インタビュー X-Border Art Biennial 作品について(2013年 6月)

この展覧会は、"Crossing the Border" をテーマとし、スウェーデン(ルレア)・フィンランド(ロバニエミ)・セヴェロモルスク(ロシア)の三都市において開催された。その時のプレス用のインタビュー(英語)の概要を、日本語で加筆し書き直したもの。

 

"Geographical Movement"
 
一般的に、ボーダーからは色んな意味が連想されます。
例えば、2011年の福島の原発事故以降、日本人のみならず、世界中の人たちに、核技術に対する危機意識が高まったわけですが、日本では二年経った今、次第にあの出来事が忘れられつつあるのではないか、と危惧を感じる事があります。非常に深刻なことであっても人々はそれを忘れてしまう、あるいは忘れてしまいたい、そういう「無関心さの壁」としてのボーダーが我々の中にはあるのではないか? 
もう一つ、ボーダーには人々を隔てる、いわゆる国境であったり、個人的な人間同士の「心理の壁」というものがあるかもしれないノ。そんな問題意識を持ったことがこの作品の構想の始まりでした。

今回、その二つをリンクさせ、世界地図を用いた作品を作ることにしました。それには、核兵器の開発史での実験場、原子力発電所や廃棄物処理場などの施設がある場所、そして、プレートテクトニクス理論でいう大陸が移動する断層線のある地震が頻繁に起こる場所、その三つの場所を複雑に混在させた地図が、壁の裏表に表されています。
地図というものは、もともと客観的なものであるように思われがちですが、実はとても主観的なものといえます。つまり、誰かの、何らかの意図を持った見方によって表されるものです。
例えば、白い壁面の地図は、この展覧会のために想定された私自身の主観性が強調された地図といえます。どういう地図かというと‥‥、構想を練る段階で、今回のX-borderを開催する三都市、ロヴァニエミ、ルレア、セヴェロモルスクがほぼ一本の直線上に並んでいることに気がついたのです。そして、その線を延長させていくと、なんと日本の福島のあたりを通過することを発見しました。もちろんこれは、球体としての地球上で、その上を走る延直線が福島とつながるということです。偶然気がついたこの事実に不思議な因縁のようなことを感じ、面白いと思いました。
そのような離れた別の場所が、ほとんど無関係なようでありながら、何らかの関係でもって、つなげて捉えられるかもしれないノ。そんな私の主観的な一つの見方として、上下にこの直線が貫く丸い形の世界地図を表しました。

反対側の青い壁面の地図には、薄茶色の大陸が描かれています。地図にはいろんな図法があり、それぞれの図法独自の特徴があるわけですが、これはエッケルト図法という、面積は正しいが少しひずみが生じる分布図などに適したものです。一般の人にとって、客観性がある程度あり、大陸の形の印象がわかりやすく感じられるので採用しました。ただし、多くの人は、一見してなんの図柄だかすぐにはわからないはずです。なぜかというと、それは上下逆転して、北が下、南が上になっているからです。ですから、いわゆる一般的な世界地図の大陸の形を思い浮かべることからすると、この地図は、ぱっと見た瞬間何が表されているか認知できない抽象的な絵のようなものに感じることでしょう。

その地図の上に‥‥先ほど申しましたけれども、1945年にアメリカがネバダ砂漠でトリニティ実験という、マンハッタン計画の中で初めて核実験を行った場所の位置に、まず初めにドリルで穴を空けました。その後、広島と長崎に原子爆弾が落とされ、そしてさらに冷戦時代以降も、原水爆による様々な核実験が世界中で行われていきました。アメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国などの大国が、自分たちの国の科学技術と威信を誇示するため、自分の国以外の場所でも、数多くの核実験をしていったわけです。それらの場所に、できるだけ歴史的な時間経過の順に、ドリルで次々に穴を空けていきました。
その次に穴を空けたのは、原子力発電所が立地された場所です。ヨーロッパ、日本、アメリカ、その他、世界の色んな場所に、次々に原子力発電所が作られました。全てではないかもしれませんが、できる限り地図上の当該のポイントに穴を空けていきました。そうして次第に穴の数が増えていくわけです。

