞれ体験されることになるだろう。
表現者は矛盾に満ち、のっぴきならない状況をはらんだ環境の網の目の境界上で、そのスリリングな緊張関係を維持しようとする。その為にも当たり前の身体を移す歩行から、境界上の歩行というより自覚的に演じられた歩行への進展が必要とされるのだ。演じるということは、虚構の世界を演じるということではなく、主体性を持った「生」の自覚から発し、個に閉塞するだけでない、他への広がりを内在し、主観と客観の境界に自ら入るということである。それは仮構された作品に対処するときの立ち振る舞いにもなる。立ち振る舞いとは先に述べた、観る者の視座の取り方であり、その人なりの演じ方が境界上をめぐるリズミカルな運動感覚を持ったものであればあるほど、より豊かな作品体験がなされることになるだろう。
境界上の歩行は、演ずる人のその巧拙によって様々な危険性を与えることにもなろう。そこにはそれゆえの豊かさと、曖昧さが背中合わせになっているということである。このことは念頭に置きながらも私としては当面、様々な環境において、歩行が持つ豊かさを見失わずに、フィールドウォーク(Field-walk)とフィールドワーク(Field-work)を繰り返しながら、空間のグラデーションから生じる「世界」の予感に満ちたある兆しと様々に反響し合っていきたいと思っている。
1982.9月 脱稿(後日一部書き換え) 「UENO'82」 資料集より 1983.5月 発行
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