もちろん原子力発電についてはエネルギー問題として賛否両論あり、一概に言えないと思いますけれども、私は基本的には核エネルギー、特にそこから発生する放射能は、人間にとって有益なものである以上に、非常に不幸な事態をもたらすものだと感じています。ですから、壁に穴が空けられ、それが次々に広がっていく事によって、次第に地球が破壊されていくようなイメージを表現したいと思いました。正確に数えていませんが、多分1500くらいの穴を両面の壁に空け続けました。作業の終盤には、大陸プレートが割れたり、落ち込んでいる断層線の連なりに穴を空けていきました。ここでは、人工的な国境のボーダーというものが、実はあいまいで変動するものであるということと、地震によって核汚染が広がるリスクが同時に暗示されています。

地図が上下逆転している理由には、もう一つ、天地がひっくり返るというか、開けられたドリルのカスが床に落ち、溜まっていき、またそれが広がっていく‥といった「落下していくイメージ」とか「崩壊していく過程のイメージ」を込めたかったこともあります。
そして両側の壁面の地図は、北ヨーロッパ、つまり開催三都市と日本の福島が、裏表でほぼ同じ位置にくるように位置調整されています。その双方の壁面の間で、住む場所の異なる私たち一人一人の見方・受け取り方が、ズレたり、重なったりしているノ。核の事故とか、環境汚染、気象の変化などいろんな出来事や問題が世界中で言われながら、逆にそういうことが忘れられやすいという「無関心さの壁」や「心理の壁」を表すものとして、二つの壁面の間がボーダーの象徴として示されました。
そして、そのボーダーが破壊され、消滅し、実は隔てられた場所や人々が密かに関係づけられ、見えないつながりができるかもしれないという密かな期待を込めて、オープニング時のパフォーマンスを構想しました。



参加アーティスト達の紹介時に、他のアーティストたちは名前を呼ばれて自身のコメントを語ったようですが、私の場合、私自身がパフォーマンスの前に、姿を現したり作品について語ったりするのは、今回はしないということで、挨拶に私は加わらず、名前だけ呼んでいただき、その流れの中でパフォーマンスをする事にしました。パフォーマンスという表現の特性からいっても、やる前にしゃべるのはなかなか難しいというか、必要ないということで、あえて語らなかったのです。

私はタイベックスという、いわゆる汚染地帯で作業する人たちが身につける作業服を着て登場しました。白くてブルーの線が入っている、ちょっとフィンランドの国旗を連想させるような図柄でした。それは直接内容とは関係なかったとはいえ、ここロバニエミでパフォーマンスをしたという偶然の副産物としてとして効果的だったかもしれません。そのタイベックスを着て、会場の床を掃除するようなアクションをしながら、作品の壁の前でパフォーマンスを続けました。

このパフォーマンスは、壁を作ってドリルで穴を空けていった作業のプロセスの一環で、作品を完結させるファイナルの段階として位置づけられました。パフォーマンス・アートとは、この場所、この時、お客さんと私など、場を同じくする皆が同じ時間を共有できる、私にとっては非常に面白いエキサイティングな表現形式です。私たちは今ここにいる、つまりロヴァニエミの、この場所に一緒にいるということに思いを至らせながら、ビエンナーレの三都市を貫く延直線の方位を指で示し、福島の出来事を暗示する合図をするポーズをしました。次に、ドリルで白い壁面側の日本の場所周辺から人型のシルエットの穴を広げ、自分自身がそこをくぐり抜け、通過するアクションをしました。

ドリルで空けられた壁の削りカスはずっと床に落ちたままです。それは、いわゆる破壊されつつある地球というか、非常に壊れやすくもろい地球のかけらの象徴です。また、人間が今まで地球上にいろいろばら撒いてきた様々な廃棄物や汚染物質、核のゴミとかの象徴にも見えるかもしれません。そのゴミ一つ一つと、我々はどういうふうに関わって、それとともに生きていくのか? そんなことを問いかけるようなつもりでパフォーマンスをしました。

非常にシンプルなアクションでしたが、私には、常に空間や物質を用いる事と、時間の中で行為をすることを一体化させるねらいがあります。そのような意味で、このGeographical Movementという作品の制作プロセスのファイナルの段階としてのパフォーマンスだったわけです。
あと、先ほど言い忘れましたが、床の上に一つ丸いオブジェが置かれています。これは壁の削りカスによって作られた、非常にもろい、触ると壊れてしまいそうなオブジェです。これはどういうふうに受けとめていただいてもいいんですけど、今の地球、それに私たちの心の中の無関心さと関心のつながりの両方が埋め込まれているノ、そのようなことをイメージし、さりげなく希望を込めて床に転がされました。

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